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野獣、正体を現す
(一)知的障害児のお嬢さんとの奇妙なお見合い
そして、康祐は教職に復帰した。数々の暴力事件をネタにして生徒の笑いをとっていたので、いつしか人気ナンバーワン教師となってしまった。そんなに出来のいい学校ではなかったので、康祐の暴力沙汰の話を生徒達は食い入るように聞いていた。勿論、嘘言を織り交ぜながらの話である。アフガニスタンのことは隠していた。しかし、町へ出てのチンピラとの喧嘩については尾鰭をつけて話した。康祐につけられたあだ名は「クレイジー・ティーチャー」であった。
そんな折り、康祐はその娘と再会する。
その娘は、名を洋子と言った。何処から見ても普通の「お譲さん」である。
康祐がこの娘と出会ったのは前任校の盲学校だった。
盲学校には盲人ばかりが入学してくると思ったら大きな間違いで、様々な障害を持った生徒が集まっていた。その盲学校を去ってから十年近くの歳月が経っていた。
「その娘」は一見誰が見ても普通に見えたのだが、何かが大きく違っていた。特に泣き方が尋常ではなかった。高校生にもなって小さな子供が駄々をこねるように大泣きするので、その子が泣いていることは容易に分かった。
康祐はその娘の授業は持ったことがなかったが、泣き声は聞いたことがある。どうも、泣き出すとおさまりがつかないようであった。
そして、その娘には軽い知的障害があることが判明した。
所謂LDであり、第二種の知的障害者であった。ただ、普段の彼女は目鼻立ちがはっきりしているせいか、美人に見え、そんなに大泣きするような態度は全く見せなかった。
転勤になって、その娘のことは忘れていたのだが、ある日突然向こうからやってきた。
*
盲学校を去ってから十年近く経った頃だろうか?知り合いの女性教師から電話がかかってきた。今では当たり前の話だが、当時では珍しく、康祐の電話にはナンバーディスプレイがついていた。公衆電話からだったので、「公衆電話から何の用や?」と少し凄んで見せた。生徒の悪戯電話が多かったからである。すると、電話の向こうで息を飲む声が聞こえ、その女性教師の声が聞こえてきた。
「小山先生、今泉南にいるんですけど、少しお話できませんか?」
一体何の話だ?
「あのう、何の話ですか?」
突然こんなことを言われたら誰もが訝しく思うであろう。しかし、彼女はいつもそうであった。こちらの都合など全く意に介せずに突然自分のペースで話を切り出す「変な人」はどこにでもいる。康祐も「変な人」であったが、彼女はそれに輪をかけて「変な人」であった。
「来たらわかるから来てください」
「(『来たら分かる』って何て強引な呼び出しだろうか。でも、ここは彼女の顔を立てるためにも行ってやるか)分かりました。どうせ暇していたところだったから行きます」
康祐は早速車に乗ってエンジンをかけた。三千ccのクラウンの低いエンジン音がこだまする。久しぶりの外出だ。
そして、愛車のクラウンで三十分ほど走った所にある湯治場へ急行した。クラウンを降りると、湯治場の中にある温泉施設へ徒歩で急いだ。中で先ほどの電話の主が待っているはずだと思ったら---。
そこへ行って康祐は唖然とした。
昔、盲学校で見た「その娘」がいたからである。
その娘は十年前と何も変わっていなかった。やや長い髪の毛にくりくりとした目、そして、その女性教師の傍らに隠れるようにこちらを覗っていた。
「話って何ですか?」
「まあ、そう急がずに。洋子ちゃん、小山先生ですよ。何か言うことはない?」
そんなものあるわけがない。居たことは知っているが教えたこともないのだ。
しかし彼女はなぜか「恥ずかしい」と一言だけ言ってまた女教師の傍らに隠れた。
後で分かったことであるが、これが「お見合い」であったらしい。
その後、彼女のお姉さんやお母さんも交えて彼女と二・三度会い、なぜか「お付き合い」をすることになった。
*
「お見合い」した時は彼女は康祐のことを「優しい先生」と思っていた、否、勘違いしていたのだ。
やがて康祐の凶暴性はその子にも向けられることになるとは誰が想像しただろうか?
