Ural region Russia / Dec 8th 19:18(Local Time)

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ドッジは正面玄関に続く通路にいた。 ズボンのポケットに手を突っ込み、飾ってある絵画や調度品を鑑賞しながら歩いている。廊下がT字に交差したところに飾り卓があり、一点の壺がライトを受けて光っている。 ドッジはそれを眺めるふりをして近づくと、そっとポケットからスーツの予備ボタンをつまみ出した。目立たぬように落とし、つま先で壁際まで転がす。 スマートに城を出られればこんなものは不要だが、用心に越したことはない。ここまで来るあいだにも、いくつか落としてきた。通路の交わりや階段の踊り場、いずれも人が集まればごった返すところだ。あとはエイジからの合図を待つだけだが、できるだけ出口の近くにいたいものだ。この辺りでうまく時間をつぶせるだろうか。  ドッジは目の前の壺にもういちど目を向ける。瑠璃のガラス壺が、ダウンライトを浴びて光っている。細身で美しく、壺というよりは花瓶なのかもしれない。コバルトブルーのガラス片がモザイクに貼り付けられ、その下でキラキラと金砂が光っている。鑑賞するフリをしながらエイジの合図を待つもりだったが、ドッジの目は本当にそれに吸い寄せられていった。  最上階にも特別な警戒はなかった。階段を上がりきったエイジは、暗い廊下に身をかがめている。  廊下は短く、一番奥のドアから明かりが漏れ、なにか声がしている。おそらくあそこに目的の男がいる。直接部屋に入るわけにもいかず、エイジは二つ離れたドアへ身を寄せると、耳を澄ませ室内の様子を探った。物音も、人の気配もない。静かにドアを開け、部屋のなかへ滑り込む。窓から入る雪明かりで、室内はうすい青に染まっている。布を被せた荷物がいくつも置いてあり、めくってみると彫像や絵画の類だった。あれこれと買い漁って、そのまま放ったらかしてあるのだろう。無粋だな、とエイジは思う。  もういちど窓から外へ出る。壁へ取り付き、三部屋分をトラバース。直登よりも体力を使うが、目的の窓に着いてもじゅうぶん体力は残っていた。バルコニーの隅で身をかがめ、中をうかがう。電話中らしい声が聞こえる。そっと覗くと、部屋のなかにひとり、たくましい体躯の男がいる。赤みがかった髪と髭。頑強そうな顔付き。やっと顔が拝めたな。小型カメラを取り出しVモードで記録、音声も収める。あとは撤収するだけだ。 エイジはもういちどトラバースして絵画の部屋のバルコニーへ戻ると、そこからザイルを垂らす。三階分を垂直降下。 ここからもう一階分降下したら、マダムのいる部屋へ戻り、服を整えて堂々と城を後にする。完璧だ、そう思った時、 「エイリシアさまあぁー、どこへいったのぉぉぉぉ!」 野外ライブのごとき大音量が、エイジのいるバルコニーにまで届いた。 「エイリシアさまぁぁぁー! エイリシアさまあぁぁぁーー!」 城じゅうに響き渡るマダムの声に、五人、十人とマフィアが集まってくる。ホールで声をかけてきたあのSPもいる。鍵のかかった扉へSPがマスターキーを使った途端、爆発のごとき勢いで扉が開け放たれた。群がっていたマフィア達が吹っ飛ばされる。半狂乱のマダムがSPに掴みかかる。 「あの人はどこ! エイリシアさまはどこよぉぉぉー!」  ガクンガクンと頭を揺らされながら「知りません、知りません」と、なんとかSPが答えると、マダムは「うぉーん」と泣きながら廊下を走っていく。SPはクラクラする頭でマダムの後ろ姿を見送ったあと、部屋のなかに脱ぎ捨てられているタキシードに気が付いた。
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