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幸せに満ちる島
軽快な動きが、むしろ不安になる。ドッジは頭をシートに持たれ掛け、きつく目を閉じていた。
なぜこうもグラグラと姿勢を変えるんだ。ひょっとして、空軍あがりのパイロットがラムでもひっかけながら軍用機のつもりで操縦してるんじゃないだろうな。そう思うほど大バンクを繰り返していた四十人乗りのプロペラ機だったが、島の上空にさしかかるとそれも落ち着き、こんどは滑走路へ向けて嘘のように滑らかなアプローチを始める。ジェット旅客機では降りられないこの小さな空港が、メルバ共和国の玄関口だ。
空港職員は、降機してきた客をロクにチェックもせずに通していく。SFOからメキシコシティ国際空港、さらにジャマイカのキングストン空港を経由し、そしてここ、メルバ共和国メルビア空港へと、警備はどんどん手抜きになっていく。
「いいじゃねえか、長い時間待たされるより」
「だが、これではどんな物騒なものと一緒に飛ぶことになるかわからないぞ」
「いーのいーの、ちゃんと着いたんだから」
さっさと空港から出たエイジが、
「わぁお」
おバカな叫び声をあげた。
目の前に真っ青な大洋が広がっていた。空港はならした高台の上にあり、そこから雄大な景色が広がっている。なんらさえぎるもののない青と碧が広がり、強烈な太陽の日差しが、見えるものすべてに照りつけている。足元からの一本道がゆるく下りながら伸び、白い砂浜へ弧を描きながら接近していく。道の両側には白壁やオレンジ壁の土産物屋が並び、観光客に向かって店員が愛想を振りまいている。砂浜が近くなると、店は道の片側だけになり、替わりにヤシの木と真っ赤なボトルカーがいくつも並んでコーラを売っている。
「なんだよ、物騒で寒々しい社会主義国には見えねえぞ」
「メルバシティはいちおう観光都市だからな。メルバっていうのは喜びって意味だとさ」
島の東側には休眠した火山が赤茶けてそびえ、周囲を熱帯性の密林が取り巻いている。山裾は真っ青な空をバックになだらかに海へと向かい、最後は白い砂浜に変わって海中へと消えている。 砂浜の白と赤茶けた山肌、そして密林の緑。それら全ての背景には真っ青な空と海がある。赤道に近い自然豊かな島国は、たしかに喜びに満ちていそうだ。そう思ったとき、
「泥棒!」
とつぜん甲高い声が上がった。
まわりの人間が一斉に目を向ける。男がひとり、胸に荷物をかかえて走ってくる。逃げ走る男に、だれもかれもが道を開け、男が通り過ぎると今度はその背中を見送るように道いっぱいに広がってしまう。追いかける人間は、その人垣に阻まれて距離が開いているようだ。エイジもひったくり男の直前で身をかわし、しかし片足だけは残した。
ドッターン!
エイジの足に引っ掛かって、男は見事にすっころんだ。女もののハンドバッグが転がり落ちる。エイジがそれを拾い上げると、ひったくり男はエイジの手にあるバッグと後ろから追ってくる人影を交互に見てから、だっと逃げていった。
「おい、エイジよぉ。あんまり目立つことすんなよ」
いつの間にか離れていたドッジが、渋い顔で戻ってくる。
「そうはいかないだろ。だって、ほら……」
追いかけてきた人物が、エイジの前で止まる。膝に手を突き、肩で息をしている。
「どうも……ありがとう」
ドッジも合点がいった。息を切らせて顔を上げたのは若い女だった。小麦色の肌と長いブロンドヘア。涼しげな目元にアゴ先までシェイプのかかった整った顔立ち。全力で走ってきたせいか、グリーンの瞳が潤んでいる。だめだ。これは、むしろエイジが目立つことをしたがるパターンだ。
「お安いご用ですよ」
エイジはキザったらしい態度で女性にバッグを渡す。
「むしろ私の方が光栄です、レディ。この国に着いて早々、あなたのような美しい方のお役に立てるなんて」
芝居がかったエイジの態度に、かえって女性は戸惑っている。
「え、ええ、っと、観光の方……ですか?」
「ええ、そうです」
そこでドッジが横に並んだのがまずかった。
(え、男ふたりで観光?)
女性が不審な顔をしたのに気付き、エイジは慌てて付け足した。
「ああっと、ビジネスと、ついでに観光も」
「ああ、なるほど」
「そーだ。せっかくこうしてお知り合いになったんだし、どこか面白いところ案内してくれない?」
「え、」
「おい、なに言い出してんだ。仕事の途中だろ」
「いいじゃねぇか、堅いこと言うなって。ねぇ、お嬢さん」
「え、えーっと 」
「ほら、困ってらっしゃるだろ。すみません、コイツ美人を見るとすぐに──」
「べつにかまいませんよ」
「え、」
「ほんとに?」
くすりと女性は笑う。
「ええ、バッグを取り返してくれたお礼。メルバは返さないと。私、モモカって言います」
「ではモモカ、さっそく」
「えっ、ちょっと!?」
エイジはモモカの手をつかむと、目の前の店に飛び込んでいく。
「おいっ、エイジ! おいっ!」
あっという間に二人は店の奥へと消えていく。その後ろで盛大なため息をつくドッジを、旅行者たちが何事かと見ていた
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