康祐は洋子と言う、その娘を三度デートに誘った。待ち合わせの場所はいつも南海の難波駅であった。
実は、洋子はそこ以外の地理には全く不案内なのだ。この娘が方向音痴であることは、その後何回か一緒に旅行して初めて判明した。知的障害というのは方向感覚や電車の乗り方に関する障害でもあるらしいことは、デートをして初めて納得した康祐であった。
そして康祐は彼女を京都や奈良へ連れて行った。阪急や近鉄を使うと直行で行ける。穴場でも何でもない。
金閣寺へ連れて行った時のことである。
洋子が看板を一生懸命読んでいた。
そして言った。
「足利ぎまん」
他の観光客がこちらを見て笑った。馬鹿夫婦と思われたようである。
「足利よしみつだよ」
だが、洋子はそんなことには頓着せず、デートを楽しんでいるようであった。
嵐山に舞妓さんがいた。
「新婚さんですか?」
舞妓が尋ねる。
「いや、恥ずかしい」
洋子は本当に恥ずかしかったのか、両手で目を隠す。
舞妓さんは二人のツーショット写真を撮ってくれた。
そして、三回目のデートの時に比叡山へ登った。
康祐は、この頃からなぜかこの知恵遅れの子をいとうしく思い始めた。
「この子は誰か結婚でもしてくれる相手がいなければ生きていけないだろう」
そう考えを巡らすようになっていた。
この康祐の「優しさ」は本物ではない。康祐は誰でもよいから女を独占したかったのだ。それはちょうど子供が自分の玩具を独占したがる心情と似ている。相手がどんな障害を持っていようが関係はなかった。女を独占することで自分の力を見せつけるというのは、高崎山のボス猿の発想である。洋子も康祐がこんな男だと最初から分かっていたら結婚なんかしなかったであろう。
やがて日は沈み、比叡山の展望台には誰もいなくなる。時は晩秋。かなり冷え込みがきつい。康祐は厚めのダウンジャケットを着込んでいるが、洋子はコート一枚を被っているだけである。冬の比叡の山がこんなに冷えることを洋子は予測してなかったのだろう。勿論、比叡山と言っても、洋子にしてみれば今康祐が自分をどこに連れて行っているのか皆目分からないはずである。
「寒い、寒い」
洋子が言い始めた。
しきりに彼女の背中をこする康祐。
そして次の瞬間、康祐は洋子を抱き寄せていきなり唇を奪った。
しかし、その次の彼女の発した言葉に康祐はさらに驚愕した。
「ああ、先生と一緒にホテルへ行きたい」
そう、彼女は初めてではなかったのだ。そんなこと、その一言で容易に分かる。
「(こいつ、知的障害を持っているのになぜホテルなんか知ってるんだ?)」
実はそれだけではなかった。彼女はセックスをした後男はタバコを吸うといったことや、フェラまで知っていた。男というものを知り尽くしていたのだ。康祐は初めて「女というものは怖い」と言うことを肌で感じていたのである。
以後、体を求めあう「お付き合い」が始まった。
*
元々求めてきたのは康祐からではない。洋子の方である。しきりに「先生、ホテル、ホテル」と言うので仕方がない。康祐は根負けした。
そしてデートの帰りに康祐はラブホテルではなく、シェラトンホテルを利用した。それだけ金には不自由していないわけではなかったが、洋子にいいところを見せたかったのだ。今から考えると痛い出費である。
ダブルの部屋にはいつも空きがあったので、予約なしでも宿泊できた。
そして夜、洋子は鞄からネグリジェを取り出して着替える。そして、まるで売春婦のように康祐を誘うような目つきで康祐の方をチラリと見る。女という動物はこう言う目つきで男を誘うのか?何か気味が悪い。
康祐は全く興奮しなかった。アフガンで殺した女子高生の事が脳裏に焼き付いていたからである。「死体の腹、死体の腹」そんなことばかり考えながら彼女と一緒に布団を被った。
「うーん。どうして立たないの?ちゃんと入れてよ」
洋子がせっつく。
