Ural region Russia / Dec 8th 19:18(Local Time)

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 悪酔いしたマダムがソファで寝潰れている。思いもよらぬ形で、一般客では入れないエリアへと招いてもらうことができた。これは大きな幸運だ。  マダムがぐっすりと眠りこんでいるのを確かめると、エイジはすばやく服を脱ぎ捨てた。タキシードシャツの下から、真っ黒な一枚つなぎが現れる。薄い生地がぴちっと体に張り付き、爪先まで覆っている。AMIAの開発したこのアンダースーツを、エイジは潜入ミッションのときに好んで使っていた。ハイパーアラミドとテフロンを主材にした連鎖重合材を基に──と、ドッジなら何時間も講釈を垂れるだろうが、このスーツの利点を簡潔にいうなら、高い断熱性と耐衝撃性だ。僅かな厚みにもかかわらず、この特殊繊維は火炎の熱や落下の衝撃に対してかなりの防御力を発揮する。赤外線の遮蔽率が高いことで、焦電式の赤外線センサーの探知も受けにくくなる。さすがに防弾性能までは備えていないが、それが求められるときは上に防弾ジャケットをまとえばいい。  エイジは脱ぎ捨てたタキシードの背広を手に取り、裏地を剥ぎ取る。同じ素材でできた手袋とフェイスマスクを抜き出し、まだ露出している首から上と両手を隠蔽する。メッシュ地の目元だけは遮蔽率が下がるが、それでもセンサーから3フィートも離れてしまえば、まず探知される心配はない。  バルコニーのガラス戸を開くと、冷え切った外気が部屋へと流れ込んだ。素早く外へ出て、ガラス越しに部屋をのぞくとマダムは変わらずにソファへ身体をあずけている。  エイジは周囲を確かめ、またも幸運を感じた。そこは城の西側だった。この地方は冬のあいだ、つねに南東方向からの風が吹き付けている。そのため西側の壁には雪の付着がほとんどない。しかも、いまは城の反対側にある駐車場へ眩い光が投げかけられ、エイジのいる西側壁はその影に沈んでいる。 (どうやら運が向いている)  こういう時のミッションはうまくいく。エイジは城の外壁を登りはじめる。壁に刻まれた装飾を掴み、やすやすとひとつ上の階までよじ登ると、再度城の中へ侵入する。この階は照明も消え、パーティの喧騒も聞こえてこない。暗い廊下を足音も立てずに進み、またひとつ階段を上がる。警戒していた焦電センサーなど、ひとつも無い。 (どうやら買いかぶりすぎだったか)  しかし装備があって困ることはない。その反対は、嫌というほど経験してきた。警備が手薄なら、それだけ楽になるというものだ。エイジはそう思いながら、それでも慎重に足を運ぶ。階段や廊下の角で目を凝らし、警戒しながら最上階へつながる階段までたどり着く。ここまでセンサーの一つもないとは。侵入者のことなどまるで考えていないのか。今日のパーティも、ボディチェックを厳しくして、ホールの周りに部下を厚く配置すれば大丈夫だと思っているのだろう。組織としてはまだまだ甘いようだ。  だが最上階はどうだろうか。さすがになんらかの警戒がありはしないか──そう考えていると上階に気配があった。エイジはすばやく角に身を隠す。パーティホールのテラス席にいた男が降りてくる。あのアンダーボス。この先にいくつかのセンサーがあったとしても、あの男ならそれらをパスできるIDタグを持っている可能性がある。  しかし、エイジは動かない。目的は組織の情報を得ることだ。あの男の顔は押さえた。下手に失点を与えて、ナンバーツーの人間が入れ替わってしまえば、さっそく情報を古いものにしてしまう。  壁に身を潜めるエイジの側を、アンダーボスは鼻歌を歌いながら降りていく。それを見届け、エイジは再度周囲の気配を探る。大丈夫だ。エイジは最後の階段へと足をかける。
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