ケース8 三万分の一の希少動物

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ケース8 三万分の一の希少動物

「犬くんはオスが好きなのか、メスが好きなのかどっちかしら」  ふと、神楽坂さんからそのような質問が飛んできた。それは動物としての質問なのか、人間としての質問なのか定かではない。人間なら男か女で質問が飛んでくるはずなのでおそらく動物に対しての質問だと確信する。動物と分かったところでなんの動物か分からない。その趣旨を聞くと「何を言っているの? 人間に決まっているじゃない」と返される。それなら男女で質問するべきではないだろうか。そもそも質問が質問になっていないことを抗議するべきじゃないかと思うが、神楽坂さんは僕に対して犬扱いなので自然とそうなってしまうのかもしれない。それもそれでおかしな話だが、議論するのも面倒な話である。  話を戻すと当然、僕は男なので女が好きに決まっている。いや、それ以外ありえないのではないだろうか。 「なるほど。犬くんはメスが好きと。逆にオスは嫌いだからいつも群れから離れているのね」  確かにメスは好きだが、オスが嫌いだからといつも一人でいる訳ではない。まるで友達がいないような言い方だが、少なくとも僕にも友達くらいいる。それだけは勘違いしないでほしい。  逆に神楽坂さんがそうではないだろうか。普段から一人でいるし、男の気配もない。  いや、神楽坂さんは人間嫌いだから自ら選んで一人でいるのでなんとも言えない。 「ちなみに私はオスもメスも両方いけるわよ」  それは人間としてか動物としてかどちらだろうか。神楽坂さんのことだから動物のことを指しているのだろう。それなら納得出来る。ただ、人間の場合はどうなのだろうか。少なからず男が好きと答えてほしいところだが、男どころか人間に興味がないのはどうにかならないだろうか。 「さて、今日は動物によってオスとメスの違いについて考えてみましょうか」  真面目な口調で本日の勉強の課題が出された。 「人間で言えば昔から男は労働、女は家事とされているわね。それは何故か。女は子供を産むし、経済力がないからとされている。そもそも男と女では脳の作りが違うのよ。それは何か分かるかな?」 「男は理論性、女は感情に基づいて行動するということですか?」 「そうね。会話なんかすると分かるけど、男は陳述・報告。女は共感といったところね。簡単に言えば男は会話にある種の目的があること。女は自分の話に感情移入してもらい、共感してほしいだけと言うこと。よく男は話のオチがあるかないかで面白い、面白くないと決めるけど、女はその話の過程を言い合うだけで面白いのよ。だから男女の会話は噛み合わなくなるとされている」 「なるほど。確かにそんな風に感じることはあります」 「それほど同じ人間でも男女には違いがあるの。ノーベル賞や技術の開発者が男に多いのはそういうことね。逆に女は人間の感情を生かすものが得意とされている。例えば営業とか接客は強いわね。そのことから男は社会で評価されやすいけど、女は結婚や妊娠で社会を離れやすい。結果、男は仕事、女は家事ということ。でも最近はそれが逆転している傾向にあるのよ。男が家事、女が仕事ってね」 「あぁ、確かに最近よく聞きますよね。主夫とかキャリアウーマンとか」 「そうなの。女社長とかも増えているのよ。化粧品会社や飲食業界とかね」 「分かります。格好良いですよね。そういう女性」 「そうね。じゃ、動物はどうなのか、それを考えてみましょう。有名なのがライオンなんだけど、狩りは基本、メスがやる仕事って知っているかしら」 「それ、聞いたことあります。あれ? じゃ、オスライオンは育児ですか?」 「それもメスがするのよ」 「え? オスは何もしないんですか?」 