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ケース6 兎小屋の侵入者
犬という言葉で何を思い浮かべるだろうか。可愛い小型犬。凶暴な大型犬。など何を想像するかは人それぞれだ。だが、僕の場合は犬と聞くと真っ先に自分のことではないかとそわそわしてしまう。何故かと言えば僕の名前が犬飼だからだ。僕の先祖は何を思ってこのような苗字を付けたのだろうか。苗字の由来といえば単純なもので山田なら山の中に田があるからとか森川なら森の中に川があるからと住んでいる地形を単純にしたものが由来とされている。じゃ、僕の先祖の場合はといえば犬を飼っているから犬飼にしようと決めたに違いない。いや、地形ですらない。その適当な由来は何だ。実際はどういう経緯か分からないがおそらくそんな感じだろう。最初の世代はいいかもしれないが後世代になると先祖の名前が必然的に受け継がれてしまう。僕としてはただのトバッチリだ。もう少しオシャレな苗字だったら僕の人生も少しは変わっていたのかもしれない。
「犬くん。私たちの関係って犬も朋輩、鷹も朋輩ってことなのよね」
そう、少なくとも犬くんと言われることもない。どうせだったら神楽坂さんみたいなオシャレな苗字で生まれたかった。そうすれば少しは扱いも変わっていたかもしれない。
「犬くん。おーい」
「役目や地位が違っても同じ職場で働けば皆同僚であることに変わりないから仲良くすべきことってことわざですね」
「そうそう。聞こえているなら無視しないでくれる?」
「すみません。でもそれがどうしたんですか」
「犬くんはそれで構わないのかなって思って」
「それはどういう意味で」
「動物相談所のパートナーとしてこれからのことよ。最近、犬くんに負担をかけているんじゃないかって心配で。たまにご褒美もあげないとモチベーションが上がらないんじゃないかって心配で、心配で」
「何を言っているんですか。僕は何があっても神楽坂さんについていきますよ」
「本当? じゃ、ちょっと頼まれてくれる?」
「へ?」
僕たちはとあるペットショップに訪れていた。
研究室で飼っている動物たちの餌や日用品の数々を買い揃える為に足を運んでいた。
「いやー。まとめ買いする予定で重くなりそうだったから犬くんに来てもらえて助かるよ。どうもありがとう」
そう、僕は単なる荷物持ちとして神楽坂さんに付き合うことになった。
「神楽坂さん。そんなにカゴに入れてお金足りますか?」
「大丈夫よ。ちゃんと成田教授からお金を預かっているから」
「でも、動物たちの餌とか神楽坂さんがやる必要ないんじゃないですか? 学校のものだから学校の関係者がやるものではないかと」
「私も学校の関係者よ。それに普段、自由に研究室を使わせてもらっているんだからこれくらいの雑用はやるのが筋だと思うからさ」
雑用を引き受けるのはほぼ僕のような気がする。だが、そこはあえて引き受けようと思う。成田教授は定期的に研究室に出入りして動物の世話をしているようだが、僕が訪れた時は姿がない。一体、どの時間で出入りしているのだろうか。深夜とか? そこは謎に包まれている。
こうして神楽坂さんと買い物をしているとまるでデートのような気分だった。これはこれで来て良かったと思う。こんなことであれば毎回来ても構わない。
一通り必要なものを買い物カゴに入れ終えてレジに向かった時だった。
レジの前で何やら女の子と女性店員が揉めている様子に見えた。なんだろうと覗き込む。
「お嬢ちゃん。ごめんね。これだと後三百十二円足りないの」
「お願いです。何とか売って下さい」
どうやら千三百十二円のものを千円で買おうとゴネているのだ。何とか値下げしてほしいと頼み込んでいるようにも見える。女性店員は困り果てた様子だった。
「あの、足りない分は私が払います」と神楽坂さんはお金をレジの前に置いた。
「えっと、宜しいのですか?」と、女性店員は困惑したように聞く。