しかし、康祐から見た洋子の姿は、まるで売春婦であった。もっと奇麗なお付き合いをするべきだと思っていたのと、セックスにうつつをぬかす女なんかは眼中になかったのだ。康祐の脳裏にあったのは、あのアフガンで殺した女子高生の死体、そしてさっきまで生きていた女が死体という無機物と化していくあの光景だけだった。
しかし、三か月後、二人は教会で結婚式を挙げた。康祐は、もう四十も近かったので、式は身内だけで執り行った。
披露宴で誰かが「キスをして下さい」と言った。洋子は「いや、恥ずかしい」と言ってぎこちなく頬に口づけをする。その姿に康祐は思った。
「女という動物は、こうもカマトトぶることができるのか?いつものように売女の流し目でもしたらどうだ?」
(二)野獣、正体を現す
奇妙な結婚生活が始まった。
洋子は知的障害はあるが、炊事や洗濯はきちんとこなしていた。
問題は夜の生活である。康祐はアフガンで女子高生を殺してからは異常性欲に取りつかれていたのだ。
ある日、康祐はミリタリーショップから手錠を買ってきた。また、アフガンで買った女性用だが顔の見えるベールを持ってきた。
康祐がアフガンから帰ってから、彼の頭の中には「女の腹」と「死体」しかなかった。
「死体の腹。死体の腹。女が死体になってしまう時の苦痛に歪んだ顔。そして死体を蹴りつけた時のあの感触。有機物が無機物と化して行く時の美しいえも言われぬ姿」
頭の中は、あのアフガンで殺した女子高生の死体のことで埋め尽くされていた。脳裏を女の死体が占領していたのだ。
そして、突然洋子に手錠とベールを見せて言った。
「洋子、これ着ろ。それから手錠をかけたる」
「私嫌よ、そんなん恥ずかしい」
「今更何言うとんじゃ?言うこときけ!」
突然野獣になった康祐を見て洋子は身震いした。
そんなことはお構いなく、康祐は怒鳴りつける。
「お人形さんにしたるから着い言うとんのじゃ!着んかったら離婚じゃ!」
当然、こんなことが離婚の原因になることはない。しかし、相手は知的障害者なのだ。本当に離縁状を叩きつけられると思ったのだろう。
渋々ベールを被る洋子。
「それでええ。次はこれや」
康祐は洋子の後ろ手に手錠をかける。
洋子は恐怖で震えていた。この人は何をしようと言うんだろうか?
「わしはアフガニスタン行って女殺してなあ。それからこれやなかったらアソコが言うこときかへんのじゃ。お前も死体になるか?女の死体というもんは最高や。そしてその腹も最高や」
そう言って布団の上に洋子を転がし、うつ伏せにする。
そしてパンティに手を突っ込み、いきなりアヌスに指を入れた。手加減は全くしなかった。
「嫌!痛い!何するの?」
洋子の悲鳴が聞こえるとともに康祐は指をこねくり回し、痛がる洋子をさらに責め立てる。手錠をかけられてうつ伏せにされた洋子には抵抗することも出来ない。
「ひひひ。もっと苦しめ。アフガニスタンの女はなあ、こうやって、こうやって苦しみながら死んでいったんや。おい、どこが痛い?言ってみろ」
「お、お腹が痛いです」
そして、事に及んだ。康祐は「戦争帰りの兵隊さん」でその上にアフガンで女を殺してから凶暴な犬に変貌していたのだ。その本当の顔のお出ましである。
「これからは夜はこれでいくからな」
康祐の言葉は洋子にこう聞こえた。
「おまえを人間扱いしてやらないぞ」
そう。康祐にとって洋子は「いい玩具」ででしかなかったのだ。アフガンから帰った康祐はこのような性欲を処理する場を探していたのだった。
康祐がこんなことを始めたのは、新しく赴任した学校で同僚教師や上司から虐められていたからだ。そのストレスを発散するいいはけ口が洋子であったのだ。
だから、普段の康祐は優しかった。元々は気が弱く、優しい男だったはずである。子供の頃は飼っていた猫が死んでも泣いていたような人間だったのだ。