「子供作ってメスが運んできた餌を食べて寝るだけね」 「ヒモじゃないですか。僕もオスライオンになってみたいですよ」 「オスもオスで過酷な社会なのよ?」 「どういうことですか?」 「いいわ。オスライオンの生涯を教えてあげましょう。ライオンはオス一頭に複数のメスとその子供たちで『プライド』というハーレム型の群れを作るのよ。メスの子供はそのまま群れに残るけど、オスの子供は三歳くらいで追い出される。群れを出たオスライオンはオスライオン同士で群れを作る。ここでは将来、自分のプライドを夢見ながら獲物を狩って力をつける。その後、プライドを乗っとるべく他の群れのオスに挑戦するの。まさにライオン同士のプライドを賭けた戦いね。負ければ死ぬし、運よく生き延びても怪我で放浪して死ぬ。負ければそこで生涯終わったも同然。でも勝てば相手のプライドを乗っ取ることができ、そこにいたオスライオンを叩き出せる。そのプライドにいる子供を殺して新たな自分の子供を作れるの」 「なんで殺す必要があるんですかね」 「子供がいるとメスライオンは発情しないからって言われているわ。プライドを乗っ取れば夢のハーレム生活を堪能できるのよ。餌にも困らないし、やりたい時にやれる。まさに成功者だけが許された特権よ」 「人間と同じですね。若い頃に努力して実ればお金持ちになるような」 「そうね。でも、オスライオンにも成功したからといってそこでおしまいという訳じゃないのよ。メスが獲物を捕れなくなればキリンや像などの大物を取るためにオスが出向くこともある。オスライオンはプライドの最後の切り札だから。でもどんなに強力なライオンでもいずれ年老いて弱まるもの。そしていつかは挑戦者に敗れてプライドを叩き出されてそのまま死ぬ。プライドを乗っ取る為に戦い、プライドを守る為に戦い、プライドの乗っ取りを防ぐ為に戦い、負けたらそれが寿命。それがオスライオンの生涯。どう? これを聞いてもオスライオンに生まれ変わりたいと思う?」 「いえ、人間のままで結構です」  動物には動物の過酷さがあるのだとこの時、僕は知った。  人間で良かったと改めて感じる。少なくともどの生き物も楽をして生きられるはずはない。楽できるとしたら人間に飼われているペットくらいだろう。何もせずとも餌を運んできて貰えるし、その他は寝て過ごせばいいだけなのだから。唯一大変なのは飼い主のご機嫌取りだろう。可愛く振る舞えればなんとかなる。そんな夢の生活を送ってみたいものだ。 「あと、変わった生態の動物も確認されているの。オス同士で交尾する動物がいるって知っている?」 「オス同士? どういうことですか?」 「キリンなんだけど、キリンもメスを巡ってオス同士が争いをする動物なの。その戦いは激しくて長い首を鞭のように激しく振り、相手にガンガンぶつけるくらい荒い喧嘩なのよ。でも、戦いに決着がつかないとそのオス同士がイチャイチャしはじめるのよ」 「え? 喧嘩の後にイチャイチャするんですか?」 「そうよ。同性愛行為は口づけを交わしたり、お互いの首を舐め合ったりなかなかの濃厚だったわよ。最終的にはメスと行うような交尾体制になるから見てられないわ」  確かにそれは見ていられないが、まるで見たことがあるようなものの言い方だ。そんなものを見ている神楽坂さんの姿はあまり想像できない。 「キリンはいわゆるホモですか?」 「そうね。どうしてこのような行動をとるのか分からないけど、一説の話では喧嘩の興奮を性的な興奮と錯覚するため、オス同士で交尾をしてしまうと言われているわ」 「キリンの見方が少し変わりました」 「ちなみに交尾は動物界で最速で終わると言われているの。キリンは草食動物で肉食獣に狙われるから交尾中も気が抜けないのよ」  その情報は別に聞きたくない。神楽坂さんがいうとどうも生々しい。 