《こ ・ こ》

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 隣人がやってきて最初の数日はまだ人の囁きとおぼしきものだった。わたしと隣人を隔てる壁の向こうから聞こえてきたのは。この真新しい壁紙をはがし奥へと裂けば、ぼろぼろ(・・・・)とこぼれだすウエハースみたいなぼそぼそ(・・・・)した厚みが詰まっているのかもしれない。ならばまだ金具の軋むマットレスのがいくらかましだろう。ウレタンかスポンジかどちらにせよ焼菓子よりは鋭利な刃を受け止められるはずだ。そんなふうにも感じたものだった。伝い漏れてくる、くぐもった声を思うと。  私はこれを人の発する声だと思っていた。が、この時すでにそうではなかったのかもしれない。  そう。ほんの数日。この時は我慢ができるものだった。仕方がないかと簡単にあきらめられた。  人は腹が減れば腹が鳴るし眠くなればあくびが出る。どんなに気をつけていても眠ってる間、知らずにいびきをかいていることだってあるはず。寝言だって喋っているかもしれない。生きるとはそういうことなのではないか。音を発せずに生きることなどできない。  それに誰だって一度は耳にしたことがあるだろう、汝隣人を愛せよと。わたしはこういったものの教義的なことはわからないし博愛主義者でもない。これといってこだわりもない。凡人俗人。ただ汝隣人をの言葉を額面通りに受けとるならば、こういう時に広い心をもって人に対処せよということなのではないかと思う。つまりわたしは隣人を愛さないが憎みもしない。まぁなんといってもそこに至るまでその人のことをつぶさに知っているわけでもないのだし、当然といえば当然なのであって、隣人という存在はわたしにとってそこまで関心をもてない相手なのだ。  しかし予想外のことが起こる。日を追うごとに声なのか音なのかそれは大きくなるばかりで、プレイヤーから大音量で流される曲ですらない得体の知れない異様な物音が、しまいには昼夜を問わず繰り返される始末。これは耐えられるレベルをとうに超えてきていた。  築30年の木造アパートはどんなにリフォーム、本来はリノベーションというらしいが、そうしようとも、防音性の面ではコンクリートと鉄筋の壁にはかなわないのだろう。それを承知のうえでここに決めたのだが。以前の住まいも似たようなものだったからだ。なによりもまずわたし自身が発する音には気をつけるようにしていた。夜に洗濯機を回さない、やたら大声で笑ってテレビを見ないなど普通のことばかりではあるが守れている自負はある。なのでどこで暮らすにも問題ないと考えていたし、実際これまで困ったことは一度もなかった。周りから意見されたこともない。他人に気をつかう生活は息が詰まるという人もいるようだが、わたしはそもそも他人に気をつかっている意識なく過ごせているので、そういう性分らしい。  先にも述べたように、わたしは他人の生活音にはそこそこ寛容な方だと思う。好ましいかそうでないかは別だけれど。
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