今度は教頭からのパワハラじゃ。

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今度は教頭からのパワハラじゃ。

(十四)吉村と教頭の正体        その夜、吉村は教頭を連れて馴染みの料亭へ行った。ここには校長が「囲っている」芸者がいた。  医師・教師・僧侶は一般に「三助」と呼ばれているが、この吉村はご多分に漏れず女好きであった。芸者を囲うことぐらいは彼にとっては普通のことであり、経済的余力もあったようである。また、 この校長は、毎日のように風俗店へ出入りしていた。既に住宅ローンの支払いも済んで、市内に木造二階建ての家屋を買い入れたばかりであった。また、管理職手当ももらえるので、金は湯水の如くに使えたのだ。  校長と教頭のいる座敷へ馴染みの芸者が入ってくる。 「校長先生、今日はえらいご機嫌やねえ」  「ああ、問題教師を一人厄介払いにしてきたとこや」  吉村は勝ち誇ったように言った。  「厄介払いって、リストラでもしたの?」  「教師というのはなあ、そんなに簡単にリストラなんかできへんのんや。ちょっと他の大変な学校へ飛ばしただけや」  「まあ、怖い人」  「ところで艶子さん、明日は土曜日や。どや、ゴルフでも行って十九番ホールというのは?それから高島屋でネックレスでも買うたる」  「そんなお金ありますのん?それから奥さんに叱られます」  「ええんや。もう家のローンの支払いも済んでるし、嫁さんも子供も何も言わへんわ」  実は、この校長は、この他にもしょっちゅうタイへ出かけ、少女を買春していたのだ。当時の康祐にはそんなこと知る由もなかったが、転勤してから噂話として康祐の耳にも伝わってきた。    そこへ教頭が口を挟む。  「あのー。ここに菓子折りがありますけど」  菓子折りの中には百万円が入っている。  「よー気がきく奴やなあ。小山君もこのくらい気がきいたらわしかて少しは考えるのになあ」  「その代わり、校長。校長への推薦、よろしくお願いします」  そう。教頭が校長になるには校長の推薦が必要なのだ。  「わかっとるがな。教頭はん。あんたもこのたびはよう動いて下さった。感謝してるで」  「いや、こんなこと、吉村校長のためなら朝飯前です」  「ははは、今日はええ日や」  そう。もしも康祐がこの教頭のように「気がきいて」菓子折りの一つでも校長に持っていくような細心さがあれば、こんなことにはなっていなかったであろう。 (十五)夫婦揃って土下座をするが、許してもらえず、康祐は妻を道連れに鉄道自殺を試みる  ところで、この後、まだ人権講演会が残っていた。  そこで、康祐ばかりか洋子までも人格が崩壊してしまうことになる。  人権講演会で誰を呼ぶかは、大体前もって決まっている。しかし、吉村校長から何の連絡もない。自分で講師を見つけなければならない。吉村校長が嫌がらせをしているのだ。通常ならば校長から「こう言う人がいるけど」と打診があるのだ。康祐を困らせようと企てているのである。いつもながら汚い手だ。    ところがそんな折、講演を買って出ようと言う奇特な人が現れた。精神保健福祉士の本岡女史である。かなり年輩の方であるが、精神障害者のための作業所として喫茶店を営業し、これが順調に行っていたのだ。康祐の知り合いであり、康祐もよくこの喫茶店を利用していたので顔なじみであった。  本岡女史は「いじめ」をテーマにして講演をするのならいい人がいると言った。  「躁鬱病の人やけど、原因がいじめやったからちょうどええんと違いますか?一度話してみます」 実は、本岡女史を呼ぶことに教頭などは不快感を顕わにしていた。精神疾患の専門家であって、教育の専門家ではないというのがその理由であった。しかし、今になってその理由が康祐には手に取るように分かる。  本岡女史を呼ぶことに難色を示したのは、教頭ではなくて校長だったのだ。  「せっかく『あいつが講師なんか呼べるはずがない』と思っていたのに誤算だった」というのが理由であることは明白だ。  校長は康祐が失敗をやらかすのを手ぐすね引いて待っていたのだ。  さて、本格的にその方を呼ぶ事になった。 康祐は、その作業所がアパートの近くだったこともあり、洋子を連れて夜に打ち合わせに行った。  その時のことである。  たまたま電話が教頭につながった。なぜか本岡女史が待ってたように言う。  「先生なんですか?一度話させて下さい」  「教頭先生、講師の先生が話したいと言ってるのですけど」  「ああ、やめて。