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「和美ちゃん。わしは今日もジュース奢ったろか?」
その中でも、今話しかけてきた堀内さんは特に和美に優しかった。しかも、もう孫もいる年齢なのに年下だからではなく可愛い女の子だからという理由で優しいのだ。
「いいですよ。今日は」
「ええんよ。ええんよ。かわいいから」
「えー。そんなことまた言って」
他の年上の同僚は好きだが堀内さんは、気持ち悪くて嫌いだった。しかし、次のシフトでも自分の担当の部屋も掃除してもらうため愛想よく接しないといけない。
「遠慮せんでええって」
更衣室で着替えを終えた和美は結局、旅館の外にある自販機で堀内さんにジュースを奢ってもらった。ジュースは自販機の中で最も高いものを選んだ。
それが終わると、軽い挨拶だけでさっさと堀内さんから離れて帰路に就く。
本当は自転車に乗る前に鈴を鳴らしたいが、こんなところで変わる訳にもいかないので女の姿で自宅へ向かわなければ――。
日本全国で有名な温泉の名所である和美が住む町は、立ち並ぶ家屋が古き良き和の作りで美しかった。この温泉街から自転車で少し漕げば自然も多い閑静な住宅地に出ることができる。都会でも田舎でもない丁度よい住み心地のこの町が和美は好きだった。
空では街を彩る綺麗な夕日が輝いている。和美は人が少ない通りに出ると、さっき堀内さんに奢ってもらったジュースを鞄から取り出し、片手で自転車を運転しながら豪快にラッパ飲みした。
雲一つない空で当たり前に座っているあの夕日は――もう少しで月に姿を変えるだろう――。
和美が1人暮らしで住むマンションの自室は、主に青色や緑色でコーディネートされていた。そして、基本的にはどこも散らかっている。
リビングの机の上には昨日の夜に飲んだチューハイの空き缶、ベッドの横には少年漫画が積まれていた。唯一片付いている筋トレ用マットの上で今夜も筋トレをして、ダンベルを持つつもりだ。
和美は玄関のドアのカギを締めれば、女が持っていてもおかしくない茶色の鞄を投げ捨てて、取り出したひも付きの鈴を耳元で鳴らす――。
そうすると、家の天井との距離が立っているだけで縮まっていく。服を広げる膨らんだ胸は平らになっていき、尻も軽くなる。
そう、僕は和美じゃなくて和男。女じゃなくて男。変わる人間だ。
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