迷妄モラトリアム

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 甘い雰囲気が気持ち悪い。連絡を取り合うのはだるい。遊びに行くのはめんどくさい。好意を向けられると引く。  ことごとく恋愛の神様に嫌われたらしい俺は、気づけばろくに人を好きになることなくこの年まで生きていた。  特に不自由をするわけでもないが、強いて言うなら性欲の吐け口がないことが悩みだろうか。彼女がいるもいないも、うらやましさはこれっぽっちもないが、セックスできるのなら羨ましい。  なんてことをうっかり洩らしてしまえば、途端に友達というものがいなくなった中学時代。さすがに同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。しょうがないから、疑問や欲も全て自分の内に収めてきた。  結果ついてきたのは淡白な男という評判と、無駄に顔だけいいと噂される残念な男という箔押し。  彼女はいらないが、エッチがしたい。エッチがしたいから彼女がほしい。彼女は欲しいが、女とは話したくない。なんなら関わりたくもない。   「それなら俺で練習してみない?」  にやりと笑う目の前の見知らぬ男を、頭のてっぺんからつま先まで見つめた。上履きのラインの色から3年だとわかる。顔に視線を戻せば、ぱっちりとした目が細められて糸のようになくなった。つかみどころのない笑顔を浮かべるのは、俺よりも10センチ近く背の低い小柄な男。見覚えはなかった。   「え、あの、すんません。誰ですか?」 「なんだよ~いいじゃん。先輩だぞ?ちょっとくらい付き合ってよ~」  俺がごく普通の疑問を言っても、ただくしゃりと笑うだけだった。俺はただ目をしばたたかせる。   「いや、え?何に?」 「だから、久世谷くんのその女嫌い。直してみない?」 「なんで俺の名前知ってんすか」 「え?一般常識だよ?」  さも訳が分からないというような顔でポカンと首を傾げる。首を傾げたいのはこっちだ。  昼休みの図書室は、司書の先生が今日は来ていないのか、無人だった。電気もつけられず、カーテンの隙間から差し込んだ明るい陽射しが埃を輝かせている。薄暗いが、真昼の日差しを感じるのどかな図書室には、俺とこの謎の上級生の二人きりだった。  俺を見上げる猫のような目が大きく瞬きをする。   「うん、やっぱかっこいい。間近に見てもかっこいい、てか至近距離ヤバイ吐きそう」 「は?」 「よし。じゃ、キスしてみよっか」 「いやいやいやいや、おかしいだろ!」  襟元を掴まれたかと思えばぐっと顔を近づけてきた男を慌てて引きはがす。日に当たって透き通った肌のきめ細かさに一瞬気を取られたが、ぶんぶん頭を振る。初対面どころか、まったく見知らぬ人間にいったい何をしようとしているのだ?   「うーんそっかぁ…。まぁ初めては抵抗あるよね」 「いや、そういう問題じゃないというか…」  顎に手を当て、いかにもなポージングで考え始めた男から後ずさる。ちょっと頬を膨らませ眉をひそめた小柄な男は、そんなあざとい仕草がそれなりに似合うほどには男らしさが薄かった。かといって別段綺麗な顔立ちなわけでもない、目を離せば思い出せなくなりそうな特徴のない顔だ。  気まぐれで図書室へ来てみたら、無人の居心地の良さとぽかぽかした暖かさにうっかり昼寝をしたが最後。目が覚めたら隣にコイツが座って俺を覗き込んでいた。びっくりして思わず立ち上がれば、目を糸のように細くして底の知れない笑みで追い詰めるようにこいつも立ち上がった。そうして原稿でも作ってあるかのように俺の女嫌いをじっとりと読み上げられ、今に至る。  コイツは話が通じない。きっと関わっちゃいけないタイプの危険な奴に違いない。  しかし、俺の引きつった顔など気にも留めず、むむむと目の前の男は唸っている。   「もっと優しいもの…何がいいかな。久世谷くん、君女の子に触られるのは駄目なの?」 「え?あぁ…なんかその、絡みついてきたり…こう、下心を感じるようなのはちょっと…」 「ほぉーん」  なぜか律儀に答えてしまった俺の言葉に、名前も知らない先輩が興味深そうに頷く。いや、なぜ俺も乗せられているんだ! 引きつった筋肉がぴくぴくと頬を痙攣させているのが分かる。   「あ、じゃあ俺は女の子じゃないからセーフか!」  ひらめいたとでも言うように手をポンと打った先輩がによによと笑いながら隣に並んだ。肩を並べて楽しそうに、これでもかと腕を擦り付けてくる。特別不快なわけではなかったが、鬱陶しい以前にそもそもこの人が誰なのかを知らないから、俺の頭にはひたすらはてなマークが浮かんでいた。   「ち、近い…近すぎますって…ちょっと」 「リアル久世谷くんめっちゃいい匂い…え、なに?つれないなぁ」  身じろぎした俺に今度はさらに、小柄な見た目通りの細い腕を絡ませてくる。押し付けられる体は以外と筋肉質で、不摂生な俺よりずっと固い感触がした。  
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