「構いません。後、これもお会計お願いします」
と、神楽坂さんは僕が持っていた買い物カゴをレジの前に置いた。
「あの、お姉ちゃん。ありがとう」
店を出ると女の子は申し訳なさそうに呟いた。
「どういたしまして。それ、そんなに欲しかったの?」
女の子はどうしても欲しくてゴネていた商品は高級ウサギフードである。
「うん。最近、餌を全然食べてくれなくて。これを食べたら元気になるかなって思って」
「家で飼っている子?」
「ううん。うちの学校で飼っている子なの。以前は元気だったのに最近は餌を食べようとしなくて困っていたの。原因も全然分からないし、どうしたものかと思って。少しでも良い餌を食べさせてあげようとしたけどお小遣いが足りなくて困っていたの。お金は返しますから連絡先教えて下さい」
「お金ならいいのよ。そのかわり、そのウサギを見せてもらえないかしら」
女の子の名前は宮埼香澄ちゃん(十一歳)で小学校に通う小学五年生だ。学校では飼育委員をしており、学校で飼っている金魚とウサギの世話を担当している。だが、最近ウサギの体調が悪いと聞き、僕と神楽坂さんは急遽、ウサギを見せてもらうべく小学校のウサギ小屋に訪れていた。
「ウサギ小屋はこちらです」
香澄ちゃんに案内された場所は校内で隅の方にある小屋である。鍵を開けて中に入る。
「皆! 出ておいで。ご飯の時間だよ」
寝ぐらから四匹のウサギが顔を出した。白と茶色のウサギが二匹ずつ。計四匹のウサギだ。香澄ちゃんは早速ペットショップで買った高級ウサギフードを餌箱に入れて差し出した。しかしウサギは餌に見向きもしなかった。
「あれ。食べない。どうして。お腹空いているでしょ」
「ウサギに触ってもいいかしら」と神楽坂さんは申し出る。
「はい。どうぞ」
神楽坂さんは白いウサギを膝の上に抱き寄せた。神楽坂さんの体質である動物の感情を読み取る力がお披露目される。しかし、背中を撫でて難しい表情をする。何か異変を感じ取ったようだ。
「負のオーラを感じるわね」
「神楽坂さん。何か分かりましたか」
「えぇ、この子たちは虐待を受けている可能性があるわね」
神楽坂さんには不思議な特異体質がある。強い思いがある動物に触れるとその動物の感情を読み取ることが出来るというものだ。信じがたい話ではあるが、数々のシーンを僕は見てきた。そして、今回感情を読み取ったのはとある小学校で飼育されているウサギだ。飼育委員でウサギの世話をする香澄ちゃんの話を聞くとここ最近、ウサギの食欲がないということだ。
「まずは普段、どのようにウサギの世話をしているか教えてもらえないかしら」
神楽坂さんの問いに香澄ちゃんが答えた話をまとめると以下の通りである。
平日の朝と放課後に飼育委員が曜日別で餌をあげる当番が決まっており、毎週水曜日は飼育員全員で小屋の掃除が実施される。ちなみに香澄ちゃんは毎週月曜日と木曜日の放課後を担当している。土日など学校が休日の場合は休日出勤した教師が担当するという。
ウサギ小屋の鍵は職員室の入り口に設置されており、持ち出したら誰が持ち出したか名前入りの札を掛けるルールになっている。職員室は常に誰かいるので持ち出したら確実に見られることになるのでこっそりと持ち出すことは出来ない。
「なるほど、飼育委員と教師であれば誰でもウサギ小屋に出入りすることが出来るという訳ですか」
「お姉ちゃん。それよりも虐待を受けているってどういうことですか?」
と、香澄ちゃんは不安になりながら聞く。
「これは私の推測ですが、おそらく何者かが定期的にウサギ小屋に出入りしてウサギに圧迫感を与えている。例えば、小屋の隅に追いやったり、清掃用のホースで水をかけたりしてウサギにストレスを与えるようなことを日常的に行われている……とか」
「えー、そんなことされているの?」
「いや、香澄ちゃん。例え話だから絶対とは言い切れないよ。ちょっと、神楽坂さん」
僕は神楽坂さんを連れ出した。
「何よ。犬くん、どういうつもり?」