「同性愛がある動物は他にもオオカミ、イルカ、ピグミーチンパンジー、マンガベー、タツノオトシゴがそうなの。どんな同性愛行為かというと……」  その後、神楽坂さんはそれぞれの動物の同性愛事情は長々と語った。僕は大人しく聞いていたが、やはり生々しい口調と発言に僕の理性を刺激させてしまった。ここから先は聞かなくても物語の進展に関わりがないのでカットしようと思う。楽しんでいるのは神楽坂さんだけなのだから。 「初めまして。私、神楽坂動物相談所の神楽坂鈴蘭と申します」  僕と神楽坂さんはとあるお宅にお邪魔していた。今回の動物相談は飼い猫の捜索と伺っている。依頼者は三浦浩二(三十四歳)さん。マンションで一人暮らしをしている普通のサラリーマンだ。 「飼い猫が行方不明ということですが、今回の依頼内容は猫の捜索ということで間違いないですか」と、神楽坂さんは依頼者に問う。 「はい。そうです。あの、確実に見つけてもらえるんでしょうか?」 「出来る限り最善を尽くすように努力します」 「努力じゃダメだ。絶対に見つけてください。お金ならいくらでも払います。前金です。受け取って下さい」  三浦さんは百万円の札束をテーブルの上に差し出した。思わぬ大金に僕は度肝を抜く。 「これを受け取ったからには見つけられませんでした。というのは許されそうにないですね」と、僕はボソッと呟く。 「当たり前です。見つけられなかったら訴えますよ」  強い口調で三浦さんは言う。  客ありきの仕事なのでどうしてもこういった無茶振りを言うお客様はいるものである。いや、この仕事をしてからまともな客は希だ。ほとんどが無茶を言ったり、若いからと試すようなことを言ったりするので仕方がない部分はある。  僕は神楽坂さんと席を離れて打ち合わせをする。 「神楽坂さん。依頼を断りましょう」  まず僕は難しい依頼だったり、クレーマーぽい人が客だった場合、依頼そのものを断る提案を神楽坂さんにする。後先考えずに依頼を引き受けることはせず、慎重に物事を考えた上でする・しないを決める。言ってみれば僕は神楽坂さんのマネージャーでもあるのだ。出来ない仕事は初めからしないのに限る。 「どうして? 百万円も貰えるならやった方が得じゃない」  当然、神楽坂さんはどんな依頼でも引き受ける構えだ。これが最も危険な行為だ。 「確かに金額は魅力的ですが、見つけられなかった時が怖いです。そんなリスクを背負うくらいなら断った方が楽になります」 「あの人、相当困っているみたいだから断ったら可哀想じゃない」 「そうですけど、やばいですよ。確実に見つけられる保証がなかったら断るべきです」 「大丈夫。特徴さえ把握できれば手はあるわ。もう少し話を聞きましょう」  と、神楽坂さんは席に戻る。これで僕が止めた試しはない。だが、言うだけのことはしっかり言う。それでも神楽坂さんがやると言うのであれば、僕はもう何も言わない。いや、何も言えないのだ。 「それでいなくなった猫というのはどんな品種ですか」 「写真があります。どうぞ、ご覧ください」  差し出された写真を見る。それは白、黒、茶が特徴的な三毛猫だった。 「なるほど、三毛猫ですか」 「お願いします。情報は全てお伝えしますので、どうか見つけて頂けませんか」  依頼者の三浦さんはやけに見つけることに強いこだわりを感じられる。飼い猫がいなくなったら一大事になる気持ちも分からなくもないが、それにしては激しい感情が出ていた。探し出すのに百万円払えるのであればその百万で新しい猫を買った方がいいのではないだろうと僕は思う。それだけあれば二、三匹買えるし、お釣りもくる金額だ。しかし、ペットも家族同然とも言うのでその個体にこだわるのが飼い主の心理というやつだろうか。僕にはさっぱり分からない感情である。 