ケース1 小さな目撃者

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ケース1 小さな目撃者

まず、この物語を語る上で一番初めに語らなくてはならない人物を紹介しなくてはならない。このような出だしで申し訳ないがそれほど彼女の存在は大きいのだ。  彼女の名前は神楽坂鈴蘭。名前の文字数が多いこと以外はどこにでもいる女子大生と言える。現在、私立大学生物学科に通う二回生だ。あえて大学名等の情報は伏せさせて頂きたい。神楽坂さんの見た目は一言で表すと大人っぽく綺麗な人である。セミロングのストレートな黒髪にロングスカートがよく似合いそうな女性である。見た目だけを見れば神楽坂さんはその辺のアイドルにも引けを取らない美人とも言える。しかし、神楽坂さんは周りからチヤホヤされることはない。  昔からどれほど、美人で可愛くてもモテない人というのはいる。大概、そのような人にはモテない事情というのがある。例えば性格が悪かったり、趣味が特殊だったり、服装のセンスがなかったり、食べ方が汚かったりと見た目以外から出てくる欠点というのが存在する訳だ。それは美人で可愛い見た目以上に軽蔑するものを持っていると表現できる。しかし、神楽坂さんは見た目以外で欠点らしきものは見当たらない。神楽坂さんの場合、モテたいという気持ちは微塵もない。何故かというと神楽坂さんは人間嫌いである。人とのコミュニケーションが苦手で自ら人との接触を絶っている。とにかく人間に興味がないのだ。それだけ聞くと神楽坂さんは変わっている。だが、それ以上に変わっているものを僕は知っている。神楽坂さんは人間が嫌いだが、無類の動物好きだ。動物と触れ合う時は目が輝いている。人が変わるとも言える。そんな神楽坂さんには二つの体質があるのだ。 順に追って説明すると一つは動物に好かれること。どんな動物でも触れれば懐いてくるのだ。懐かれるとはどういったものなのか説明すると簡単に言えば動物に警戒されないということだ。動物は初見だとどうしても構えてしまう。  例えるとすれば昔、こんなことを聞いたことがある。それは神楽坂さんの幼少期の頃だ。両親と休日の公園に遊びに行った時の話。その公園には野生の鳩が集まるとされる聖地であった。パンの耳が入った袋を片手に鳩の餌やりをしていた神楽坂さんは夢中になっていた。両親も遠くで見守っていたが、神楽坂さんは嬉しそうに両親の元に戻ってきた。 「ママ、パパ。見て! 捕まえた」  神楽坂さんの右手には鳩を鷲掴みにしていることに両親は驚いた。  それもそうだ。野生の鳩を素手で捕まえようとしても普通は出来ない。勿論、大人が本気でやったとしても空に逃げられてしまうのがオチ。それなのに子供が鳩を鷲掴みにしていたら誰だって驚く。ただのマグレだろうと両親は思ったが、その後も神楽坂さんはどんな鳩でも捕まえてしまうのだ。掴まれた鳩は苦しそうに逃げようと力一杯羽ばたこうとする。それでも放そうとしなかった神楽坂さんを見かねた両親はある取り決めをした。神楽坂家では鳩を捕まえるのを禁止というルールが決められるくらい普通ではありえない事情があったそうだ。成長するにつれて神楽坂さんはどのような動物でも手懐けてしまう才能が発揮された。まるで桃太郎のきびだんごを食べさせたように。下手をしたらライオンでも手懐けることができるのではないだろうか。実際、野生のライオンと接触する機会はないので現実では絶対再現できないことはご了承願いたい。  さてさて。二つ目の体質を話す前にそろそろ僕の紹介をさせてほしい。  僕の名前は犬飼駒助。フルネームで覚える必要はない。上の名前だけでも充分だ。いや、下手をしたら覚えなくてもいいかもしれない。何故なら僕は神楽坂さんから『犬くん』と呼ばれているからだ。  理由としては犬飼だから犬くんということだ。人間嫌いの神楽坂さんとどうして絡みがあるかと言えばまず、人間扱いをされていないところだ。 