普通の夫婦ならとっくに離婚していたであろう。しかし知的障害を持った洋子は、康祐を逃したら結婚相手なんかないことを嗅覚で感じ取っていたのかも知れない。だから、こんな歪んだ形で結婚生活が十年も続いたのだろう。
とにかく、学校で虐められる度に康祐は凶暴になっていった。
康祐は体質的に酒が飲めない。
しかし、飲んで来て洋子を驚かせることがあった。
「お酒なんて何かあったの?」
「じゃかましい!酒飲んで来たら悪いんかい?」
「じゃあ、私も飲む」
そう洋子が言ったので、康祐は酒屋で最も強いテキーラを買ってきて洋子に飲ませた。せき込む洋子。洋子には酒なんてものの味は分からない。
それを見て康祐はいきなり洋子の服を脱がしにかかった。
「何すんの?」
「俺はなあ。女も男も酒飲んだらあかん所に居ったんや。そこでなあ。女二人、先生と生徒をトカレフで撃ち殺したんや。さあ、いつものやつや。何されるかわかるやろう。早く着替えんかい。今からお前を解剖したる」
そう言って、どこから取り出したのか、康祐の手には包丁が握りしめられていた。
「キャー!助けて!」
いつもならされるがままにされている洋子であったが、さすがに怖かったのか、携帯を握りしめたまま隣の部屋へ駆け込んだ。
間もなく警察がやってきた。洋子が110番したのだろう。しかし警察が駆けつける迅速さには驚かざるを得ない。
勿論、その時には康祐の手には包丁はなかった。
「お巡りさん、助けて。この人怖い。私殺される」
「人聞きの悪いこと言うなよ。ただの夫婦喧嘩やないか。お前殺してわしに何の得があるねん?すみません、警察の方、夫婦喧嘩でこのアホが110番したりして。こいつアホですねん。2種の知的障害者ですねん」
「わかった、わかった、もうお巡りさん帰るからな。夫婦仲良うしいや」
「お巡りさん、帰らないで。私殺される。この人怖い。お巡りさん優しい」
警察が帰った後で、康祐は箪笥を蹴り飛ばし、穴をあける。
「こら、今度警察なんか呼んでみい、これやぞ。空手の蹴りはなあ、一トンの力があるんじゃ」
そう康祐が言うと、洋子は震えあがった。本当に体が硬直してぶるぶる震えていた。
(三)妻の反撃と幻聴
こんなことを言うと、康祐と洋子は何もかもが破綻してしまっている夫婦のように思えるが、共通する趣味もあった。それは猫と旅行であった。
二人とも猫好きで、どこかからアパートに迷い込んだ野良猫に好き勝手な名前を付けて、餌をやって楽しんでいた。アパートはペット禁止だったので、飼うわけにはいかない。仕方がないので餌だけを与えていたのだ。
また、康祐の実家では三匹の猫を飼っており、康祐はおどけて猫の真似をして、よく洋子を笑わせた。三毛猫と黒猫と藤猫であった。
また康祐は、よく洋子を旅行に連れだした。韓国へ三回、アメリカへ一回、そして国内は数知れず洋子を連れだして歩いた。洋子は目鼻立ちが美しく、一緒に歩いたら自慢できるからだ。
従って、知らない者から見ると仲のいい夫婦にしか見えなかった。
そんな折、洋子が駅のエスカレーターで転んで怪我をした。膝を打ったようである。
この時の康祐は全く冷たかった。膝が使えなくなると夜の営みに支障が出るからだ。
「(玩具が壊れては使い物にならない)」
そう思い、大声で言った。
「気いつけい。このボケが」
洋子は所構わず泣き出した。まるで子供である。
泣きじゃくる洋子に浴びせかけた言葉が、あの「気をつけい、このボケが」であった。
駅員が洋子をいたわるように膝の手当てをした。
その後、なぜか洋子は同じ膝を何回も打って怪我をした。
その頃から康祐の洋子への愛は冷えて行った。
そして、それに気付いたのか、洋子は普通の人間では考えられないような嫉妬妄想を抱くようになってきた。
その始まりは近所の喫茶店であった。
「あなた、さっき挨拶した人誰よ?」
「そこの喫茶店の店員やないか」
「どんな関係よ?」