「この子の顔」と、神楽坂さんは猫の写真を見つめて何か気付いた様子である。 「どうしましたか。神楽坂さん」 「オスだわ」 「オス? それがどうかしたんですか?」 「犬くん。本気で言っているの?」  神楽坂さんは鼻と鼻がくっ付きそうな距離に迫ってきた。その可愛い顔が僕の頬を赤くさせる。一体、何にそこまで興奮しているのだろうか。 「いーい! 三毛猫のオスというのは生まれる確率って三万分の一なのよ。殆どがメスの個体しか生まれない。オスは幸運を呼ぶとされている。私もこの目で見たことがない。市場では出回っておらず、買い取ろうとしたら数千万円の価値が付くのよ。おわかり?」 「す、数千万? 猫でそんな価値があるんですか」  思わず、僕は声のトーンが上がった。そして僕たちは依頼者の顔を直視する。 「そう、この子は三毛猫のオスだ。だから一大事なのだ」  なるほど。百万円を出してでも見つけてほしい訳だ。なんといっても数千万円だ。それは見つけることにこだわるはずだ。買い替えなんてできるはずがない。世の中には不思議なこともあるものだ。 「オスの三毛猫探し、引き受けましょう」  と、神楽坂さんは勝手に承諾した。  いくら僕が止めたところで神楽坂さんは聞く耳を持たなかった。依頼を引き受けたその理由は次の通りである。 「だって私、見てみたいのよ。オスの三毛猫」と、ただの興味本位である。  もし、見つからなかったらどうするのだろうか。秘策があるとは考えられなかった。  今回の依頼内容を整理してみよう。  内容は猫探し。対象はオスの三毛猫で名前はフク。幸福から取られた名前だそうだ。  三毛猫のオスは三万分の一の確率でしか生まれない貴重な猫だ。  いなくなったのは三日前のこと。三毛猫を飼っていた依頼者の三浦さんはマンションの高層部の十階に住んでいる。いなくなった経緯は仕事から帰宅した十九時に三毛猫の姿がないことに気が付いたという。  奇妙なことは普段家の中でしか飼っておらず、外に出すことはないという。なんせ、貴重な猫だ。交通事故にでもあったら大変だ。それなのに仕事から戻ったら姿がなくなっているのだ。 「家の戸締りはされていないんですか?」 「ベランダの鍵はかけ忘れてしまいました。ベランダが空いていたのでおそらくそこから逃げ出したのかもしれません」 「十階から逃げ出したと。まぁ、猫ならベランダの仕切りくらいなら簡単に抜け出すことはできるでしょう。隣の部屋に入り、空いていた扉から侵入したとも考えられます」 「はい。この階にいる住人には聞き込みはしました。でも、猫が入ったとは聞いていません。もう三日も探しましたが見つかりません。お願いします。一刻も早く見つけて下さい。捜査費用はいくら掛かろうと構いません」 「承知致しました。お任せ下さい。ただ、逃げ出したのではなく連れ去られたという線も視野に入れて下さいね」 「誘拐ですか?」 「はい。何と言っても貴重な猫ですから欲しい人は五万といます」 「そんな。なんとかして下さい」 「はい。分かりました。お任せください」 依頼を受けて神楽坂さんはマンション内を調査していた。 「神楽坂さん。誘拐だったら見つけるのは困難ですよ」 「もしそうであればどこか闇のルートに流れるはず。そうなれば情報はすぐ得ることは出来る。ただ、逃げ出したとなれば地道な作業になるわね」 「そもそも、あの依頼者の三浦さん。どういう経緯であのオスの三毛猫を飼っているんでしょうか。金持ちに見えませんし、いくら珍しいからといってわざわざ飼いますか?」 「ある意味、それは猫の投資ね」 「投資?」 「そう。オスの三毛猫は珍しいのは事実。依頼者はメディアや研究施設に流して多額な報酬を受け取っているに違いないわね。おそらく購入した金額以上に稼いでいる。まさに投資猫よ」 「なるほど。