「犬くん、悪いんだけど教室に資料を置いてきちゃった。取ってきてもらえるかしら」 「はい。ただいまお持ち致します」  神楽坂さんに言われたものを手渡すと「偉いわね。よくできたわね」と必要以上に頭を撫でて褒めた。 「あの、僕を犬と勘違いしていませんか?」 「あら、ごめんなさい。てっきり犬かと」 「僕は犬ではなく人間です」  と、まぁこのように神楽坂さんは僕を犬扱いすることはお決まりになっていた。そのこともあり、僕は神楽坂さんとお近づきになれている訳だ。それに見た目も少し犬っぽく生まれつき茶髪で柴犬のような毛並をしている。名前も犬だし見た目も犬とあっては犬扱いされるのも無理はない。もし、僕が人間扱いされたら神楽坂さんとは親しくできていないだろう。  神楽坂さんと呼んでいるのは察しがついている通り、僕は同じ大学の生物学科の一つ年下の後輩にあたる。同じ校内では数少ない神楽坂さんの理解者だ。  人間嫌いで動物好きの神楽坂さんは身につけている至る所に動物が潜んでいる。  うさぎがプリントされたTシャツ。パンダのシャープペンシル。カバンに付けられたクマのキャラクターのキーホルダー。スマホのケースは勿論何かしらの動物だが、月単位で変わっている。現在つけている動物が神楽坂さんのブームであることは最近になって分かってきた。ちなみに現在のブームハリネズミだった。  動物好きである神楽坂さんに対して、僕はこんな質問をぶつけてみた。 「神楽坂さんの一番好きな動物はなんですか」と。  それに対して神楽坂さんは怪訝そうに答えた。 「犬くん。あなたは犬が何種類いるか考えたことはあるかな?」 「いえ、ないですけど」 「千種類以上。その数は増え続けている。種類が違う犬同士の子供は新たな種類として増えるのよ。果たして、その数多くいる犬の中で何が好きって言われて答えられる? 答えたとしても知らない種類の犬を差し置いて好きと本当に言えるかしら。言えないわよね」 「ご、ごもっともです」 「犬くん。あなたの質問はまさにそういうことよ。好きなんて軽々しく言うものじゃないわよ」  つまり、神楽坂さんは一つでは表せないと言うのが答えだった。言いたいことは分かるが何故、犬で例えたのだろうか。そうだ、僕が犬だからだ。いや、犬なのは名前と見た目だけで僕は人間だ。  と、まぁ、神楽坂さんは神楽坂さんで動物好きにもプライドを持っているようだ。  神楽坂さんと接触があるのは大学校内の生物科棟にある実験室くらいだ。ここでは様々な生物の習性や実態の研究を行なっている。調べたデータを提出することで単位が取れる訳だ。そこで僕は神楽坂さんの助手として勉学に励んでいる。  どのようなことをするのか一つ紹介しようと思う。  クリアゲージの中に十個の卵が用意されていた。何も聞かされていない僕は神楽坂さんに何をするのか質問する。 「これはただの卵じゃないわ。この中には雛がいるの」 「もしかしてヒヨコですか?」 「えぇ、そうよ。もうすぐ生まれる頃かしら」 「ヒヨコを使って何をするつもりですか」 「犬くん。ヒヨコは孵化した瞬間、既に目が見えていてすぐに歩き出すことができるのを知っているかしら」 「えぇ。それくらいでしたら知っていますよ」 「それは何故か分かるかしら」 「さぁ、どうしてでしょう」 「答えは簡単。万が一、孵化した瞬間に外敵に襲われても逃げることができる為よ」 「なるほど。でも凄いですね。生まれた瞬間から目が見えて歩き回れるなんて人間だったら天才ですよ」 「そうね。それとヒヨコにはある習性があるのを知っているかしら」 「あれですよね。確か、初めて見たものを親と認識するやつ」 「そう。それを『刷り込み』と言うのよ。今回はその習性に対する実験を行うわ」 「一体どんな実験を行うんですか?」 「これを見なさい」  神楽坂さんが持ってきたのはネジ巻き式のニワトリだ。文字通り備え付けのネジを回すことで回す分、動くオモチャだ。 