「どんな関係言うて、俺はただの客や」
「何か話したん?」
「人間やから話くらいするわ」
その後、洋子は気になって、その店員の年齢を聞き出したそうである。
他にも、韓国旅行中にこんなことがあった。
康祐と洋子は扶余まで韓国国鉄のKTXで出かけ、帰りはセマウル号に乗った。
その時、なぜか座席を離して座るように駅員から言われた。余った座席がなかったので、隣り合わせにはできないという説明であった。
仕方なく、康祐と洋子は別々の席に座った。
康祐の隣に小学生の女の子が座ってきた。そして、列車をソウル駅で降りる時に洋子がしつこく尋ねてきた。
「あなた、あの小学生と何話したの?」
「え?話なんかしてないけど。どうしてそんなこと聞くの?」
「だって、あなた韓国語が話せるやないの。ねえ、ねえ、何話したの?」
「だから何も話してないって」
康祐は語学に堪能であった。英語だけでなく、韓国語やロシア語やドイツ語なども話すことができたので、きっと何か話したと思って洋子がしつこく聞いてきたのだ。
「(こいつ、またか。俺が小学生なんかに興味持つわけないじゃないか。俺はロリコンか?)」
この嫉妬妄想が、やがて大きな事件へと発展していく。
*
さて、結婚して最初の三年間、康祐は久しぶりの進学校に転勤できて張り切っていた。しかし、やがて他の教師などから虐められるようになり、たまらなくなってすぐに転勤を申し出た。
教師による教師へのいじめというものは、生徒のそれよりも陰湿である。だから、僅か三年間いただけで、転勤しようと思ったのだ。
このような執拗ないじめは前任校の教育困難校でも体験したことはなかった。
転勤願いはあっさりと受理された。
そして、ややレベルは落ちるが、近くの普通科高校に転勤が決まった。
この頃の康祐には全く陰りはなかった。
康祐は心の病を持った精神障害者であったが、そのことを学校ではひた隠しにしていた。薬もいつも陰に隠れて飲んでいた。
そして、この頃から康祐は幻聴と幻覚に悩まされるようになっていた。あの、アフガンで殺した女子高生が囁いて来るのだ。
なぜか、言葉はパシュトゥー語でもなく英語でもなく日本語であった。
「どうして殺したの?私、命乞いしたのよ。この悪魔」
「うるさい!あの時は殺さなければいけなかったんだ!消えろ!」
「あなたは悪魔よ。地獄へ落ちろ。地獄へ落ちろ。地獄へ---」
「消えろ!この野郎。悪魔はそっちだろう。天国へ行かなかったのか?」
そして、康祐の口からはいつのまにかそれが本当の言葉となって発声されていた。周りを歩く人々が気味悪がって康祐をよけて通る。それでも構わず、康祐は叫んでいた。
「この女、消えろ!馬鹿野郎!消えろ!馬鹿にしやがって!」
そして、時々町の中を「声」から逃れるように疾走することもあった。
しかし、精神に疾患があると言う事実は獣のような鋭さでひた隠しにしなければならないのだ。もしもそれがばれると同じように執拗な教師によるいじめが待っていることは身をもって体験している康祐であった。幻覚や幻聴の症状は薬で何とか抑えることができていたので、こっそりと薬を飲んでいたのだった。
康祐はまた、休日には洋子と連れだって教会へ行ったり、旅行に出かけたりしていた。アフガニスタンにいる時はイスラム教に従ってラマダンの月は断食したりしてコーランに従って生活していた康祐であったが、日本へ帰ってからはキリスト教の洗礼を受け、キリスト教徒になっていた。アフガンで殺した女の声の幻聴にさいなまれて、キリスト教では罪が許されると聞いて入信したのだ。 また、旅行が趣味だった康祐は、しょっちゅう洋子を旅行に連れ出した。そんな時は本当に優しい夫であった。