そんな奥の手があるんですね」 「猫からしたら金にされて見返しはない労働猫。いやで逃げ出したとも考えられる」 「神楽坂さんは家出か誘拐かどちらだと思いますか?」 「さぁ、本人……いや、本猫に会ってみないと分からないわね。ただ、マンションの構造を見る限り誘拐の線が考えられるわね」 「どうしてですか?」 「猫が自力でマンションを出るのは苦難がいくつかある。まず家から出るには扉は一つだけ。猫用の小窓もない。ベランダは隣の仕切りの隙間は抜け出ることは出来るけど、その後が困難。ベランダから地面に飛び降りるわけにもいかないし。どうしたものかしらね」 「それにここってオートロックですよね。猫って扉のセンサーに反応するんですか」 「オートロック……あ、犬くん。それよ」 「え?」 「オートロックがあるなら防犯カメラがある」 「あ、なるほど」  早速、僕たちはマンションの管理人の元に行き、防犯カメラを見せてもらうことにする。猫がいなくなったと言えば快く見せてくれた。猫がいなくなった日の映像を見ることになる。  朝の七時前、依頼者の三浦さんが出てくるのが映った。ここから人の行き交う映像を早送りして猫が通るのを確認する。子供が防犯カメラにピースして遊んでいる姿もあったが、今回の捜査では関係ない。  だが、その日は猫が通り過ぎることはなく、三浦さんが帰宅していた。 「猫、映っていないですね」  僕がそう呼びかけても神楽坂さんは映像を直視して答えようとしない。 「もう一度、巻き戻してもらえないですか」  管理人のおじさんは言われた通りにする。 「止めて」  その映像には大きなキャリーバックを引く女性の姿が映し出されていた。 「神楽坂さん。どうしましたか」 「猫が出てくるとは限らないわよ。人間が持ち出したとも考えられない?」 「もしかしてキャリーバックの中に猫がいるとか」 「その可能性も視野に入れるべきじゃないかしら」  防犯カメラを見る限り、猫を隠して持ち出せるようなカバンを持った人はその女性以外確認できなかった。 「決まりですね。神楽坂さん。この女性に直撃しましょう」 「あなたが仕切らないでくれる? 犬くんはあくまで私の助手よ」 「はい。すみません」 「は? 猫? なんのこと?」  同じマンションの十階に住む防犯カメラに映っていた女性に直撃し、真相を確かめた。だが、当の本人は惚けているのか、素で言っているのか首を傾げるだけだった。 「あなたは同じ住民の猫を誘拐したんじゃないですか?」  と、僕は再度質問する。 「ちょっと待って下さい。いきなり押しかけてきてなんなんですか。言いがかりもいい加減にして下さい」 「ではその日、あのキャリーバックには何が入っていたんですか」 「それは」 「答えられないですよね。だって猫が入っていたんですから」 「違うわよ」 「じゃ、何が入っていたのか答えて下さい」 「あなたに言う義理はないわ」  断固、知らないと言い張る女性。だが、僕たちも引き下がるわけにはいかない。すると女性は言う。 「分かったわよ。言うわよ。ただし、そこの女の子だけに言うわ」  神楽坂さんを指名した。何故、僕は聞いたらダメなのだろうか。  耳打ちをする女性に神楽坂さんは頷く。 「なるほど」 「神楽坂さん。なんて?」 「答えられないわ。でも、この人は犯人じゃない。行きましょう」  と、あっさり女性は容疑者から外された。 「神楽坂さん。何を根拠に犯人じゃないと言うんですか」 「カバンの中身は言えないけど、少なからずあの女性は猫を誘拐することなんて出来ない。だって動物に全く関心がない。猫の価値にも興味がないわよ。多分」 「そうなんですか。神楽坂さんが言うのであれば白ですね」  とは、言うもののカバンの中身は分からず終いなことに少しモヤモヤが残った。 「神楽坂さん。