「今回はこのオモチャが親と認識するかどうかの実験よ」 「いや、神楽坂さん。いくら何でも無謀ですよ。生き物ならまだしもオモチャを親とは思いませんよ」 「犬くん。だからこその実験じゃない。見て! 卵にヒビが入っている。生まれるわよ」  クリアゲージの中を見ると孵化寸前の卵が動いていた。生命誕生の瞬間である。神楽坂さんはオモチャのネジを巻き、スタンバイさせる。すると、雛は一斉に孵化して殻を破って出てきた。 「今よ」  神楽坂さんはクリアゲージの中にニワトリのオモチャを投入した。  するとヒヨコ達は一斉にニワトリのオモチャに群がり出した。 「犬くん。大発見よ。オモチャでも親と認識したわ」 「信じられない。こんなことが起こるなんて」 「ヒヨコはオモチャでも刷り込みは可能と」  神楽坂さんはメモ帳に書き込んだ。この時の神楽坂さんはいつも以上にテンションが上がっていた。動物のことになると夢中になれるらしい。 「ところで神楽坂さん。このヒヨコ達の出所はどこなんですか?」 「あぁ、これ? 生物科の成田教授に借りたの。あとで返すから安心して」  毎回、実験の為に必要な生物や器具はその人から仕入れているみたいだ。しかし、一般の生徒に普通はここまで貸してくれない。神楽坂さんだからこそ成立している。その辺の事情に関して僕は一ミリも知らない。いや、むしろ知らない方がいいのかもしれない。  ちなみに今、僕たちが使っている実験室は一般人立ち入り禁止になっているところだ。これもまた神楽坂さんだけが使える特権になっている。そのおかげで僕もこうして出入りすることが出来ると言う訳だ。神楽坂さんの謎はまだまだあるが、物語を進めるにつれて知って頂ければ幸いだ。何といっても僕と神楽坂さんが知り合ってからまだ半年くらいしか経っていないので僕自身、何でも知っている訳ではないからだ。  大学の校内ではよく行動を共にすることは多いが、大学の外に出てしまえばほとんど顔を合わせることはない。いくら親しくしても神楽坂さんは人間嫌いだ。極力誰とも関わりたくないのは察している。 「犬くん。ちょっといいかしら」  校内の廊下を歩いている時のことだ。僕を見つけた神楽坂さんは歩みながら声をかけてきた。 「今週の日曜日は暇をしているかしら」  僕は耳を疑う。休日の僕の事情を聞いてきたのは今回、初めてのことだった。これはもしかしてと期待に胸を膨らませる。当然、ここは「暇です」と答えた。 「よかった。その日、空けといてくれるかな? 一緒に来てほしいところがあるの?」 「どこに行くんですか?」 「今は言えないかな。でも、きっと喜んでもらえると思うから楽しみにして」  これは期待をしてもいいと言うことだろうか。僕は平常心を装うが心は浮かれているに違いない。  当日の日曜日、僕は待ち合わせの駅に三十分前に着いていた。神楽坂さんと初デートはいつも以上に髪をセットとファッション誌を参考にした服装で決めた。  腕時計の時間を気にしていると神楽坂さんは「わっ!」と耳元で大声を出した。 「か、神楽坂さん?」 「犬くん。忠実に飼い主の帰りを待てたのね。エライ、エライ」と、神楽坂さんは僕の頭を撫でる。お約束の犬扱いだ。  神楽坂さんの本日のファッションはジーパンにグレーのパーカーというラフな格好をしていた。普段大学で見慣れている服装とあまり変わらない。ちなみに本日のTシャツは黒猫だ。よく見るとパーカーに猫の足跡のデザインがプリントされている。やはり動物好きは服装によく現れるみたいだ。 「さて、犬くん。行きましょうか」 「あの、これからどこに行くんですか?」 「動物園よ」  神楽坂さんとの初デートは動物園だった。確かに動物好きの神楽坂さんにとって動物園は絶好のデートスポットと言える。胸に期待を膨らませて歩いていたが、次第に僕は不安を募る。そう、動物園に向かうどころか神楽坂さんは住宅地に向かって歩いていたからだ。スマホのマップ機能で調べてもこの付近には動物園なんて存在しない。 