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次に明世がやって来たのは、高い塀に囲まれた屋敷である。鉄製の門は閉められたままだ。
「困ったなあ」
ひとり呟くと、塀の上を見上げる。四メートルはあるだろうか。
直後、ぱっと飛び上がった。塀に飛び蹴りを食らわし、そこを足場にして一気に駆け上がる──
曲芸のごとき技で塀を乗り越え、敷地内へと侵入する。中は木が生い茂り、地面には草が生えていた。
さらに、数匹の山羊がこちらを睨んでいた──
山羊という生き物は、実のところ気が荒い。縄張りに入って来たものは容赦なく攻撃する。時には、狼や虎のような肉食獣にも向かっていくのだ。
おまけに、人間より足も速く力も強い。角による攻撃は、人を殺すことも可能なのだ。
明世は、目を山羊の方に向けつつ、ゆっくりと横方向に動いていく。山羊はといえば、じりじりと迫って来ていた。時おり、鼻を鳴らし角を振り立てる。明世は動物には詳しくないが、威嚇されているのは明らかだ。
「あのね、僕は荷物を配達しに来たたけだから……行かせてもらうよ」
引き攣った顔で言いながら、さらに横に進んでいった。すると、一匹の黒山羊がフンと鼻を鳴らした。
直後、角をこっちに向け突っ込んで来る──
明世は、とっさに横方向に転がり突進を躱した。だが、その動きが山羊たちの闘争心に火をつけてしまったらしい。一斉に襲いかかってきたのだ。
明世は、ぴょんと飛び上がった。手近な木に掴まり、一気によじ登る。
さらに枝を伝い、屋敷を目指し進んでいく。
山羊たちは、明世を見失いキョロキョロしていた。だが、一匹の山羊がちらりと上を見る。と、すぐに彼女に気づいた。
次の瞬間、木をよじ登って来る──
山羊は、もともと険しい山に住んでいる。高い岩場や木に登るのは得意なのだ。
今も、木の上に登り鼻息を荒く鳴らしている。お前を角で串刺しにしてやる、とでも言わんばかりに、明世に迫って行く。
「もう勘弁してよ」
呟くと、明世は近くに生えている木に飛び移る。間髪入れず、さらに別の木に……密林に生きる猿のような動きで、木から木に飛び移り、屋敷を目指す。しかし、山羊も追いかけて来る。
やがて、屋敷へと辿り着いた。すると、山羊たちは遠巻きに見ている。どうやら、屋敷には近づけないらしい。それでも、十メートルほど離れた位置から明世を睨み、威嚇するように角を振り立てている。
そんな山羊たちを尻目に、明世はドアに付いている呼び鈴を鳴らした。
ややあって、屋敷のドアが開いた。
中から、ひとりの中年女が姿を現す。ニコニコしながら、明世に会釈した。続いて、巨大なセントバーナードも顔を出した。こちらは明世を見るなり、面倒くさそうな様子でフンと鼻を鳴らした。
「いつも、お疲れ様ね」
言いながら、女は荷物を受け取った。髪は金色で色は白く、恰幅のいい体格である。その外見からして、欧米人であるのは明白だ。優しそうな表情で、伝票にサインする。
不意に顔を上げ、山羊たちを見つめた。
「あなたたち、いたずらもいい加減にしなさい」
顔に似合わぬ流暢な日本語である。だが、口調は厳しい。その言葉を聞くと、山羊たちはそそくさと退散していった。
この女、名をアーデルハイトという。様々な動物と会話が可能な特殊能力を持っているのだが、その事実は一部の人にしか知られていない。ごくたまに、世界の要人がペットを連れ、お忍びで訪問して来るのだ。
「いやあ、どうもすみません。山羊さんたちは、僕を嫌っているみたいですね」
へらへら笑いながら頭を下げると、アーデルハイトは首を横に振った。
「それは違うわ。あの子たちはあなたに、純粋な競争心を抱いているの」
「は、はあ、なるほど」
競争心とは何だろうか。わけがわからないが、相手は動物と会話できるVIPだ。仕方ないので、もっともらしい顔で頷いた。
そんな明世に向かい、アーデルハイトは一方的に語る。
「あの子たちはね、あなたのような人に会ったことがなかった。だから、あなたを追いかけてしまうの。あなたを角で突いてみたいと思ってるだけ。別に、あなたを嫌ってるわけじゃない」
それ、嫌ってるより始末に悪いよ……と言いたかったが、さすがに言えない。何せ、相手は海外のセレブと個人的に連絡を取り合う大物なのだから。
「そ、そうですか。いや、困っちゃいますね」
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