と、なれば三毛猫はどこにいるんですか。カメラにも映っていない。誰かの手で持ち出された訳でもない。どうやって家からいなくなったのか謎です」 「どちらでもないのだとしたら答えは簡単よ」  神楽坂さんは自信があるように言った。何か閃いたのだ。  向かった先は依頼者の元である。三浦さんは僕たちが戻ってきたことで期待とともに言った。 「戻ってきたと言うことは見つかったんだね。それで、フクはどこにいるんだ」 「いえ、まだ見つかっていません」  神楽坂さんの返しに三浦さんはガッカリと腰を下ろした。 「見つかっていないのによくもノコノコと戻ってこられたな。分かっているのか。見つからなかったら訴えるって言ったよな」  と、早くも三浦さんはクレーマー魂に火が付いたように攻め立てる。 「はい。それは重々承知しております。探した結果、見つかりませんでしたが、居場所は予想がついています」 「どこにいる」 「その前に動き回ったので喉が乾きました。お茶か何か飲ませて頂きませんか」  神楽坂さんの図々しい発言に場の空気を悪くさせたが、三浦さんは渋々、家にあげた。神楽坂さんはどういうつもりなのか、僕は見当もつかなかった。  出された麦茶を飲み干したところで神楽坂さんは息を吐いた。 「麦茶、ありがとうございました。おかげで喉が潤いました」 「ところでフクはどこにいるか分かったんですか。そこまで図々しくくつろいで何も手がかりがありませんでした。で、済むと思っているんですか?」  三浦さんは大人の対応で必死に堪えている様子だった。感情的になれば今でも突っかかりそうな勢いだ。僕も気が気でいられなかった。この場から逃げ出したくなるくらいだ。 「手掛かりは最初からありません。いや、あるはずがないんです」 「どういう意味だ。分かっているのか。前金も百万円を受け取っているんだ。見つけられないのであれば慰謝料を払ってもらうぞ」 「百万円ならお返しします」 「返せばいいと言う話じゃない! それに加えて慰謝料を払えと言っているんだ。それと加えて占めて二百万円、キッチリ耳を揃えて返してもらうぞ」 「三浦さん。むしろ慰謝料はあなたが払うべきだと思いますが」 「な、なんだと? ふざけたことを言うのもいい加減にしろ」 「ふざけたことを言っているのはあなたの方です。今回の依頼内容は何ですか」 「あ? いなくなった猫の捜索だ。それが何だ」 「おかしな話ですね。それだと依頼内容が違ってきます。だって猫は初めからいなくなっていないのですから」 「いなくなっていない? どういうことですか。神楽坂さん」 「犬くん。そもそもこの家では猫を飼っていない。元々いない猫を探し出すなんて不可能な話なのよ」 「か、勝手なことを言うな」と三浦さんはついに感情を表に出した。大人の対応はできなくなっている。 「猫を飼っているにしては綺麗過ぎませんか? 家具や壁など猫を飼っていたら必ずどこかに傷が付くものです。猫は爪研ぎをする生き物ですから」 「そ、それは綺麗好きだから常に買い換えているんだ」 「それに毛も全く落ちていない」 「毎日掃除しているんだ」 「猫用のトイレもありませんね。獣臭も全くしない」 「今は片付けているんだ。毎日消臭だってしている」 「キャットフードはどこにありますか」 「今は切らしているんだ」 「そうですか。自分で言っていて不自然と思いませんか」 「ぐっ! う、うるさい。何もおかしくない。言い掛かりだ」 「あなたは初めからいないものをいなくなったと言い、見つけられなかったら多額の慰謝料を支払わせる常習犯です。おそらく最初に見せたその写真はネットから見つけて加工した写真でしょう。まだ言い訳をするなら法的処置を取ってもいいんですよ」  全て見定めたように神楽坂さんは言う。さすがに観念したのか三浦さんは膝をついて手を床に叩きつけた。