「あの、神楽坂さん。どこに向かっているんですか?」 「うーん。この辺だったと思うけど、どこだっけ」 「もしかして迷ったんですか?」 「迷っていません。もうすぐで着くから黙って付いて来なさい」 「はい」としか言えなかった。それから五分後、神楽坂さんはある場所に立ち止まった。 「着いた。ここよ」  神楽坂さんが示した場所は高級住宅街がそびえる中でも一際目立つ豪邸だった。家の前だけでも三つの防犯カメラが設置されている。ガレージには高級車が三台も並んでいる。残念ながら車の知識がない僕は種類までは分からない。表札には『兼近』と書かれている。少なくとも神楽坂さんの自宅ではない。 「あの、神楽坂さん。動物園というのは?」 「ここだけど」と、当然のように神楽坂さんは言う。その言葉の意味がまるで理解出来なかった。 「早速、行きましょう」と、神楽坂さんは何の躊躇いもなくインターフォンを鳴らした。 「はい」とすぐに女性が返事をした。 「あの、今日お伺いする約束をしていた神楽坂と言います」 「神楽坂様ですね。旦那様から聞いております。どうぞお入り下さい」  返事と共に門のロックが解除された。何も聞かされていない僕は何が何だか分からなかった。  神楽坂さんを先頭に豪邸の中へ入った。まず、玄関に入ると中年の女性が出迎えた。 「初めまして。家政婦の猫宮と言います」  猫宮さんは律儀に頭を下げた。それに釣られるように神楽坂さんと僕も頭を下げる。 「初めまして。神楽坂鈴蘭と言います。そして、こっちは犬くんです」 「犬飼です」とすぐに僕は訂正を入れる。 「お待ちしておりました。どうぞこちらへ。旦那様がお待ちです」 「はい。お邪魔します」  神楽坂さんは愛想よく家に上り込む。人間嫌いの神楽坂さんにとってここまでのやり取りだけでも無理をしているに違いない。人の家に上り込むほど度胸がないと思っていたけど、もしかしたら僕の勘違いかもしれない。  豪邸ともあり、当たり前のように家政婦がいる。それに廊下には高価そうな絵や壺が飾られている。間違いなく大富豪がこの先にいる。 「猫宮さん、今からこの子たちの散歩に行ってきます」  廊下に現れたのは二十代後半の若い男性だった。その背後には犬を四匹連れている。種類はバラバラだが、どれも小型犬だ。 「はい。お願いします。気をつけて下さいね」  男性が過ぎ去った後に神楽坂さんは「今の方は?」と質問をした。 「彼は服部さん。後で散歩から帰ったら紹介させて頂きます。どうぞこちらへ」  猫宮さんを先頭に長い廊下を抜けた後、一つの扉の前に立ち止まった。 「こちらです。旦那様、神楽坂さんとそのお連れの方を連れてまいりました」 「入りたまえ」 「失礼します」 扉を開けると犬がいきなり神楽坂さんに向かって突進してきた。ちなみに犬というのは僕ではなく本物の犬である。 「きゃ、可愛い」  神楽坂さんは目の色を変えて犬を抱き寄せた。その犬を抱えながら部屋に入っていくと僕は目を疑った。犬、猫、オウム、フェレット、ウサギ、カナリア、ハリネズミ、メガネザルといったありとあらゆる動物たちが出迎えた。各種類一匹ずつと言う訳ではなく数匹単位でいるのだ。そう、まさに動物園か、と言いたくなるくらいの規模だった。ようやく神楽坂さんの言う意味を理解する。 「凄い。ゾクゾクする」  神楽坂さんは顔を真っ赤にしながら興奮が抑えきれない様子だった。動物スイッチが入ってしまったようだ。 「やぁ、いらっしゃい。待っていたよ」  部屋の奥で一人ソファに腰掛けている中年男性は言った。猫を膝の上に乗せて赤ワインを片手に持っていた。まさに金持ちの風格がそこにある。部屋には他にも四人が動物と戯れている。 「初めまして。神楽坂鈴蘭です。そしてこっちが犬くんです」 「犬飼です」  先程と同じやりとりをしながらお辞儀をする。 「どうも。兼近竜也です。成田君から聞いたよ。かなりの動物好きだって」 「はい。