涼 47歳

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「母さん、ちょっと出かけてきます」  秋、落葉が舞う季節。  あたしは、ショールを手に、玄関から声を掛けた。 「どこへ?」 「先輩のお家へ」 「…学生みたいだね。先輩、なんて。朝霧さん?」  母さんは、首をすくめた。 「ええ。帰りに政則さんの会社に寄って一緒に帰ります」 「はいはい。遊んでらっしゃい」 「行ってきます」 「いってらっしゃい」  母さんに見送られながら、元気よく玄関を出る。  あのセレモニーから、あたしは…先輩のお家によくお邪魔する。  先輩も、ずっと…あの頃を封印したままだったらしく。  最近は、そのうっぷんを晴らすべく、あたしたちは連絡を取り合っている。  母さんも…ずっとあたしに対して抱えていた贖罪の念が消え去ったのか。  あたしがこうして遊びに出かける時は、とびきりの笑顔を見せてくれる。  肩の荷が下りた…と言えば…。  晋ちゃんは、先月ものすごく若いアメリカ人女性と結婚して、周りを驚かせた。  政則さんは、突然のようにオルガンを買って。 『実は、昔少しだけ習ってたんだ』って…教えてくれる。  でも、所詮…昔の話。  結局は、二人とも素人同然。  宝智と母さんは、騒音に悩まされる毎日。 「こんにちは」  朝霧邸にたどりついて、大きな声で言うと。  二階のバルコニーから、先輩が顔をのぞかせた。 「あ、涼ちゃん。あがってー」  玄関を入ると。 「いらっしゃい」  丹野さんの娘さん…瑠歌ちゃん。 「こんにちは」  あまりにも丹野さんにそっくりで、切なくなる反面愛しくてたまらない。  偶然というか、宇野さんの企み通りというか。  丹野さんの娘さんが、先輩の息子さんと結婚することになった。 「今ね、二人でケーキ焼いたの」  先輩が、瑠歌ちゃんと顔を見合わせて笑う。 「あ、いいなあ。あたしも世貴子ちゃんとそういうことしたいんだけど、忙しそうだから」 「でも、一緒にお茶点てたりしてるんでしょ?」 「ええ。分からないなりに一生懸命でかわいいのよ」  先輩が運んで来たケーキを、瑠歌ちゃんが切り分ける。  手に着いた、とそれをペロリと舐めて笑顔になった。  穏やかな日差しの中で。  あたしは、長い夢をみていた気分だと思った。  それから覚めても…あたしはずっと幸せだった、と気付くだけ。 「先輩」 「ん?」 「あたし、今オルガンの練習してるの」 「オルガン?」  先輩が、笑う。 「ええ」 「何の曲?」  あたしはとびきりの笑顔で、先輩に答えた。 「もちろん、ネコふんじゃった」  5th 完
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