「それはこちらのセリフです。香澄ちゃんはまだ小学生です。もう少し言い方を考えて下さい。不安にさせるじゃないですか」
「言い方? 私は思ったことを言っただけよ」
「それがダメなんです。もう少し気遣いというものを……」
「お姉ちゃん、お兄ちゃん」
ふと、そこに香澄ちゃんが立っていたことで僕は口籠る。
「ねぇ、お願い。ウサギちゃんに悪いことしている人を見つけてほしいの」
何者かがウサギに危害を加えているのは事実であり、そのせいでウサギはまともに餌が食べられないくらいストレスを溜め込んでいる。
ウサギはよく寂しいと死んじゃうと言われることもあるが、実際はそんなことはないらしい。ただし、ウサギは環境変化に強くないという。草食動物の為、胃腸は常に動いている必要がある為、十二時間以上絶食すると胃腸の動きが停滞し、危険な状況になることがあるので注意が必要だ。よってウサギの世話を数日ほっておくと死んでしまう。もしかしたらそのようなことで「寂しいから死んだ」と思ってしまう人が広めた迷信なのかもしれない。
世話は定期的に行う必要はあるが、ウサギというのは猫や犬の次に飼いやすいと人気の動物である。ペットショップだと安価で購入が可能で鳴き声はなくウサギの体臭も臭わない。ただし、尿は限りなく臭う為、定期的に取り除く必要はあるそうだ。
「神楽坂さん。どうするんですか。今回の犯人探しは引き受けるんですか?」
僕が心配なのは依頼として引き受けるかどうかである。もし、依頼となれば依頼料が発生する。だが、相手は小学生で依頼料を取るにはかなり抵抗がある。
「勿論、目の前に動物が苦しんでいるのに見過ごせないわよ。当然、引き受けるわ」
「しかし、依頼料はどうするんですか」
「犬くん。困っている人がいたらお金を貰わないと助けないの?」
「いえ、貰いません」
神楽坂さんの中で既に答えは出ていた。変なことで考えていた僕の方が恥ずかしい。
「さて、まずは犯人を絞らないといけないわね」
「神楽坂さん。ウサギから犯人を聞き出せないんですか」
「犬くん。被害者から犯人を聞き出すなんて反則よ。探偵が死人から犯人を聞き出すくらい反則よ」
「被害者って……ウサギですよ」
「人も動物も同じ被害者よ。聞き出せるならやりたいけど、感情を読み取ることが出来ても言葉を読み取ることなんて出来ないわよ」
「そうですね。と、なれば地道に探すしかないですね。しかし、一年生から六年生まで当たっていくとなれば時間はかなり掛かりそうですね」
「もしかして全校生徒全員を取り調べるつもり? 一学年百人いるとして全校生徒六百人よ。そんな馬鹿な取り調べする訳ないでしょう」
「じゃ、どうするんですか」
「犯人はもっと絞れるわよ」
「しかし、鍵を使って入らなくても小屋の外から嫌がらせることも出来ると思いますが」
「いえ。犯人はしっかり小屋の中まで入っているわ」
「どうしてそんなことが言えるんですか」
「ウサギの毛よ」
「毛?」
「通常はもっとフサフサしているけどこのウサギはやけに短い。何者かにハサミでカットしているに違いない。それに寝床にある藁が水で濡れている。雨風が防げるような構造に濡れているってことは誰かが水を撒いた。こんなことが出来るのは小屋の中に入らないと出来ないわ」
「な、なるほど。じゃ、鍵を触れる飼育員の誰かってことになりますね」
「そういうこと。飼育員は香澄ちゃんを含めて全員で四人。そのうち飼育担当は曜日別で決まっている。どれも一人作業だから犯行に及ぼうと思えば出来るから全員が容疑者になり得るわね」
「もう少し、詳しく聞いてみましょう」
情報収集する為、再度香澄ちゃんに話を聞く。
「はい。飼育委員は私を含めて全員で四人います。世話は各曜日で担当を決めています。朝、通常よりも三十分早く登校して別で飼っている金魚の餌をあげた後、職員室に鍵を取りに行きます。その時、各鍵ボックスを開けてもらう為に先生に開けてもらってから手続きをして受け取ります。その後にウサギ小屋に行き、水や餌を補充して汚物を片付けるのが一連の世話の流れです。放課後、朝と同じような世話をして終わりになります」