種類問わず大好きです」  満面の笑みで神楽坂さんは言った。普段、無表情の神楽坂さんしか見ていない僕は新鮮に感じた。 「家族を紹介しよう。右から長男の猿弥、二十四歳の大学生。隣が長女の美鳥、十七歳の高校生。その隣が次男の碧兎、十四歳の中学生。その隣が次女の鼠々、十歳の小学生。以上、私の四人の子供達だ。この部屋にはいないが妻の有栖の計六人家族だ」  子供達はお辞儀をして挨拶をする。僕もお辞儀をするが、神楽坂さんは考え込むように顎に手を当てる。人間よりも圧倒的に動物の数が多いとはいえ、これだけの人間が狭い密室に一斉に集まれば神楽坂さんの人間嫌いが発症してしまったのかもしれない。心配した僕は小声になりながらも呼びかけた。 「神楽坂さん、どうかしましたか?」 「竜、猿、鳥、兎、鼠」 「へ?」  突然の神楽坂さんの発言に疑問が浮かんだ。 「おや、もしかして分かったかい」  とご主人は興味深そうに言う。 「えぇ、すぐにピンときましたよ」 「神楽坂さん。どういうことですか」 「犬くんは鈍いわね。この子たちの名前よ」 「名前?」 「全員動物の名前が付いている。気づかなかった?」  数秒考えて納得した。漢字で見るならまだしも、言葉で聞いて納得する神楽坂さんは頭の回転が早い。子供に動物の名前を付けたのは偶然ではなく意図的に入れたそうだ。僕のように苗字に動物の名前が入ってしまうならまだしも子供に動物の名前を付けてしまうご主人は少し変わっている。流石に妻には動物の名前は付いていないようだ。いや、ここまで等率されたら狙って結婚しているのではないかと疑ってしまう。 「まだ猫がいるわね」と神楽坂さんは呟く。猫ならここにいるが動物ではなく人の方だ。 「失礼します。お茶をお持ち致しました」  噂をすれば猫宮さんが紅茶とマカロンを運んできた。家政婦の名前が動物なのは偶然かそれとも必然的なのか聞くのが怖い。そこは偶然だと僕は信じたかった。  兼近家の家族構成が分かったところで今回の経緯について振り返りたい。  話を聞いてみると今回のこの場は生物科の成田教授の紹介で招かれたのが経緯だ。成田教授の友人である兼近竜也さんは大の動物好きだ。気に入った動物はその日で契約して飼っているのだ。日に日にその数はどんどん増えていき、ご覧の通り動物園のようになっている。当然、人間よりも動物の方が多い。世話が大変なことから家政婦等を雇って世話をしている訳だ。  それを聞いた神楽坂さんは一度見てみたいと掛け合ってもらい兼近家に招待された訳だ。初めての訪問に少し抵抗があった神楽坂さんは顔馴染みである僕を同行させたようだ。動物園デートと僕はまんまと騙された訳だが、結果的に動物園といえば動物園なのでなんとも言えない。 「こんなに動物がいたら世話をするのも大変でしょうに。皆さんで分担しているんですか?」 「基本は家族で世話をするよ。長男は猿。長女は鳥。次男は兎。次女は鼠といった感じに担当が決まっているんだよ」 「なるほど。名前に見合った担当決めですね。それはご主人が決めたんですか?」 「いや、子供達の希望もある。名前の動物もすっかり愛着が湧いてね。いつも率先して世話をしてくれているよ」  子供に動物の名前を付けるのも驚きだが、実際に付けられた動物の世話までしているとなると奇妙な話である。しかし、子供達は満更でもない様子だ。愛情は少なからず感じる。 「それ以外の動物はご主人が見ているんですか? 犬とか猫とか」 「そうだね。見られる時は見るけど、忙しくてね。猫宮さんかうちの社員の服部って人が見てくれるよ」  先程、廊下ですれ違った男性が頭に浮かんだ。社員ってどういうことだろうか。そんなことを考えると横から神楽坂さんに声をかけられる。 「犬くん。犬の世話ポジションが空いているわよ」  神楽坂さんは立候補しろよと言わんばかりに肘で僕の腕を小突く。いや、いや。いくら僕が犬でも知らない家庭の犬の世話をするほどお人好しではない。軽く流すと神楽坂さんは面白くないといった感じでつまらなそうな顔をした。  