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パラソルの下にいても、真っ青な空と太陽の輝きを感じられる。プールでは、若い女性がゆったりとしぶきも上げずに泳いでいる。
水面が波うち、金色の細かな反射が眩しく目を射す。まだ三日と経っていないあのロシアの地は、まるで別の惑星であったかのように遠い。ドッジも、隣りのビーチチェアでのんびりと新聞をめくっている。太陽の熱はそよ風にまで溶けこんで、その熱い風を浴びてエイジは微睡む。水音がゆっくりと遠のき、そして、
「な、な、なんだってー!!」
突然ドッジが大声を上げた。
「なんだよ、うるせえなあ」
「これ見ろ、これ!」
ドッジが新聞を突き出して、バッサバッサと揺らしてくる。
「なんだってんだよ、ったく。あぁん、ウラジミール公国時代の財宝、イルクーツクの湖底に発見?」
記事にはつい先日見た瑠璃色の壺と、中華系の血を感じさせる小太り男の笑い顔が載っている。
「帝政ロシアの末期に盗難にあったまま、三百年間行方不明であった国宝級の品が発見された。歴史的な発見に、専門家は三億ルーブルは下らない価値があるとみているが、なぜイルクーツクに沈んでいたのかはわからず……」
「あの骨董屋だ、あのやろぉ。なにがイルクーツクだ。おれが持ち込んだんじゃないか!!」
「でもおまえ、名乗り出ることできないだろ」
「ぐあぁぁ、ふざけやがって。だからって、なんでイルクーツクなんだ。あの城の場所を考えてみろ。カスピ海かアラル海で発見したって発表するべきだ。おかしいだろ、なんで三千キロも離れたイルクーツクなんだ!!」
ドッジはヘンなところに文句をつけている。
「それがいいんだろ。どうしてそんなところにあったのか、まるでわからない。出所を隠すにはその方が都合がいい」
「ぐぁぁあぁ」
ぐしゃぐしゃと新聞を丸めてドッジは頭を抱える。そのタイミングを見計らったかのように、テーブルのスマートフォンが震えた。
「ほら、電話だぜ」
「はぁー、こんな時でも仕事はやってくるんだなぁ」
ドッジは溜め息と共にスマートフォンを取り上げた。耳に、馴れ馴れしい女の声が入ってくる。
『ハイ、トニー。ブダペストの天気はどう? そういえばエミリアと縁りを戻したって本当?』
ドッジはスマートフォンをいったん耳から離すと、キーボード表示に切り替え、T、B、E、のキーを長押しする。耳に戻すと頭が痛くなる。守秘回線に切り替わったことで発する高周波は人間の可聴域外だというが、ドッジはいつもこれを頭痛として感じていた。ドッジは力なく返事をする。
「よぉ、テレシア。ブルックリンの生活はどうだ。エミリアと別れたこと、もう知ってんのかよ」
『ジャニスとアンソニーもようやく結婚するって。知ってた?』
暗号化によって水の流れるようなノイズが入り、女の声はその水流の下に沈んで聞こえる。
「あの二人はずっと上手くいってなかったからな。仕方ないさ」
『そうそう、今度うちでホームパーティやるのよ、来月の二十日。来てくれないかしら』
「わかった。出席するよ」
エイジが隣でワザとらしく大きなため息をついた。ドッジは電話を切って顔を向ける。エイジがぶさむくれた顔でにらんでいる。
「な、なんだよ」
「俺たちは休暇中だろ。なんで簡単に『出席』にしちまうんだよ」
「いいかエイジ、仕事っていうのはな、無いよりもある方が幸せなんだ」
「お前こそ、仕事だけの人生は不幸だと知りやがれ」
エイジはビーチチェアの上に片膝を立てて、ムスッとそっぽを向く。二人はキラキラと反射するプールの水面を見つめる。沈黙のまま、何分かが過ぎ、
「……で、なんだって?」
不機嫌な声でエイジが尋ねた。
「来月の二十日にホームパーティやるから出席しろ、だと」
「はぁ? 明日の二十時に本部だぁ?」
エイジはすっとんきょうな声を上げ、もう一度、がっくりと首を垂れる。ドッジは静かに、諭すように話かけた。
「あのな、エイジよ、」
「こうしちゃいられん!!」
しかしエイジはガバッと立ち上がり、辺りをきょろきょろと見回しはじめる。
「な、なんだ、土産か?」
「ちがう! ナンパだ、ナンパ!!」
「な、ナン……?」
「こうなった以上、俺は今夜、タヒチの女の子と熱ーい夜をすごさなければならない!! あっ、そこのキレイなお姉さーん!!」
バビュンと駆け出していくエイジの後ろで、今度はドッジががっくりと顔を覆った。
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