「大掃除はどのような流れなの?」と神楽坂さん。
「はい。毎週水曜日は飼育委員全員で朝早く来て小屋内の掃除をします。同時にいつもやっている水や餌の補充もします。放課後の世話はジャンケンで勝った人がやることになっています」
「勝った人? 負けた人じゃなくて?」と僕は返す。
「はい。負けた人がやると嫌々世話をすることになるから気分が悪いじゃないですか。だから勝った人がやった方が気持ち良く世話を出来るじゃないですか」
「なるほど。それは誰が決めたの?」
「私です。私、飼育委員長をしていますので意見を出したら皆、賛成してくれました」
「香澄ちゃんは月曜日担当って言っていたけど、どうして木曜日の放課後もやっているの? 木曜日の担当者はいるはずなのに」と、神楽坂さんは指摘する。
「その子、元々は朝と放課後は世話をしていたんですが、最近塾に通うようになりました。その曜日が木曜日で早く帰らないと遅れるから私が引き受けたんです」
「月曜日、水曜日、木曜日も担当しているなら大変じゃない? それなら木曜日を担当している人の曜日を変えたらいいんじゃない」
「確かにそうですけど、いいんです。私、ウサギの世話が好きですから。家では飼えないから学校でこの子たちの世話をすることが楽しいです」
「家では飼えないってどうして?」
「うち、マンションなんです。ペットは禁止のところなんです」
「なるほど。どうもありがとう。必ずお姉ちゃんが犯人を見つけてあげる」
現状、神楽坂さんはまだ犯人まで辿り着いていない。第一、神楽坂さんは探偵ではない。ただの動物好きで動物の知識が豊富であるということ。
「分からないわね」と神楽坂さんはぼやく始末。
「そうですね。一体誰が犯人なのか」
「違うわよ。私が分からないのはどうして犯人がこんなことをするのかってことよ」
「そうですね。大人なら許されないけど、相手は小学生で悪戯のつもりなら早く辞めさせないといけませんね」
「それは違うわね。犬くん。例え小学生でも悪戯では済まされないわ」
「確かにそうですけど」
「これまでの行為を見る限り、目的はウサギじゃなく別にあったかもしれないわね」
「別ですか?」
「香澄ちゃん。あの子、気弱そうで大人しそうな子じゃない。学校じゃ友達いないのかもしれない。唯一の友達といえばウサギたちしかいないのかもね」
「そうなんですか?」
「多分ね。下手したら学校では虐められているかもしれない。もし虐められていたとしてもあのタイプだと誰にも相談はしないかもしれない。虐めというのは、最初は些細なものだけど、日に日にエスカレートしていくものよ。気付けば悲惨な目に合う。おそらく香澄ちゃんを虐めている人は困らせるべく彼女が大事にしているウサギに手を出した。ウサギを見て悲しむ姿を見て楽しむ。そんなところじゃないかな」
「それが事実としたら酷いですね。でも、犯人は飼育委員の中にいるんですよね。動物好きがウサギに手を掛けるとは正直信じられないのですが」
「別に動物が好きだから飼育委員になったとは言えないんじゃない? 話を聞く限り、飼育委員って仕事内容だけ聞くと大変だし面倒なことをする業務。お金が貰えるわけでもないのにやりたがるかしら。第一、小学生なんて遊びや塾で忙しいのにわざわざ動物の世話をするほどお人好しはいないんじゃないかしら。もしクラスで役員を決めようとなった時は最後に残る。そうなれば押し付け合いになってジャンケンで負けて仕方がなく引き受けたというのが考えられるかしら」
「確かに一理ありますね」
「まぁ、私だったら真っ先に飼育委員に立候補するところだけどね」
神楽坂さんなら動物と関わりが持てる飼育委員が似合いそうだ。
「じゃ、嫌々で飼育委員になった人が犯人ってことですか?」
「確かにそれでほぼ犯人に繋がるけど、まだ絞り込める要因があるわ」
「他に何があるんですか」
