6人が本棚に入れています
本棚に追加
1
目の前にレモンがある。
あつあつ唐揚げに添えられたそれは、相棒パセリとのコンビネーションで皿の上にカラフルさを演出している。それだけじゃない。唐揚げの脂っこさを中和する役割を担う、酸味の権化。それがレモン。あなどるなレモン。されどレモン──そんなレモンを、眉間にしわを寄せ見つめるのは栗本陽菜。今年新社会人デビューを果たした、二十二才の平凡な会社員だ。
今の彼女の葛藤は、目の前のレモンと唐揚げにある。
彼女にとってレモンは、唐揚げになくてはならない存在だ。だが、それが他者にも当てはまる考えであるかはわからない。中にはかけてほしくない人もいるだろう。だとすればレモンをかけることは憚られる。それならばまわりの人たちに「かけてもいいですか?」と聞けばいいのだろうが、そんな勇気は彼女になかった。では自分の分だけかければいい──そう思えるだろうが、ひとつしかないレモンを自分だけで使っていいのだろうか。否、新入社員の分際でそのような不届きなことなど……と、思考の迷路に迷いゆく。
彼女はレモンと唐揚げについて頭を悩ました後に──ふっと息を吐いて「アホらしい」と小さくつぶやいた。
初めての会社の忘年会。近くの大型居酒屋を貸し切って行われるそれは毎年恒例のようで、従業員たちも慣れたようにテキパキと料理を運んでは賑やかさに拍車をかけていた。
さいわい、新入社員に出し物をさせるような昔気質の社風ではなかったが、それならばいっそのこと忘年会なんてしなくていいのにと陽菜は思ってしまう。
そうすれば、こんなことで悩むことなどないのだ。レモンを唐揚げにかけるかどうかなんて……。
「やほほーい、クリリン! まーた難しい顔しちゃってぇ。今日は無礼講、飲もう飲もーう!」
ノー天気な声と馴れ馴れしく肩に回された腕に、その思考回路が突如かき消された。
鼻腔をくすぐるフレグランスの甘い香り。それにつられて横に視線を向ければ、五つ年上の女子社員、長谷川の無垢な笑顔が近すぎる位置にあった。
最初のコメントを投稿しよう!