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【危機対応統括情報局(Against Menace Intelligence and Analysis)】 通称AMIA。その本部は、カリフォルニア州サンノゼにある。
空港から直接やってきたため、二人は時間よりも早く到着していた。会議室で待たされるあいだ、エイジはテーブルにだらしなく突っ伏し、休暇を二日で取り上げられたと、まだブツブツ言っていた。その隣で、ドッジは居住まいを正している。
「おい、そろそろ課長が入ってくるぞ。ちゃんとしろよ」
「ぅるせぇ、本当なら、あと十日はタヒチにいたんだ」
「ナンパに失敗したからって、むくれてんじゃねぇよ」
「ちがあぁうぅ!! タイミングが悪かっただけだ! どの女の子もみーんな『もう予定が入っちゃってるのぉ』って、そりゃあもう、心底残念そうに。タヒチの女の子ってのは、みんな忙しいんだ」
(やっぱフられてんじゃねえか)
ドッジは憐れみをこめた目でエイジを見やる。エイジは頬杖をついて向こうへ顔を向けている。カチャリ、とドアが開く音がし、エイジはそっぽを向いたまま、開口一番文句を垂れた。
「課長、休暇の切り上げとか勘弁してくださいよ! それとも、うちの最高責任者ボロー将軍は、部下の休暇も数えられないほど、もうろくしちまったんですか!」
「…………」
いつもならエイジのボヤキに軽口を合わせてくるはずの課長が、言葉を返さない。
「んー?」
まぬけ面をめぐらしたエイジの目に映ったのは、直属の上司であるジェフリー・ファーガソン課長の渋面と、その後ろでこめかみをヒクつかせているAMIA最高責任者──エイジが口にしたカール・ボロー空軍大将の姿だった。
ガバッ! と立ち上がり、直立不動の姿勢になる二人。その背後を、ボロー将軍は必要以上にゆっくりと通り過ぎる。ファーガソン課長はドアをロックしてから将軍の後に続き、二人は並んで正面の席に着いた。咳払いをひとつ入れてからボロー将軍が声を発した。
「座りたまえ」
「「はっ」」
「なにやら、私の指揮遂行能力に懸念をもっているようだが……」
「……」
ゴクリと唾を飲む二人。
「わるいが、話を聞いてやれる時間はない。そもそも私は、君たちと話したことも、会ったこともない、そういう関係だからな」
横でファーガソン課長が険しい顔で頷いている。そしてボロー将軍は、前置きもなく言った。
「メルバ共和国最高評議会議長、ハエムを暗殺してもらう」
二人は平静を装うのに失敗した。いまの時代に、一国の首脳を暗殺しろだと? それも、メルバ共和国の……。本当にボロー将軍の正気を疑うような話だった。
メルバ共和国はカリブ海に浮かぶ小さな島国家だ。リトルキューバと呼ばれることもある、アメリカの喉元に突き付けられたもう一つの社会主義国家。もっとも、その存在が意識されることはほとんどない。キューバという現実の脅威に対して、メルバの存在はあまりに小さいのだ。小島ひとつの国土は、面積にしておよそ三〇〇k㎡。ハワイのラナイ島と同程度、日本の淡路島の半分にもならない。農漁業で自給し人口も三万に届かない。国家といいながら、アメリカの片田舎にすら及ばないような存在だ。そんな小国に対して、なぜ……。
「おまえたちの疑問も無理はない」
腑に落ちない顔の二人に向かって、こんどはファーガソン課長が口を開いた。
「知ってのとおり、我がアメリカの目の前にはキューバという社会主義国家がある。半世紀にわたって我々を脅かしてきた赤い島だが、いまはかつてほど危険な相手ではなくなった。そこそこに経済発展を遂げ、近代国家としての体裁を整えた、いわば話の通じる相手になった。実際に二年前から国交正常化へ向けた協議がはじまっている」
「一方でメルバは──」
ボロー将軍が話を継いだ。
「メルバは、キューバの盟友でありながら、近代化の置いてけぼりをくらい、いまだに経済危機に喘いでいる。王国だったかつては、産出される宝石とその加工技術が世界的に評価され、メルバ産のグリーンガーネットや翡翠をつかった時計などは世界中で愛好され、高値で取引されていたものだ。それを、キューバに触発されて社会主義国家となったことで、それらの技術は失われてしまった。いまとなっては、サトウキビとスピリッツしかないような島だ。自ら泥沼に飛び込んでおきながら、彼らはその鬱憤を我々に向けている。身勝手に我々を憎み、悪いのはアメリカだと言って軍備拡大をはじめようとしている」
「ですが、閣下……」
ドッジは言葉を選ぶ。
「メルバのような小さな島がどれだけ軍拡をしようと、たかが知れています。それでもと言うのなら、まずは外交筋から圧力をかけるべきではありませんか。それを、いきなり暗殺とは──」
「ハエム暗殺は可能かね」
ドッジの言葉をボロー大将は遮る。ドッジは慎重に答える。
「……簡単ではないでしょう。いちばん成功に近いのは爆殺でしょうか。狙撃でも可能性はありますが」
「そういったやり方では駄目だ。事件性を持たれない、事故や自殺、あるいは急病死、そういう形で、だ」
「そんなの無理に決まってる。どんな小国だろうと、相手は一国の首脳だぞ」
エイジが応える。