電話かわらんといて」  ところが本岡女史がどうしても話したいと言って聞かなかった。  この人はよっぽど「学校の教師」という者と話したいようである。その理由は定かではないが、多分精神障害の主たる原因が学校時代にあると思っていたからだろう。しかし、「学校の教師」なら目の前にいるのに何も教頭と話す必要なんかないであろうに---。  仕方なく電話を代わる。何か一言二言話したようであるが、すぐに電話は切れた。  次の日は土曜日であったが、これはまずいと康祐は思った。教頭を怒らせたかも知れない。否、必ず怒らせている。---というよりは、校長から「あの先生が失敗をやらかようにお前も仕向けてみろ」と言っているのに間違いはなかった。  康祐は場の空気を読むのが下手である。しかし教頭を怒らせたことは容易に推察できた。  「しょうがない。明日謝りに行こう」  そう言うと、洋子が  「私も一緒に行く」と言った。  土曜日、校舎内で先ず校長に出会った。  講演会の時程表を見せた。  「これ、昼休みあらへんがな。生徒の人権踏みにじってるわ。あのなあ、昼休みは生徒にとって休憩時間と決まっているねん」  「いや、教務にたのんで四十五分授業にと思ったんです。そうしないと向こうの都合が合わないんです」  と言いかけて、康祐は話を止めた。  何を言っても無駄だ。言い返されるに決まっている。こいつは「荒さがし」をしているだけなのだから---。  次に問題の教頭である。頭がきれいに禿げあがって太っている。  玄関の入り口で鉢合わせになった。  「教頭先生、昨日はすみませんでした」  しかし教頭は許さなかった。  いきなりふんぞり返ったと思うや否や  「何で電話代わったんや?」  である。  康祐は即土下座をした。部活動の生徒や他の教師も見ている。  「申し訳ございません。おい、お前も土下座せえ」  洋子も土下座した。  「主人が学校でいかに蔑まれ、泣くような思いをしているか、ついてくると言うのならばわかったらいい」  と康祐は思った。  しかし、教頭は土下座を見ると益々ふんぞり返った。これでもかと言わんばかりに威張って腹を突き出し、頭をのけぞらせた。  「何で電話代わったんや?」  「申し訳ございません」  その後、どうやって教頭の怒りが収まったかは定かではないが、夫婦そろって土下座をしている一教師のことなど教頭にとってはどうでもよかったのだろう。この教頭は校長を狙っていたのだ。そして、校長になるためには現校長の推薦状が必要だったのである。  その日は車で帰ることにした。  洋子を助手席に乗せた車が踏切にさしかかった。  康祐は悲しかった。かつては人の三倍働く教師と言われ、合気道部と吹奏楽部の顧問を兼部して夜遅くまで頑張っていた時期もあった。しかし今ではただの問題教師なのだ。こんな問題教師はいなくなればいいのか?それならば校長や教頭のお望み通り、この世からいなくなってやる。明日の朝刊に出るから見ておけ!  そう思って、康祐は急に踏切の中でエンジンを切った。  「何するの?」  洋子が尋ねる。  「一緒に死のう」駄目教師にはそれしか残ってないと康祐は思ったのだ。しかし、洋子の反応は意外なものであった。  「嫌よ」  「何で嫌なん?」  「私、死にたくないもん」  「此処まで付いてきて今更何言うとんじゃ?死ぬぞ!」  この妻はかつて「あなたが死ぬなら私も死ぬ」と言ったことがある。それは嘘だったのか?否、嘘だったのであろう。そしていざ本当に死ぬとなると恐怖が生まれたのであろう。  警報機が鳴り出した。遮断機もゆっくりと降りてくる。  「助けてー、私死にたくない」  窓を開けて洋子が叫ぶ。  「窓閉めい!何で嫌なんじゃ!」  「あなた狂ってる」  「うるさい、俺はアフガニスタンで人いっぱい殺してる。人の命なんかなんじゃい!俺はなあ、泣き叫ぶお母さんの目の前で子供を殺したんや。それから学校も襲撃してなあ、女教師と女生徒を撃ち殺したんや。薬屋の店主も殺したし、村一つ全滅させたこともある。今度は俺達が死ぬ番や。電車の乗客も巻き添えにして死んでやる。おい、電車さん、おいで。ここにおるでえ」  「また、アフガニスタンの話。こんな時に。あなた、本当に狂ってる」    後ろを見ると、さっきまでクラクションを鳴らしていた二台の車が既に踏切外へ避難している。  その時、康祐の脳裏に今までの人生がフラッシュバックして映し出された。  皆から嫌われていた中学時代、ピアノの練習ばかりしていた高校時代、そして古武道や空手に打ち込んだ大学時代、そして教師になって最初に赴任した高校での恋、それらのものが瞬く間に流れて行った。  