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クリーム色のカーテンを開け、大きな窓の鍵を下ろした。開かないようになっているのだろうかと、試しに右手に力をこめてみる。
空調の整った室内に、外の冷たい空気がわっと流れ込んできた。
ベッドの上に両膝をつき、窓枠を持って、頭をぐっと前に出す。風に煽られて、まとめきれていない髪の毛が、ぺたりと頬にはりついた。夜の闇の中に産院のエントランスの花壇が小さく見える。顔を上げるとショッピングセンターの明かりが遠くにぼんやりと光っている。
ひんやりとして、気持ちがいい。昨日まであった下腹部のふくらみが今はない。かわりに鈍い痛みがじんじんと残っている。
この窓には、柵も、手すりさえも付いていない。
病室を設計する際に、ここから飛び降りようとする妊婦や産後の母親がいるかもしれないとは誰も考えなかったのだろうか。
産前産後の母親は、全員もれなくハッピーで、大きな窓から差し込む光に目を細め、ニコニコ笑っているとでも?
シャワー室の全身鏡で見た産後の体は、ほとんどぼろ雑巾だった。
真っ青な顔には目の下に大きなくまがあり、結局カットに行きそびれた髪はぼさぼさで、お腹の皮膚がスライム状にたるみ、乳首はフィルターに残ったコーヒーかすみたいに黒ずんでいた。
便意はあるのに自分のお尻の穴の場所がどこだったかわからない。どの穴も、全部繋がってしまったような感覚だった。恐る恐る傷口に触れてみると、勢いよく星形に裂けて縫い合わせられた場所にざらりとした感触があり、指先には鮮やかな血が纏わりついた。
痛くて怖くて眠れなかった。半年ぶりにベッドにうつ伏せになった時は少し感動したけれど、そこからが地獄だった。いつのまにかどこかへ消えてしまうけしごむと同じように、捨てられる前に自分から、はやくどこかへ消えてしまいたかった。
ベッドの脇にある呼び出し音が鳴っていた。授乳の時間を告げる助産師さんのコールだった。コール音と同時に、岩のように硬くなった両方の胸がずきずきと痛みだす。
「やっぱ強いね、ゆうちゃんは。助産師さんも褒めてたじゃん。体力もあるし、普通の妊婦さんとは違うよな、嫁が強い女で良かったよ」
達也の昨夜のセリフが蘇り、また下腹部が痛む。何が「嫁が強い女で良かった」だ。嫁の妊娠中によその女とさんざん飲み歩いていたくせに。
子宮が元の大きさに戻るための痛みは陣痛の痛みを遥かに超えていた。硬い胸は熱を持っている。
立ち上がり、よろよろと授乳室に向かいながら、いつでも死ねる、と思った。
これから幸せな毎日が待っているなんて言う人は嘘つきだ。こんな体で誰かを、あんなにも小さくて脆いものを守れるはずがない。
美しいのに弱くて脆い、壊れやすそうなものは昔から大嫌いだった。
とくに蝶々と、華奢な女子。
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