ウインドミルガール

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体育の授業が終わった後の休み時間、女子トイレの鏡の前は戦争だった。  次の授業までに崩れたメイクを直さなければと必死になるクラスメイトたちの横で、わたしはわざと思い切り蛇口をひねって水を出し、ざぶざぶと顔を洗って、首に巻いていたタオルでごしごしと拭いた。 「わー、ゆうちゃん、潔くてうらやましー」 「ほんと、すっぴんで学校来るとか耐えられないよ。いいなー顔洗えて。気持ちよさそ」  そんな風に言いながら、鏡と必死でにらめっこしているのは優菜とあかり。学年でもトップクラスのルックスで、派手な女子のツートップ。 「化粧とかするの面倒だから」  顔を拭いたついでに頭までタオルで拭いた。首にタオルを巻きなおし、一瞬ちらりと鏡を見る。 同じ制服を着ているはずなのに、隣にずらりと並んだ顔たちとはまるで違う生きものみたいだった。 「てかさー、ソフト部が体育でソフトボールとかさ、遊びみたいなもんでしょー」 「かっこよすぎたよね、今日のゆうちゃん。うちの彼氏より断然ゆうちゃんのがイケメンだし」  メンじゃないでしょ、と誰かが言って、トイレに女子の笑い声が響く。漫画のきゃはは、みたいなこういう笑い声って、どういう風にすれば出せるんだろう。 「まじでそれ、今日のゆうちゃんの剛速球やばかったよねー。男子でもあんな球打てないっつの」 「ほんと、そりゃ女子からバレンタインもらいまくるわ」  ふたりは、わたしのことをゆうちゃんと呼んでいた。わたしもふたりのことは、下の名前で呼んでいた。仲が良いと言われればそうなのかもしれなかったが、ふたりと学校以外で遊んだことは一度もない、というかそもそも、わたしの部活が休みの日なんて一年に数えるほどしかなかった。 「さきに教室戻っとくね」  面倒だから、とは言ったけど、嘘だった。  本当は、メイクなんてしたこともなければそれが似合う自信もない。耳にかけられないくらい短い髪に、一年中真っ黒に日焼けした肌、朝練と放課後の部活と自主トレで鍛えた筋肉質な体形で、いくら女らしくしようとしたって無理がある。  そんなことは、あのふたりだってわかっているはずだ。なのにわたしは、なんで強がって「面倒だし」なんて言ってしまったんだろう。  教室に入ると、美術部の女子二人とブラバンの女子が教室の端のほうで喋っていた。黒くてまっすぐな髪は長く、いつも綺麗に整えられているし、つやつやとした唇には、きっと何かが塗られている。口紅でもない、リップクリームでもない何か『女の子』にしかわからないようなもの。  派手な女子のグループは、わざとみたいに大きな声で、いつもここが自分たちの居場所ですよと主張しているみたいに見えた。小さくて弱くて、色鮮やかな生きもの。  わたしはそのどちらでもないかわりに、どちらの敵でもない『女子に嫌われない女子』だった。  どちらのグループにも分け隔てなく優しく接するよう心掛け、けれどどちらのグループとも常に行動を共にするようなことはしなかった。  ライバルになり得ない存在。それってつまり、女としてカウントされていないってことだ。  教室の中心では、目立つ男子がどこからか持ってきたうちわで、ネクタイを外した胸元をばたばた扇ぎながら大声で喋ったり首を絞めあったり、廊下ではプロレスごっこをしたりと騒いでいて、そこにはやっぱり、当たり前のようにあの人の姿があった。  クラスメイトはもちろんのこと、彼と直接関わりのない一年生の女子さえも、彼のことをこっそり『シゲ』と呼んでいた。サッカー部のエースで背が高く、顔も整っていた。時折バカっぽい発言で皆を笑わせ、女好きを隠さなかった。人気のある男子を絵に描いたみたいな人だった。  彼を公にシゲと呼んでいいのは、クラスメイトでも下級生でも一部の派手な女子だけに限定されていた。その呼び方には憧れや下心が詰まっていて辟易したし、下級生からそう呼ばれた彼が同じように下心のかたまりみたいな顔をする、その瞬間、わたしは吐き気がするほど、彼のその名前が嫌いになった。  わたしは絶対に、彼のことをシゲとは呼ばなかった。
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