パワハラは徐々に酷くなっていくよ。

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パワハラは徐々に酷くなっていくよ。

(十二)康祐の妻、精神病院へ  とにかく後味の悪い職場復帰だ。康祐は嫌な予感に全身を包まれていた。こんな気分で職場復帰も何もあったものではない。そして、その予感は後に現実になる。  こうして康祐は大阪市へ戻り、また洋子も戻ってきた。  康祐は既に吉村の嫌がらせに辟易としていた。だから、当然その不満は洋子に向かう。この頃には、洋子も自分が康祐の「玩具」であることを薄々と感じ始めていた。  「おい、今日はおもろないんじゃ。スカート脱げ。柱に縛り付けてやる」  「また。校長先生から何か言われたの?」  真実を言い当てられたことは康祐の怒りに火を注ぐ結果となった。  「その通りや。今から拷問してやる。アフガニスタンの女子高生のスパイめ、馬鹿にしやがって。嫌やったら命乞いせえ」  そうして洋子を柱に縛り付けると、康祐はスプレーのようなものを取り出した。  「これは催涙スプレーや。少し試してやる。嫌やったらHelp meと言うてみろ」  そう言って、噴射口を洋子の目に向け、安全レバーを抜いて勢いよく噴射した。  「あの校長め、馬鹿にしやがって。今度はこれをおみまいしてやるんや」    「嫌、何?これ。いやー。目が、目が、痛いよう。あなた、お願い、許して」  「アホが。こんな時は『ご主人様、お許し下さい』と言うんや」  「いやー、目が潰れる。もう止めて、こんなこと」  「違うわい。『ご主人様、お許し下さい』や、言い直せ」  すると洋子は泣きだした。  「うぇーん。目が痛いよう。許して、お願い」  「わかった、わかった。もう寝ろ」  洋子は布団の中でもずっと泣いていた。  その時にも康祐の頭のどこかで幻聴が聴こえていた。  「私を催涙スプレーで痛めつけようとするの?この悪魔!あなたは悪魔よ!私の命を返して!」  「うるさい!黙れ!」  「あなた、誰に向かって話してるの?」  妻が怪訝そうに尋ねる。  「いや、何でもない」    そして次の年度になった。  この頃より洋子の嫉妬妄想がより酷くなってきたのである。  洋子は康祐が電話をする時は必ずスピーカーホーンにすることを要求した。康祐は浮気などするはずがなく、またそんなにモテルわけでもないから、快諾した。  しかし、女の人が出ると必ず聞いてきた。  「さっきの人誰?」  「奨学金の関係の人や」  それを確かめるために学生支援機構へ電話をする洋子。  「あのー。あなた誰ですか?」  こんな失礼な質問のしかたは聞いたことがない。  「学生支援機構ですけど、あなたこそ誰ですか?」  「主人が電話したと思うのですけど何ですか?」  これでは失礼の倍返しである。  「それはもう御主人に伝えてあります」  電話口の女性(学生支援機構の職員)は言った。    こんなことが繰り返されると仕事にも支障が出る。康祐は兄を呼んで説得してもらうことにした。  兄は車ではなく電車で現れた。そして妻に毅然として言い放った。  「今度弟をいじめるようなことしたら承知せんぞ」  馬鹿にとっては少しきつい言い方かも知れなかったが、洋子は分かったように頷いた。    そして六月の文化祭の日、事件は起こった。  またしても奨学金関係の事務所へ洋子が電話をしたのである。 洋子は何事もなかったかのように夕食を食べている。  康祐は兄を呼んだ。  程なく兄がやってくる。  洋子の顔が急に曇った。嵐の前触れである。  「お兄さん呼んだの?自分で来たの?」  洋子は康祐の兄から電話を注意されてから兄を嫌っていたのだ。  「自分で来たんや」  「本当に?」  「やかましい奴やなあ。呼んだんや」  「うぎゃー」  机をひっくり返して洋子が暴れ始めた。康祐と兄は隣の部屋へ避難した。  「こりゃ警察にでも来てもらうしかないな」  「そうやなあ、しゃあないな」  康祐の兄は110番を入れた。間もなく警察がやってきた。  暴れる洋子を取り押さえた警察は、そのまま洋子をパトカーの後部座席に乗せた。後部座席には二人の婦人警官がいて、暴れる洋子をねじ伏せている。  「うちの嫁さん、少しおかしいんですわ」  「ああ、わかるわかる。警察にも同じような人がいた。何でも、奥さんがしょっちゅう電話してきて『主人は本当に出勤してますか?』とか聞くんや」  パトカーでは別の警官が無線で何か話している。  暫らく経ってから警官が口を開いた。その間、兄は何か調書のようなものを記入していた。  「今、高槻の精神病院と連絡がついたので、そちらへ奥さんを護送します。