選べない過去とこれからの未来

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選べない過去とこれからの未来

 りとさんはきれいだ。  でも、自分のことをあまり良く思っていないらしい。  俺が一目惚れしたと告白したときも反応はイマイチだったし、初めて一緒にご飯を食べたあとにも「私のために時間を潰すのは時間の無駄だ」と怒ったくらいだ。  一度もナンパされたことがないと言っていたけれど、親友の市川さんに聞いたところによると事実は違うらしい。  声をかけられても道を尋ねられただけだと勘違いしたり、ただのビラ配りだと思い込んだりしているようだ。  要するに自分がきれいだということを全く自覚していないのだと思う。  一緒に暮らすようになってからも、それは変わりなかった。テレビに出ている女優さんやタレントさんを見てはため息をついている。  どうも、世の中の女性は全て自分よりきれいだと思っているようなのだ。  だから、俺が「りとさんのほうがきれいだよ」と言っても、あまり取り合ってもらえないことが多い。  そりゃあ惚れたひいき目というものがあるのは事実かもしれないけれど、もう少し自信を持ってもいいはずだ。男は彼女がきれいだというだけでも自慢なんだから。  そんなりとさんが、ここ一週間ほど元気がない。てっきり買ったばかりのスマホが合わないという理由だと考えていたのだが、待ち受け画面を設定することに成功したと喜んでいたので、多分外れだ。  婚約指輪を渡したばかりなので、マリッジブルーというやつだろうか。  久しぶりに二人の休みが合ったので、今日は函館のタツヤ書店にやってきた。気分転換になればと思っていたのだが、りとさんは車内でも口数が少なかった。  何かあっても一人で抱え込むタイプだから、心配はつきない。  最初のデートで、俺たちはこのタツヤ書店へやってきた。りとさんは無類の本好きで、高校時代に読書同好会に所属していたらしい。新しいアパートに移ったら、大きな本棚を購入する予定だ。  音楽雑誌のコーナーを回ったあと、文房具売り場の前に設置されている試し書きコーナーに寄った。そこには様々な種類のペンとノートが置かれており、気に入ったものをすぐ買えるようになっていた。  初デートの日、俺はここに、 「I LOVE R&R&R ――ロックンロールアンドリト――」  と記した。りとさんとここにこられたことにすっかり舞い上がってしまい、ノリと勢いで書いたものだった。まさかりとさんに読まれてしまうとは思わずに。  あのとき、りとさんもメッセージを書いてくれたようなのだが、結局どんな言葉だったのかは今でも謎だ。  太い油性ペンを選び、オレンジ色のノートの前に腰かける。オレンジ色は応援している球団のカラーでもあった。  ぱらぱらとめくると、似顔絵や漫画のキャラクター、名指しのメッセージまで様々な落書きが並んでいる。  新しいページを開くと、左隅に小さな文字が見えた。 「I LOVE JIN」  最後には赤いハートマークがつけられている。遠慮がちに書かれたその文字が、りとさんの全てだ。  ぐっと心臓を掴まれたような感覚。  こんなにストレートなメッセージをくれていたのか、と思う。俺はその横に以前と同じ文字を書き綴り、ペンのキャップを閉めた。  市内で一番大きな書店だけあって、日曜日ともなるとたくさんの人が集まる。賑やかな学生たちの横を抜け、家族連れの前を通り過ぎて、りとさんの元へ向かう。  しかし、コーヒーショップの前にりとさんはいなかった。いつもなら先に待っているはずなのだが、姿が見えない。  時間を間違えたのかと思い腕時計を確認するが、待ち合わせまでまだ五分もある。  仕方なく辺りを見回してみると、コーヒーショップの向かい側にある携帯電話販売店の中にりとさんが立っていた。  以前、ここには珍しいロボットが置かれており、二度目に二人で訪れたときは色々な会話を楽しんだ覚えがある。しかし、今日は入り口に「出張中だよ」という吹き出しが貼られた等身大のパネルが置かれていた。  俺とりとさんが契約しているスマホは別の会社のものだし、ここには用がないはずだ。  人の波を避けるようにして、歩き出す。りとさんは同じ場所から動こうとしない。どうやら、誰かと話しているようだ。  店員さんに捕まったのだろうか……と考え始めたとき、りとさんの前に立っている人物が目に入った。それは髪の短い男性で、年齢はりとさんと同じくらいだ。  あと、三メートル。  もしかしたら、ナンパされているのかもしれない。自分でも、自然と早足になるのがわかった。  あと、二メートル。 「なあ、りと。なんか変わったな、オマエ」  あと一メートルの距離まで近づいたとき、男性がタメ口であることに気がついた。りとさんは何も答えず、無表情のままだった。  前に一度だけ聞いたことがある、酷い元彼の話を思い出した。 「平均点くらいは行ったかもな」  男性はやせていて、(悔しいけど)すごく背が高い。いわゆる塩顔で、人気俳優に少しだけ似ている。(悔しいけど)すごく頭が良さそうに見えた。 「俺の手紙見た? こんなところで会うなんて、絶対運命じゃん」  軽薄すぎる物言いに、俺の中の何かがキレた。
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