さて、その学校で、康祐は一年生の担任を持った。また、なぜか柔道部の顧問になった。大体、管理職というものは、柔道と他の武道との区別もつかないのだ。康祐が武道六段と知って、柔道部を持てると踏んだのであろう。しかし、実際に康祐が段位を持っているのは古武道、居合道、空手、合気道である。どれも柔道なんかで使えば「反則」になってしまうものばかりである。
大体、康祐の考えでは、柔道の指導者は少なくとも柔道三段以上の実力の持ち主でなければならなかった。だから柔道なんかの顧問は出来ないと決めつけていた。
本当は、学校の部活動の顧問なんかは、「居ればいい」のである。何から何までできるならばスーパーマンである。
しかし、康祐の考えは違っていた。例えば、吹奏楽の顧問になるからにはフルベンかカラヤンか小澤征爾くらいの指揮ができて、少なくともピアノも含めて三つ以上の楽器ができなければならないと考えていた。勿論、スコアも読めなくてはならない。ESSの顧問になるにはTOEICで満点が取れるくらいの実力がなければならないと考えていた。
だから、昔教育困難校にいた時に校長から「あんた、タクトは振れるか?」と言われて絶句したことがあった。タクトを振れるのはカラヤンかフルベンか小澤征爾なのだ。
「できません」と答えた。
すると「じゃあ、コンピュータはできるか?」ときた。
康祐の考えでは「コンピュータができる」とはエクセルでマクロが組める能力をさす。
「できません」と答えた。
「じゃあ、英語は喋れるか?」ときたので、
「できません」と答えた。
「英語ができる」とはTOEICで満点が取れる能力を言うのである。
勿論「できません」と答える以外にはなかった。
「お前は何もできん奴やなあ」と返ってきた。
康祐は初任校で合気道部の顧問であったが、勿論有段者である。しかし、柔道は全く分からない。
また、久しぶりに持つ担任で、いつも帰りが遅くなり、柔道まで見る余裕はなかった。夜、最後まで残って仕事をしていたが、ほとんどは教材研究であった。従って柔道はサブ顧問の講師の先生に任せっぱなしであった。因みに、この講師の先生も柔道はずぶの素人である。
また、いくら遅く帰宅しても洋子は文句を言わなかった。
それは、洋子が教師の仕事を理解していたからではない。
前任校で、たまたま遅く帰った時、文句を言われたので、切れた康祐は前任校の教頭に電話で妻を説得してもらい(この教頭は妻に知的障害があることを知っていた)、また実家の父親からも説得してもらった。母親は「あんまりきついこと言うなよ」と優しく諭した。しかし康祐は言い放った。
「お前みたいに亭主の仕事の何たるかを分からんような奴は毎日でも文句言うて、しまいにノイローゼにさせたるわい!」
この他にも「ボタンを縫い付けるのに一時間もかりやがって」とか「こんな字も読めないのか。この馬鹿が」とか、かなりの言葉でのDVがあった。誕生日のお祝いを買って来て「お前もババアになったなあ。プレゼント受け取れ」などと言ったこともあった。そう言われて洋子はただ泣くだけであった。
そして、学校の方であるが、不思議なことに一年目の仕事は順調であった。
康祐は、所謂「駄目教師」であったが、そんな「駄目教師」ぶりが返って生徒の好感を呼んだ。生徒を威嚇するようなことは決してなかった。だから「駄目教師」ぶりを遺憾なく発揮しながら、次第に生徒から信頼されるようになってきた。授業が上手だったからである。「この先生、頼りなさそうに見えるけど授業は上手い」というのが生徒達の感覚であった。教師の善し悪しは授業で決まるものではないが、生徒にとっては、やはり授業の上手下手が教師の力量を決めているようであった。
こうして、何もかもが順調に流れて行った転勤一年目の学校であった。
この頃、康祐は不登校の生徒を三年まで上がらせ、親から感謝されたことがある。
駄目教師の最後の輝きであった。
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