それより、主人が動物好きとよりも一番気になることがある。 「ところで兼近さんはどのようなお仕事をしているんですか」  僕の聞きたいことを代弁するように神楽坂さんは聞いてくれた。 「私は動物病院を経営しているよ。院長でもある」 「もしかして兼近総合動物病院ですか」と、神楽坂さんは反応した。 「あぁ、その通りだ。よく分かったね」 「兼近総合動物病院と言えばこの市内では有名ですよ。動物に関しては素晴らしい技術と知識をお持ちだとか。お若いのに凄いですね」 「いや、いや。もう五十三だよ。いいおじさんさ」  豪邸の謎がこれで分かった訳だが、成田教授の人脈は計り知れない。只者ではないことは間違いない。いや、それと繋がっている神楽坂さんも驚きである。 しかし、目のやり場に困る。どこを見ても何かしらの動物が視界に入る。僕としては落ち着かない。一方で神楽坂さんは楽しそうである。初デートのつもりで来たがこれはこれで神楽坂さんの意外な一面が見られて満足である。 「兼近さん。ちなみに何匹くらい飼っていらっしゃるんですか?」 「そうだな。ざっと五十匹……いや、もっとかな。この部屋以外にもまだいるんだよ」 「凄い。是非見せて下さい」  神楽坂さんは飛び上がるように言った。 「勿論だ。今日はその為に来てくれたんだからね。その前に私のコレクションでも見ていかないか」 「コレクションですか?」 「本物の動物も良いが、絵も好きなんだ。おーい有栖。来てくれ」 「はい、はい。どうしました?」  部屋に入ってきたのは三十代前半くらいの若い女性だった。下手をしたら二十代でも納得してしまう。この人が奥さん?  「妻の有栖だ」 「どうも」と奥さんはお辞儀をする。  ここでも神楽坂さんと僕はお約束の挨拶をする。 「随分、お若い奥さんなんですね。再婚ですか?」と、神楽坂さんは踏み込んだ質問をする。 「神楽坂さん。どうして再婚だって思うんですか?」 「犬くん。君の頭は犬並みの頭脳しかないのですか。三十代で二十代の子供がいたらおかしいでしょ」 「た、確かに」  サラッと神楽坂さんは僕をディスる。 「実はそうなんだよ。前妻は病気で数年前に亡くなってね。私は動物なら治せるけど、人間に関しては素人さ」 「そうなんですか。ごめんなさい。変なことを聞いて」 「いや、いいんだよ。疑問になるのも不思議じゃない。それより有栖。この子たちに例のコレクションを見せてやってくれないか」 「あぁ、あれですか。分かりました。こっちです」  長い廊下を歩き案内される。 「ビックリしたでしょ。あれだけの動物がいるなんて」 「ビックリはしましたけど、楽しいです。いいですね。あれだけの動物に囲まれて生活できたら幸せじゃないですか」 「そんなに良いものじゃないわよ。毎日となれば鳴き声もうるさいし、世話も大変。自分の時間はなくなっちゃうよ」  道中、神楽坂さんと奥さんは楽しそうに会話をする。神楽坂さんは普通にコミュニケーションが取れていることに安心した。 「こちらです」 案内された部屋にはリアルな動物の絵が並んでいた。絵というより写真に近いものだった。それだけではない。動物のフィギュアが棚にズラリと並んでいた。その数はザッと五百体ほどだ。ここまでくると動物バカだ。 「全てご主人の物ですか?」 「えぇ、私からすればガラクタですよ」 「奥さんも動物が好きなんですか?」 「えぇ、勿論。大好きよ。ごめんなさい。私、今、手が離せなくて。好きに見てもらって構わないからゆっくりしてね」 「はい。ありがとうございます」  奥さんが部屋から出て神楽坂さんと二人きりになった瞬間だった。 「妙ね」と神楽坂さんは呟く。 「何がですか?」 「あの奥さん。動物好きなんて嘘」 「何で嘘なんて言い切れるんですか」 「動物好きの勘よ。心から動物を愛する気持ちが微塵も感じられない。きっとあの夫婦は訳ありね」 「と、言いますと?」 