最強の配達娘

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 それから三十分後、明世は次の届け先へとやって来た。目の前には、木製の塀がそびえ立っている。  乗って来たママチャリを降りると、門の前に立った。今時、珍しい古風な引き戸である。 「失礼しますよう」  そっと声をかけた。だが、返事はない。 「またなのかい……」  ため息をつき、引き戸を開けて中に入っていく。  庭は、見事な和風の庭園であった。巨大な池には橋がかけられており、大きな錦鯉が悠々と泳いでいる。傍には、石灯篭も立っていた。地面には小石が敷き詰められており、木が等間隔で植えられている。  そんな中を、明世は静かに進んでいく。  やがて、木造の家屋に辿り着いた。ここには、ブザーが付いていない。そのため、大きな声で呼ばなくてはならないのだ。 「村西先生、荷物ですよ。サインお願いしまあす」  呼びながら、軽くノックしてみた。が、返事はない。 「村西先生、いないんですか?」  もう一度、呼んでみた。すると、後ろでガサリという音が聞こえた。反射的に振り返る。 「お待ちしておりました。お待ち、しすぎたかもしれません」  奇妙な言葉の主は、二メートル近い白人の男だった。赤い髪は肩までの長さで、肩幅は広く骨組みはしっかりしている。全身が鋼のごとく鍛え抜かれており、分厚い筋肉の鎧が肉体を覆っている。まだ二月だというのに、白いパンツだけの姿だ。しかも裸足である。  それだけでも、充分にまともではなかったが……肩には、巨大なハンマーを担いでいた。  この男こそ、明世の捜していたトール村西(ムラニシ)だ。彼は、江戸時代から続く実戦格闘術・猛進撃滅柔術(もうしんげきめつじゅうじゅつ)村西流の第十五代目継承者なのである。  トールは、スウェーデンにて生まれた。学生時代に日本を旅行中、村西流柔術と出会い、その動きにすっかり魅せられてしまった。卒業後に彼は来日し、第十四代目師範の村西一陽(ムラニシ カズヒ)に弟子入りする。  二十年に渡る修業の末、トールは外国人として初めての村西流師範となったのだ。担いでいるハンマーは、継承者の(あかし)である。 「お、お荷物をお届けに来ました」  引き攣った笑顔を浮かべながら、明世は荷物を渡そうとした。だが、トールは首を横に振る。 「その前に、あなたにやってもらいたいことがあります。香織さん、出て来なさい」  すると、屋敷の中からひとりの女が出て来た。冬だというのに、タンクトップを着てアーミーパンツを履いただけの姿だ。しかも、なぜか首から紐付きの法螺貝(ほらがい)をぶら下げていた。  さらに、濃い脇毛を生やしていた。 「彼女は、私の弟子の白木香織(シラキ カオリ)さんです。今から、彼女と組手をしてください。ルールは簡単、この首からぶら下げている法螺貝を奪うことです。そうすれば、ちゃんとサインしますよ。ただし、あなたが香織さんにKOされたら、あなたには私の弟子になってもらいます」 「は、はあ?」  明世は、軽い頭痛と目眩を覚えた。なぜ、そんなことをしなくてはならないのだ? 「あのう、僕は次の配達が──」 「素直になるのです。心のままに自らを解き放ち、彼女に向かって行きなさい。では、始め」  直後、香織が猛然と襲いかかる──  明世の顔面を、香織の上段回し蹴りが襲う。それは、単なる力任せの蹴りではない。鞭のように速く、刃物のように鋭い。明世も、上体を逸らして避けるのがやっとだ。 「ナイスですねえ。実にナイスな攻撃です」  言ったのはトールだ。この男、来日した直後に怪しげなDVDを多数観て日本語を学んだ。そのため、無茶苦茶な日本語を覚えてしまった。  もっとも、今はそんなことを気にしている場合ではない。香織の攻撃は速くキレがある。バレリーナのような華麗な動きから、一撃必倒の攻撃が放たれるのだ。  仕方ない。明世は、とっさに背中を向ける。  屋敷の壁に向かい、走り出した── 「香織さん、壁際で仕留めるのです」  トールの言葉に、香織は走り追いかけてきた。明世は、自ら壁に向かい走っていく。  直後、驚くべきことが起きる。明世は、壁を垂直に走り登っていったのだ。  かと思うと、パッと飛び上がり、空中でくるりと一回転した。そのまま、香織の背後に降り立つ。  香織の方は、明世がいきなり視界から消えたことに混乱し、慌てて左右を見ている。  その隙に、パッと飛びつき法螺貝を取り上げた。 「取りましたよ! これでいいですね! サインください!」  叫ぶ明世。すると、トールはうんうんと頷いた。 「うーん、ナイスですね。実にナイスな動きです。明世さん、今日は負けを認めましょう。ですが、いつかあなたを私の弟子にします。このミョルニルに誓うのです!」  吠えながら、トールはハンマーを振り上げた。そのまま、地面に叩きつける──  凄まじい轟音、そして地響き……まるで地震のようである。だが、明世はものともせず伝票とペンを渡す。 「では、サインください!」
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