御主人とお兄さんは車で後を追って来て下さい」  次の日は文化祭の予行である。夜中ではあったが、康祐は即教頭に電話を入れて事情を説明し、明日の予行には行かれない旨を告げた。  パトカーは二時間かかって高槻の精神病院へ到着した。そのパトカーの後を兄の運転する車で追った。  洋子は入院ということになった。一時的な緊急入院である。翌日には解放されるのだが---。  康祐と兄はそのまま帰った。  翌日、洋子を出迎えるために康祐は電車で病院まで出かけた。洋子は体操服に着替えさせられていた。  「とにかく帰ろ」  二人は無事にアパートへ戻ってきた。この時の洋子はまるで人が変わったかのように無言だった。  その後、洋子の母は、これが原因で洋子が精神を病んだと思っていたそうであるが、それは事実ではない。  この後に起こる「ある事件」からだ。  それは康祐と洋子しか知り得ないことであった。          (十三)吉村のパワハラ、余計にひどくなる            九月になった。なぜか運の悪いことに人権大会の発表が康祐の学校に回ってきたのである。レジメを作ってビデオも見せて発表しなければならなくなった。  しかし、康祐は昨年の人権講演会の内容を知らない。休んでいたからだ。  そして吉村の反撃が始まった。  これに関しては他の先生も「あれは酷い」と言うほどの吉村の「虐め」である。あの、「わしも休み方教えて欲しいわ」と言った教師まで「酷い」と口にしていた。  人権係は、この年、二つの仕事を抱えることになった。  一つ目が昨年に行われた人権講演を元にしてレジメを作り、人権の大会で発表することである。  もう一つが本年度の人権講演会の講師の招請である。  先ずは、人権大会のレジメを作らなくてはならない。  康祐は、レジメでの発表ではなくて、その年に行われた文化祭での三年生の演劇の「ライフ」をビデオで見せるつもりでいた。テーマは「いじめ」である。こんな恰好の材料はない。  しかも「ライフ」は評判も良く、文化祭の大賞を獲得していた。  これを見せるだけで他の学校も納得するはずだと康祐はふんでいた。  しかし、なぜか吉村はレジメでの発表にこだわった。  「去年の講演会の記録作れ」  そう言って、レジメを用意させようとした。  そこで問題なのが、昨年の人権講演会の内容である。  康祐は、人権講演会の時に休職していたので、その内容を全く知らない。そのことは吉村校長も知っているはずなのに、あえて康祐に無理難題を押し付けたのだ。  「これは困ったことになったぞ」  また、康祐の鬱のスパイラルが始まった。  鬱で仕事を休む。↓戻ってきたら虐められる。↓鬱がひどくなる。  ↓また休む。  これが鬱のスパイラルである。  康祐は父親に電話を入れた。  「そんなもん、誰も内容なんか覚えてないわ。考えて作ったらええねん」  携帯の電話口から父の言葉が聞こえる。「そんなもの大したことではない」とでも言いそうな口ぶりである。  それにしてもいい加減なものである。この父親はこんないい加減なことでずっと校長をやってきたのか? 「(本当にいいのかな?でも、まあ元校長が言うことだ。去年の講演の内容なんか創作してやれ)」  そこで、康祐は勝手に内容を創作して二枚のレジメを作成した。  実は、康祐と父親との関係は良好とは言えなかった。この父は、高校野球で、死んだ母親の遺髪をユニフォームに入れているようなおぞましくも気色の悪いピッチャーを応援するようなアホな父親で、知性の一かけらも感じさせず、康祐はいつもこの父を馬鹿にしていた。また、父親も不出来な息子のことを馬鹿にしていた。しかし、校長は校長なのだ。分からないところは聞くということもあった。    ところが、昨年の講演会の講師は吉村の知り合いだったらしく、これがとんでもないことになる。  康祐は校長にレジメを見せた。さあ、吉村の反撃の開始だ。  「ほんまに村山さん、こんなこと言うたんか?電話して聞いてもええか?」  しまった。これは計算外。  「もしも言うてなかったら承知せんぞ」  居丈高な態度である。まるで暴君である。これが校長と言う者の真の姿なのだ。問題教師が問題を起こしてくれることを手ぐすね引いて待っていたのだ。まさに絶好の機会である。この好機を逃してなるものか。と吉村は考えていたことには疑念の刺しはさむ余地がない。  教頭が口をはさむ。  「校長はん、ほんまに聞きよるで。どないするねん?」  実は、教頭は「解決法」を知っていた。しかし、敢えて教えようとしなかったのだ。出世に響くからだ。教頭は校長からの推薦状がなければ校長にはなれないのだ。  この教頭は頭が禿げあがり、太っている。態度は居丈高である。