「さぁ、そこまで言い切れないけど、おそらく仮想夫婦。形だけの夫婦かもしれないわね」 「そんなことってあるんですか?」 「資産がある家庭にはよくある話よ。お金だけの夫婦として生活する関係。あの奥さんは動物どころかご主人にも愛せていないかもしれないわね」 「そうなんですか」 「まぁ、もう少し探りを入れてみましょうか」  と、神楽坂さんは楽しそうに言った。  部屋を出るとワゴン車を引く猫宮さんと鉢合わせをした。ワゴン車に積まれているのは牛ステーキだ。 「猫宮さん。そのステーキはどこに運ぶんですか?」 「これはさっきのペットたちがいる部屋よ。そろそろ餌の時間だから」  牛ステーキがペットの餌? 僕の餌よりも大分、良いものを与えられていることに嫉妬してしまった。流石金持ちの家の動物たちだ。毎日このようなものが食べられるなんて羨ましいにも程がある。あわよくば、僕もここのペットになってみたい。いや、僕はあくまでも人間だからそれはできないが。 「大変そうですね。私たちにも手伝わせてくれませんか?」 「いえ、お客様に手伝わせたら旦那様に怒られます」 「兼近さんには私から言っておきます。動物に餌をあげてみたいんです」 「そ、そう。ならお願いしようかしら」 「お任せ下さい」  先程の部屋に行くと人間はいなくなっており、動物たちがワゴン車の方に寄ってきた。餌の時間を察しているのだろうか。 「犬と猫にはステーキをあげて下さい。他の小動物はそれぞれ適した餌が下の段にありますので順番にあげて下さい」 「分かりました」  僕と神楽坂さんは手分けして餌やりを始める。 「犬くん。いくら犬でもつまみ食いはしないでね」 「いくら何でも犬の餌を横取りするほど落ちぶれていません」  ペットたちは奪い合うように餌をむさぼる。その光景を見た僕はこんなことを言う。 「もう少しゆっくり食べればいいのに」 「犬くん。動物たちは何故、早食いをするか分かるかしら」 「さぁ、お腹が空いているからじゃないですか?」 「不正解。合っているといえば合っているけど、目的は別にあるわ」 「別? どういうことですか?」 「動物が……特に犬が早食いをするのは本能。食べられる時に食べられる分だけ食べると言う野生の本能が働いているのよ。残すと敵に食べられるし、それなら自分が食べて生存率を高めようとするの。例え飼われていてもね。たまに飼い主はお腹が空いていると勘違いして多くの餌をあげてしまうこともあるけど、動物はお腹一杯になるまで無限に食べ続ける。だから動物の健康管理は大事なのよ」 「そうなんですか。勉強になります」 「でも、これだけ多くの動物がいるとどの子がどれくらい食べたか把握するのが大変だから飼い主さんはしっかりと健康管理が出来て凄いと思うわ。猫宮さんが毎日餌やりをしているんですよね?」 「私は平日の週五の七時から十八時までの勤務でその間の餌やりは基本あげていますよ。退勤後や土日は子供達や服部さんが世話をしているって聞いているわ」 「そういえば先程、ご主人が言っていましたね。わざわざ社員が家に来て世話をするんですか?」 「えぇ、詳しくは分かりませんが頻繁に出入りするそうです。私と入れ違いで顔を合わせるくらいで特に喋ったことはありません。でもいつも積極的で動物に対する愛は本物だと思いますよ」 「そうなんですか。いいですね。お世話をしてくれる人が身近にいて安心ですね」 「えぇ、私も助かっています。世話のやり方や引き継ぎ内容も残してくれるので。ついさっき散歩から戻られたので改めて自己紹介しますね」 「そうなんですか。今はどちらへ?」 「おそらくお気に入りルームに行ったのかと思いますけど」 「お気に入りルーム?」 「えぇ、旦那様の特に気に入っている動物たちが飼育してある部屋です。階段を上がって右へ向かった奥の部屋です。今頃あの子の世話をしている頃かしら」 「あの子?」 「お見せします。旦那様が今日一番に神楽坂様に見せたがっていた動物です。