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こそこそと俺を窺う先輩の汗の浮いた顔を、俺は勝ち誇った顔で見下ろした。
こういうときはどうしたらいいんだろう。今までのことを思い出しても、この人は俺の“顔”に弱かった。つかみどころのない笑顔を引きつらせて顔を赤くするのだ。
俺ってそんなにいい顔してる?
髪なんて切るのはめんどくさいし、美容院とか行きたくないから小学生のころから近所の床屋でむっつりなおっさんに切ってもらっている。パーマをかけたり、ワックスで髪を上げたり、そうやって身なりやおしゃれに気を使ってる男子と比べて俺はなにもしていない。見かねた兄貴が寝ぐせを直せとたまにいじってくるが、それだけだ。
ろくに笑わないし、表情筋は動かない。香水なんてつけないし、制服だって校則通りあるがままに着ている。挙句の果てには運動音痴だ。
え、俺ってそんなにいい顔してる?
運動音痴が覆されるほど顔面が勝ってるか?
確かに昔から女子に告白だとかは人並みにされてきたと思う。誰かからやたら嫌われたりだとか、ハブの対象になったりもせず、ほどよい友人にも恵まれてきた。
たいして目立つわけでもない、なんなら地味なキャラの部類に入る俺が、この俺の顔が、そんなにいい?
「……千紘先輩」
「な、なんですか…」
壁とゴミ箱と俺に挟み込まれるような形で先輩はびくりと肩を上げた。見開いた目はいつにも増して猫のよう。その大きな目で俺を見上げ、目が合った途端ぎこちなく逸らされた。
たいてい俺が先輩の遊びとやらに付き合わされてきたのだ。興味もない乙女ゲームを進めろだとか、手をつなげだとか、キスをしろだとか。そんなことを俺も全部聞き入れてきたわけではない。それでも振り回されていたのは事実だ。つかみどころのないこの人は逃げるのも上手かったのだから。
ふと湧いたのは出来心だ。ちょっとした仕返し程度の悪戯だ。
俺の顔が大層好きな先輩は一体どんな反応をするんだろう。
「ばーか。よそ見してんじゃねーよ」
先輩の頬を片手で掴み、そのまま顔を上げさせる。先輩は焦ったように目をぱちぱちと瞬いて、不安そうな顔を見せた。そんな初めて見せる表情にますます口角が上がっていくのがわかる。
「ほんっと油断できねーよな。そんなかわいい顔しちゃって」
「え、え?くせ…たに、くん?」
ああ、えっと…次はなんだったっけ?落ち着け、落ち着け…
壁際に追い詰めるように先輩の顔のすぐ横に腕をつく。怯えたように眉を寄せる先輩にぐっと顔を近づけた。
息遣いまで聞こえてきそうなわずか数センチの距離。
喉奥で唾を飲み下し、低く囁くような声を出した。
「俺以外の奴にそんな顔見せるんじゃねぇぞ」
おお、いいじゃん。けっこういい線いってね、俺。
先輩はといえば、徐々に真っ赤に染まっていく頬が熱くなっていった。ぽかんと口を開いている。
「久世谷くん?なに、どうしたの?」
「お前、おもしろいな」
半笑いで言った俺の顔を凝視していた先輩があっと気づいたような顔になり、すぐに悔しそうに唇を噛み締めて上目遣いに睨んできた。
へらへらしてるだけの人なのかと思っていたのに、以外とこういう表情もするのか。
「この前の乙女ゲーかよ!?くそっ惑わされた俺の身にもなれ!」
「まだ続けます?サービスしますよ」
「い、いらん!」
「誰がいいですか?なんだっけ、あ、あれ。御曹司の天龍院とかいうロン毛」
「だからもういいって!」
「せっかくやってやるって言ってるのに~」
真っ赤な顔で俺の顔を押しのけてくる先輩にしぶしぶと引き下がる。そっぽを向いた先輩は口をへの字に曲げていた。なんだか本当にちょっとだけ可愛いな、なんて思ってしまった。
だから俺もすこしだけ調子に乗ってみる。アイデンティティはロン毛の天龍院くんだ。
「なぁ、お前。俺のこと好きだろ」
「好きだよっ!?だから顔がね!?」
出来心で言ってみたセリフに弾かれたように顔を上げた先輩が、目を回しながら必死に叫んだ。
しかも顔かよ。
堪えきれず吹き出した俺の顔を先輩が変な顔で見上げている。睨みたいんだか、目を見開こうとしてるんだかわからない。
「先輩、俺付き合いますよ。先輩の暇つぶし。だから俺の女嫌い直すの手伝って下さい」
率直に言うと、気持ちよくなりたい。俺だって女嫌いは直したい。
俺は確かに先輩の言う通り女嫌いの人嫌いだが、そのせいで特別仲のいい友達がいるわけでもない。だからこの先輩との距離感は新鮮で楽しかった。振り回されるのもたまにはいいのかもしれない。
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