「だが、そうでなくてはならん。我が国の関与をなんら疑われることなく、ハエムという人間を電撃的、突発的に取り除かなくてはならん。ゆえに、外交交渉も抜きで事をすすめるのだ。万が一にも我が国の関与を疑われれば、二年ものあいだ協議してきたキューバとの関係改善は白紙に戻る。それどころか一気に開戦前夜だ。我が国の経済は疲弊している。敵対国家を減らしこそすれ、増やすわけにはいかない」
「だったら、なおさらだ。慎重を要するタイミングと言いながらリスキーな手段を選ぶのは、ナンセンスってもんだぜ」
「違う。このタイミングゆえにこの事態が生まれたのだ。キューバとメルバの関係を我々も見誤っていた。キューバはメルバを押さえると思っていたのだ。だが違った。メルバは、キューバとアメリカが関係を深めれば自国だけが取り残されると考え、その前に自力で我が国へ立ち向かおうと動き始めた」
「キューバとメルバは上下の関係ではなく、対等の関係だったと?」
「少なくともメルバ側はそう思っている。小島ひとつが、根性は見上げたものだよ」
「しかし閣下。その小島ひとつの軍備です。歩兵は百にも満たず、戦闘機は保有すら怪しい。あったとしても、せいぜい二世代前の機体が二、三機でしょう。これから調達したところで十機も揃わない。アメリカにとって脅威になるとは思えません。なぜ、首脳暗殺などというリスクの大きな手段を取る必要があるのです。なにか確定情報があるのですか」
「もちろんある。いまハエムをやらなければ世界は危機に陥る」
ボロー将軍は自信たっぷりに応え、ファーガソンに目を向ける。ファーガソン課長が何枚かの写真を広げた。ボローは衛星から撮られた一枚を示す。
「化学兵器の製造が可能なプラントだ。さいわい、まだ稼働はしていないがな」
そこには近代的なコンビナートがはっきり映っている。何本かの煙突から白く蒸気が上がり、うねった金属パイプやコンベアがそれぞれのプラントを結んでいる。たしかに経済発展の遅れたメルバ共和国には不釣り合いの代物だ。
「こっちは建設中の秘密滑走路だろう。座標が不明なのが厄介だ」
二枚目は地上から撮影されたものだ。密林が一直線に、トンネルのように切り開かれている。舗装されていない赤土のままだが、整地はきれいになされている。路のそばまで木の幹がせまり、枝が被りぎみになっているため、高空からは細い一本道に見えるだろう。端が見えないので、かなりの長さがあることは間違いない。しかし、これが滑走路か? 離陸だけなら、ここを無理やり滑走させれば飛び立てるかもしれないが、着陸はどう考えても不可能だ。航空基地として使えるわけがない。
「これはまだはっきりしていないが……」
ファーガソンが三枚目の写真を出す。また衛星から撮ったもので、島の東海岸と思われる。よく見るとなにかの工場が写っている。密林に合わせた塗装が施され、遠目には周囲に溶け込んで見える。ここはあきらかに隠蔽の意図がある。
「AMIAでは、これはウラン濃縮工場ではないかと分析している」
「!!」
二人は思わす腰を浮かせた。メルバは単純な軍拡を進めているわけではない。核を持とうとしている。それもアメリカの目と鼻の先で。
「わかったかね、事の重大さが」
ボロー大将が厳しい顔で二人を見つめる。
「なぜ、いままで探知できなかった」
「目の前にキューバがあったからだ。これまでメルバは脅威ではなく、そしてキューバは現実の脅威だった。我々はキューバに対し国交も貿易も封鎖してきたが、我が国と歩調をあわせない国も多い。君のルーツもそのひとつだったな」
じろりとエイジを睨めつけてから、ボローは続ける。
「キューバは、東側と西側、両陣営から知識と技術を取り入れている。そのキューバを通じてメルバも技術を向上させたのだ。キューバからの技術供与や生産委託もあるのだろう。メルバの技術は想像以上に進んでいる。われわれはキューバに監視の目を置き過ぎて、メルバをノーマークにしていたんだ」
「メルバが核開発を進めているとして、完成までの猶予はどのくらいあるんだ?」
「わからん」
「しかし将軍、たとえ核爆弾までは作れたとしても、運搬方法がないでしょう。核兵器は、開発そのものよりそれをミサイルに搭載できるサイズまで小型化させるほうが難しい」
ボローはふーっと息をつき、まじまじとドッジを見る。ドッジも目をそらさない。ボローは背もたれに体を預け、うんざりと言った。
「さっきの二枚目だ。帰還を考えないカミカゼアタックなら、あの滑走路で十分だ。二世代前のものでいい。マッハクルーズ可能な機体を調達し、腹に核を括り付けて飛び立てば、それはもうミサイルと変わらん。マイアミまで距離五〇〇マイルのところから超音速機が飛び立つんだぞ。気づいたときには、とっくに防空圏だ。メルバが十機を調達したとして、我が軍のスクランブルがその半分を撃墜しても五都市は核の炎のなかだ。君もそのくらいわかっているんだろう」
「……」
「詳しい作戦を立てましょう」
たしかにメルバの軍備増長をこれ以上放置するわけにはいかない。エイジの目はいつになく真剣だった。
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