その時である。誰かが助手席の窓越しに叫んだ。康祐は夢から醒めたようであった。  「先生、何しているのですか?」  自転車で通りがかった男子の卒業生である。  我に返った康祐はただちにエンジンをかけ、車を発進させた。  南海電車が踏切を通過していった。もし一瞬だけ車の発進が遅れていたら大事故である。  洋子はお漏らしをしたらしく、座席が濡れていた。  このあたりから洋子の様子が変わって来る。 食事の用意や洗濯を億劫がるようになってきたのだ。 (十六)そして何もかも失う       そして年が改まり、一月になった。  突然、洋子が奇妙なことを口にし始めた。  「私、今日洗濯できるのかなあ?私、実家へ帰れるのかなあ?」  康祐には何のことだかさっぱり分からない。しかし、いつもとは明らかに様子が違っていた。洗濯や実家への帰郷なんか一人で十分にできるはずだ。何かおかしい。  そう。洋子は不安神経症を発症したのだ。  その日の夜、洋子は妹に付き添われて実家へ帰った。  そして二度と帰ってこなかった。  そして、康祐は泉南の特別支援学校へ転勤になった。  康祐は洋子の実家を訪れて告げた。  「実は泉南へ帰ることになった。ついてきてくれるか?」  「嫌。泉南は遠いもん」  「じゃあ、もう別れるか?」  「そんなん嫌」  洋子の母親が口をはさむ。  「何が遠いよ。お姉さんなんかイギリスよ」  「嫌、遠い」  そして康祐は一人で泉南のアパートに移り住んだ。洋子がいつか帰ってくるのを待ちながら---。  しかし洋子は帰らなかった。  なぜか洋子は声まで変わっていた。子供のような声になっていた。歩き方も普通ではなかった。真っ直ぐには歩けず、老人のように腰をかがめて歩くようになった。彼女からは以前から感じていた性的魅力も全く感じさせないくらい変わり果ててしまっていた。  そして、康祐が泉南の特別支援学校に来て二年目に二人は市役所へ離婚届を提出しに行った。  十年間の奇妙な夫婦生活は終わったのである。 その後の洋子がどうなったかは康祐の知るところではなかった。  何度か電話をしたが居留守を使われた。  何でも知的障害者の施設に入って、まるで子供のようになってしまったと言うことである。退行したらしい。 一方、康祐は特別支援学校への転勤を前にして、生徒のことで戸惑っていた。  それは生徒からの評判が悪かったからではない。その逆である。  最後の授業で感想を書かせると、皆判で押したように「授業がわかりやすかった」「楽しかった」「よく知っているなあと思った」等の高評価ばかりであったのだ。  吉村校長の勤務評定とは全く違う。  これが「生徒の勤務評定」なのだ。  「管理職の勤務評定」と「生徒の勤務評定」は明らかに違う。  学校では時々「なぜあの先生があんなところに?」という人事異動が行われることがあるが、それは「管理職の勤務評定」がまずかったからなのだ。菓子折り一つ持って来ず、ご機嫌もとるのも下手な康祐が管理職の覚えが良くあるはずがない。その上、康祐は精神に障害を抱えている。「学校のお荷物」なのだ。  また、最後に「友達」に別れを告げた。  「友達」というのは「不登校生」である。  康祐は精神を病んでから、教師の癖に保健室へ入り浸りになっていた。  しかし、これは全く無駄なことかと言えばそうではない。保健室からは生徒達の様々な情報を得ることができたのである。  ここで、康祐は「不登校生」の「友達」を作った。  保健室で知り合い、仲良くなった女子生徒である。  保健室で色んな話をした。父親と上手くいってないことや、バッファリンを百錠も飲んだことなど---。  康祐はどこの学校へ行っても必ず養護教諭と仲良くなる。そして、色んな生徒の情報を仕入れるのだ。  これはどこの学校へ行っても成功している。  また、最後の授業の少し前、校長から「駄目教師」の烙印を押されていたので、授業中にポツリと言ったことがある。  「俺ってやっぱり駄目やなあ」  それに対して、誰かわからなかったが反応が返ってきた。一人の男子生徒からだ。  「先生、駄目教師やないで」  しかしもう世界史を教えることはない。  全て終わったのである。  また、離任式の時に花束を渡す係だった女生徒からも「授業楽しかったです」と言われた。  なぜか、この離任式に吉村校長は欠席していた。 (これ全部本当の話ですよ。ここまで読んで信じられないかも知れませんが)
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