居丈高であるがゆえに実際に数年後、別の学校の校長になる。    康祐はもう一度父に電話した。  「校長はん、去年の講演の講師と知りあいやったらしいで。それで、『ほんまにこんなこと言うたんか』と聞かれたわ」  「そうやったんか?すまん。すまん。わしはもうろくジジイや」  取りつく島もない。  もうこうなっては康祐の得意技、すなわち土下座しかない。  「この土下座を決めてしまわねば」  そして校長室へ出向く康祐。  「申し訳ございません」 土下座が決まった。  先述した通り、土下座は康祐の最終兵器であった。康祐には土下座の「美学」があった。相手に有無を言わせぬように土下座は存在し、手を曲げる角度から頭の下げ方まで徹底していた。  頭はこれでもかと言わんばかりに床にこすりつけられ、肘を見事に百八十度折りたたみ、「どうぞ頭ごなしにお叱り下さい」と言う意志表示として最高の芸術であったのだ。  「(我ながら見事な土下座である。さあ、どんな言葉が発せられるのだろうか?)」  ところが、吉村はそんなことは一向に意に介せず言葉を続けた。  「それやったらなあ、誰かメモってる人が居るやろう。探せ」  そこで康祐は学年の人権係の教師達に聞きまくった。  たまたま二年生の人権係の教師がメモっていたので、それを使ってレジメを作成することになった。  膨大な量である。  「わしがやったる」  教頭が引き受けてくれた。  レジメが出来あがると、進路の教師が手伝ってくれて百部ほど刷り上がった。  その後、校長室に呼ばれてプレゼンの練習をさせられた。  「そんなん、自分の話しても誰も聞かんなあ。やり直し」  何度も何度もやり直しをさせられた。  実は、康祐はプレゼンが下手なわけではない。その証拠に、次に赴任した特別支援学校で、見事な人権の授業を教育委員会の指導主事に見せて、指導主事をうならせている。吉村校長は、ただいじめたいがために康祐にプレゼンの練習をさせたのだ。  そして人権大会の当日、ビデオを見せながら何とか発表は終了した。康祐が予想していたように、「もっと『ライフ』のビデオを視たかった」という意見が続出した。  そして吉村校長に呼ばれた。  「あんた、このたびの大会では色々な人に迷惑かけたなあ。どうする?あんたが迷惑かけた人の名前言うてみい」 「はい。えーと。○○先生に○○先生に、○○高校の○○先生に---それから---」  「もうええわ。あんた、どうする?こんなに迷惑かけて」  言い返す気力は康祐には残っていなかった。精神病が再発したようである。しかし康祐はそれをひた隠しにしていた。  「(病気やからまた休めと言うんだろう)」  そう思っていた。  しかし吉村校長の言ったことに康祐は驚かざるを得なかった。  「あんた、泉南へ帰ったらどうや?この間お父さんにも電話したけど元気なさそうやったし、父の介護ということで帰るのが一番やと思うけどなあ」  「父の介護」と言っても父親はまだボケてはいない。また、康祐は泉南が嫌で洋子と結婚し、大阪へ逃げてきたのだ。  「でも泉南に帰る学校なんかないでしょう?」  「それがあるんやなあ」  「(一体どこの学校のことを言ってるのだろうか?まさか---。)」  「特別支援学校やったら空きがある」  そう、吉村は康祐を特別支援学校へ飛ばして厄介払いにするつもりだったのだ。  特別支援学校には社会科も英語科もない。そして、康祐の苦手な工作や家庭が出来なくては務まらない。康祐は広汎性発達障害である。好きなことはとことんやるが、苦手なものは全く手がつけられないのだ。    康祐は中学時代のことに思いを馳せていた。  人間関係を築くことが全く出来ず、一年生の時はクラスで虐められ、二・三年生の時は吹奏楽部で仲間はずれにされていた。  唯一出来たことがピアノと社会科と英語だった。それ以外の事には何の興味関心もなかった。事実、小学校時代の康祐の成績は音楽以外はほとんど2で、特に図画工作や体育などは点もつけられないといった有様であった。  何か自分は人とは違うということにおぼろげながら気づき始めていた。  両親に精神科へ連れて行って欲しいと言ったこともあったが、世間体ばかり気にする親はそれを突っぱねた。  もしもこの時に広汎性発達障害が発見出来ていたら、こんな人生にはなってなかったのに。    しかし康祐には、もう吉村に反抗する気力もなかった。  翌年に康祐は特別支援学校は赴任し、奇跡的なことに初めて卒業生を送り出し、教師の職を辞してしまう。  また、転勤が原因で洋子にも逃げられる。  地位も名誉も財産も妻も全て失くしてしまうので
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