「香澄ちゃんに世話を押し付けた木曜日担当の人。おそらく彼女よりも気が荒く断れない人物じゃないかしら。彼女は怖くて断れない。更に苦しむ顔見たさにウサギを虐めた犯人と私は推測するわね」
「少ない情報でそこまで読めるなんて凄いです。神楽坂さん」
「でも何か引っかかるわね」
「え?」
神楽坂さんはその先は答えなかった。
木曜日。香澄ちゃんは木曜担当の人よりも早くウサギ小屋の付近で待ち伏せをしていると案の定、虐待の現場を写真に収めることが出来たという。神楽坂さんの読みは見事に的中したのだ。その後、どのような修羅場になったのか知らない。少なからずお互いの気持ちをぶつけ合ったに違いない。
人間同士のトラブルで動物を巻き込むのは言語道断。ウサギにしてみればとばっちりの火の粉が飛んできたようなものである。
後は本人同士の話し合いで解決したようだが、またしても香澄ちゃんからある報告を受けた。
「ウサギに対する虐待はもう、なくなったのですが、ウサギたちの食欲は相変わらずないんです。病気じゃないかと心配で」
そのような報告を受けて、僕と神楽坂さんはすぐに現場に向かった。
「お姉ちゃん。ウサギの様子を見てください」
「拝見します」
神楽坂さんはウサギを抱き寄せた。
「ん?」
「神楽坂さん、どうかなさいましたか?」
「ストレスは減ったみたいね。ただ、気持ち良さそうな感情が伝わってくる」
「じゃ、なんで餌を食べないんですか? 体調が悪んじゃ……」
「いいえ。餌ならちゃんと食べているわ。むしろ食べ過ぎね」
「それってどういうことですか?」
「香澄ちゃん。少し聞きたいことがあるんだけど」
「はい。なんですか?」
「ウサギが餌を食べないのはどういう時?」
「私が世話担当の日は決まって食べないんです。他の曜日だと食べるって聞いていますけど」
「確か、香澄ちゃんの担当は月曜日だったわね」
「はい。そうですけど」
「なるほど。そういうことか」
神楽坂さんは全ての謎が繋がったような顔をしていた。
休日の小学校のことだった。香澄ちゃんと神楽坂さんと僕の三人はウサギ小屋前から距離を取り監視していた。
すると、中年男性がウサギ小屋に真っ直ぐ向かってきた。
「あ、校長先生」と香澄ちゃんは反応した。
校長先生はウサギ小屋に入ると世話を始めた。こういうのは役職が下の先生がやるものだが、トップである校長が自らウサギの世話をするのも珍しい。上のものから率先して雑用することは本来あるべき姿なのかもしれない。
「ほーれ! いっぱいお食べ」
と、僕たちは信じられない光景を目にした。なんと餌箱に溢れるばかりのウサギフードを大量に注いだ。四匹分とは言えいくら何でも多すぎる。三日、四日分はあるだろうか。これではウサギが肥満になってしまう。
「校長先生!」と香澄ちゃんは駆け寄った。
「ん? 君は宮崎さん。どうしたんだい。休日の学校に」
「校長先生。少しお話があります」と神楽坂さんは前に出る。
「ん? 君たちは誰かね。無断で学校に入っちゃダメじゃないか」
「そんな事より、餌をあげすぎじゃないですか」
「餌? 大体これくらいだよ。今日が土曜日だから明日の分も合わせて占めて二日分」
「明日は世話をしないんですか?」
「明日は誰も来られないからね。だから食べ溜めだよ」
「バカを言わないで下さい! 動物の世話を何だと思っているんですか」
神楽坂さんは校長先生に対して感情をぶつけた。
「な、何だ、君は。大体失礼じゃないか。無断で校内に入って。警察に通報するぞ」
校長は立場上、一回り年下の女性に攻められたのが気に食わなかったのか、声を張り上げた。
さすがの神楽坂さんも警察の単語で身を引くかと思ったが、引き下がることはなかった。
「動物は皆、餌があればあるほど蓄えようとします。それが本能です。あなたが必要以上に餌をあげたことによって無理な過食を強いられたウサギは結果として香澄ちゃんが担当の月曜日には満腹で餌を食べようとしないのです。全ては校長先生。あなたが原因ですよ」