極め付けに「チクショー」と奇声をあげた。  なんとも身勝手な言い掛かりにやられるところだったが、神楽坂さんが見事に阻止した。  事件は無事解決した。いや、そもそも初めから事件は起こっていなかったのかもしれない。 「良かったですね。依頼者が自白しなければ僕たちは多額の慰謝料を払わないといけなかったです」 「全然良くないわよ。私はオスの三毛猫が見たかったのに見られなかった。損した気分だわ」 「確かに残念ですけど、元々、拝めない存在ですので諦めましょう」 「斯くなる上は」  神楽坂さんは誰かに電話をした。  一体誰に掛けているのだろうか。五分後、電話を切ると満面の笑みで僕を見る。 「犬くん。許可が取れたわ。早速見に行きましょう」 「許可ってまさか」 「勿論、オスの三毛猫よ」 「誰から許可取ったんですか」 「成田教授。知り合いに飼っている人がいるんだって」  出た。成田教授。そういう時は必ずこの人だ。 「そういえば、一つ気になることがあるんですが」 「気になること?」 「三毛猫のオスが貴重なことは分かりましたが、そもそもどうしてオスが生まれないんですか」 「あぁ、それは遺伝子の中にある染色体に関係しているからなのよ」 「染色体? 何ですか、それ」 「メスはX染色体が二体で『XX』、オスはX染色体とY染色体が一体ずつで『XY』って言うのがあるの。毛色の白は常染色体上に存在するから染色体に関係なくオスでもメスでも持つことはできるけど、黒、茶はX染色体にしか存在しないの。メスは『XX』でX染色体が二つあるから色のパターンは黒黒・黒茶・茶茶の三種類になる。黒茶に常染色体の白が加われば晴れて白・黒・茶の三毛猫になる。だからメスしか三毛猫ができない。一方、オスは『XY』でX染色体が一つしかないから黒か茶のどちらか一色しか持つことができない。これに黒・白か茶・白の二色にしかならない為、オスの三毛猫は生まれない」 「な、なるほど」  意味もあまり理解せず、分かったように頷く。聞きながら疑問が浮かぶ。 「あれ? 理論的には生まれないようになっているのにどうしてオスの三毛猫が誕生することがあるんですか?」 「それは『クラインフェルター症候群』と呼ばれる染色体異常によってX染色体が一つ多い『XXY』の染色体を持って生まれてくるオスがいるのよ。『XXY』であればX染色体が二つあり、黒と茶の二色を持つことが可能になる為、オスの三毛猫が生まれることがあると言う訳。分かった?」 「は、はい」  知らない単語ばかり言われて頭は混乱した。 「あの、もう一ついいですか?」 「まだ何かあるの?」 「その貴重なオスの三毛猫を親として子供を繁殖させたらより多くのオスの三毛猫が作れると思うんですけど、その辺はどうなんだろうかなと思いまして」 「いいところに気がついたわね。確かにそれならオスの三毛猫が生まれる確率は高いと思うわ。でも、残念ながら多くのオスの三毛猫は生殖能力がないとされているわ」 「生殖能力?」 「エッチしたいという気力がないのよ。つまり性欲がなく親としては不向き。でも稀に生殖能力が高いオスの三毛猫もいるらしいけど、それは宝くじに当たるくらい極めて低い確率なの。もしそんなオスの三毛猫がいたら猫市場最高額になることは間違いないわね」 「凄い。一度でいいからオスの三毛猫を見てみたいですね」 「だから今から見に行くんじゃない」 「あ、そっか。楽しみですね。そのオスは生殖能力があるんですか?」 「さぁ、どうかしら。でも、会えると思ったら今からゾクゾクしてきちゃうわ」  神楽坂さんは頬を赤めながらエロい表情をしていた。いや、僕の方が神楽坂さんにゾクゾクしてしまう。なんて。
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