「き、君にそんなことを言われる筋合いは」
「校長先生、お願いします。お姉ちゃんの言うようにウサギに負担をかける飼育はやめてもらえませんか?」
「宮崎さん」
「お願いします。私、ウサギが好きだからこの子たちには健康でいてもらいたいんです」
香澄ちゃんの訴えを聞いた校長先生は金網に手をかけて視線を落とした。
「大体、このウサギは前校長が連れてきたものなんだ。私はウサギには関心がなかったが、私が現校長になり、仕方がなく世話をしているんだ。世話をしているだけありがたいと思ってほしい」
「感心しませんね。校長先生」と、神楽坂さんは言い放つ。
「何?」
「仕方がなく世話をしている? 校長先生の口から出る言葉とは思いませんね。学校では命の大切さを学ぶ為に動物を飼っているケースが見受けられるものです。そのような意味も理解せず飼っているのであれば校長を辞任した方がいいかもしれません。飼い主が固定されている訳ではないですが、学校が一丸となって飼育している大切な家族じゃないんですか。あなたが変わらないと何も変わりませんよ」
神楽坂さんの言葉を心に来るものであり、反論の余地はなかった。
「校長先生。ウサギってよく見ると可愛くないですか。ほら」と香澄ちゃんは白ウサギを校長先生の前に差し出す。愛らしいウサギの目が何かを訴えていた。
「あぁ、そうだね。可愛いよ」と校長先生はウサギの頭を撫でた。
あれから数日後、香澄ちゃんの学校は校長先生の提案により命を大切にする取り組みが行われた。授業で取り入れたり、一般生徒にもウサギと触れ合える体験を実施することでウサギは学校のアイドル的な存在になったという。以前は避けられる存在だったが、現在では全くの真逆になり、ウサギにも新しい居場所が出来て何よりだった。
「はぁ、ボランティアも楽じゃないわね」
と、神楽坂さんはため息交じりに呟いた。
「やっぱりビジネスとしてお金を取った方が良かったですか?」
「とんでもない。むしろこっちがお金を払うべきよ」
「え? どうしてですか?」
「タダで動物に触れるんだもの。得じゃないかしら」
「神楽坂さんは動物に触れ合うといつも幸せそうですね」
「そういえばあの時のウサギなんだけど、香澄ちゃんが触れた時に感情が伝わってきたのよ」
「感情? どんな感情ですか」
「本人には言えなかったけど、メスが欲しいって」
「それってどういうことですか」
「あのウサギ小屋にいた四匹は全員オス。欲求が溜まっていたんじゃないかしら」
「そうなんですか。あえて香澄ちゃんの前で言わなかったのはどうしてですか」
「私も犬くんに見習って空気を読んだのよ。たとえ動物だろうと生々しい発言は控えた方がいいかなって思っただけ」
「良い心掛けだと思います」
「ついでに言うともしかしたら多少の傷があったのは人間の仕業じゃないかもね」
「どうしてですか?」
「ウサギのオス同士と言うのは縄張り意識が強いから同じ空間にいると激しい喧嘩をすることもあるのよ。傷はその時に付いたかもしれない。そもそもあぁいう小屋で飼育するならメスだけにした方がいいかも。メス同士ならまず喧嘩はしないし多頭飼育に向いている。最初の段階で連れて来る性別を間違えているわね」
「それって教えてあげた方が良かったんじゃないですか?」
「まぁ、そうなんだけどあれだけ可愛がっている姿を見れば言えないわよ。ただ、新たなオスを追加すると間違いなくその子は虐められるかもしれないわね」
「ウサギの世界でもそんな虐めがあるんですね」
「動物の方が酷いわよ。同じ種族でも殺し合いは起こるものなんだから」
「怖いですね」
「その話は次回じっくり勉強しましょう。私、今日疲れたから帰るね。後はよろしく」
神楽坂さんは帰ってしまった。
僕は押し付けられた研究室の掃除と動物たちの世話が終わったのはそれから二時間後のことだった。
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