餌やりは私に任せて行って下さい」 「いえ、一度受けた仕事を投げ出すわけにはいきません。終わらせてから行きます」 「そうですか。ありがとうございます。神楽坂様」 「他に何か手伝えることはありませんか?」 「いえ、他は私がやりますので」  その時だった。  ガタッ。ガシャーン。  上の階から大きな物音が響いた。何かが高い所から落ちたような音だった。 「うわあぁぁぁ!」  大きな音がしたと思ったら次は叫び声だ。 「神楽坂さん。今の声って」 「えぇ、間違いないわね」 「旦那様の身に何か起こったのかしら」 「行きましょう」  神楽坂さんに続き、僕は声のする方向へ走った。そこは猫宮さんが言っていたお気に入りルームだった。 「ご主人さん、どうしましたか?」と神楽坂さんは扉をノックしながら言う。  部屋から悶える主人の声が聞こえる。 「ご主人さん、開けますよ」と神楽坂さんは一気に扉を開いた。  神楽坂さんは部屋の前で立ち止まる。神楽坂さんの背中で部屋の様子が見えなかった。 「嘘」 「神楽坂さん、どうしたんですか」  僕が覗き込むとその光景は腕から血を流し、床に這いつくばるご主人さんの姿だった。 「ご主人さん、大丈夫ですか?」 「犬くん! 待て!」  部屋に入ろうとすると神楽坂さんは止めに入った。 よく見ると床に何か動く物体が二つある。その物体がご主人に攻撃をしていたのだ。 亀? いや、それにしては大きい気がした。 「むやみに入らないで。あれはカミツキガメとワニガメという肉食の亀よ。ワニガメに関してはその噛む力は四百から四百五十五キロとも言われているわ。人間の指なんて一瞬で噛みちぎる程の力を持っている」  よく見るとご主人の薬指と小指がない。引きちぎられてしまっているのだ。本人は痛みのあまり意識を失っている。このままでは更に亀たちの餌食になってしまう。 「どうしよう。神楽坂さん」 「…………」  神楽坂さんは後ずさりをしている。いくら動物好きでもこのような状況では逃げ出してしまうのも無理はない。 「あの、どうしましたか」  そこに現れたのは先程見かけた服部という人だった。 「あの、兼近院長に何かありましたか」  部屋を覗き込む服部さんは現状を把握したようだ。急に顔色が真っ青になる。 「兼近院長!」 「入るな!」  部屋に入ろうとする服部さんを神楽坂さんは止めに入る。  異変に気付いたのか、四人の子供たちが駆けつけた。廊下にゾロゾロと人が集まる。 「誰か、何か大きめの檻を二つと重りを持ってきなさい」と神楽坂さんは頭を抱えながら言う。 「檻と重り……ですか? 一体何を」と長男の猿は首を傾げる。 「早くしなさい!」  神楽坂さんの怒鳴り声で長男の猿は走る。すぐに余っていた大きめの檻と二十キロのダンベルを持って戻ってくる。 「犬くん。それでカミツキガメを覆い被せてダンベルを乗せてくれる?」 「え? 僕がですか?」 「早く。このままじゃご主人が死ぬ」 「分かりました」  僕は檻を持ってカミツキガメに近づく。正面を向いていたのでむやみに近づけずにいた。しかし、徐々に距離を詰めた。カミツキガメが後ろを向いた一瞬の隙をついて檻を覆い被せた。 「やった」 「そのままダンベルを乗せて」  僕は言われた通り、ダンベルを上に乗せた。  よし、後はワニガメの方だが、と思った瞬間、手慣れたように服部さんはワニガメを捕まえていた。 これでひとまず危険は回避された。 「救急車を呼んで下さい。後、警察にも連絡をして下さい。これは事件です」  神楽坂さんは断言した。  数分後、救急車が到着し、ご主人は搬送されていった。家族の付き添いはない。神楽坂さんの呼び止めで全員を家に残した。  この家には現在、僕と神楽坂さんを含めてご主人の子供である猿、鳥、兎、鼠の四人。ご主人の妻、有栖さん。家政婦の猫宮さん。そしてご主人の社員の服部という男だ。 「救急車ならまだしも警察を呼ぶのはおかしいのでは? ただの事故だと思うんですが」  と、猫宮さんは疑問をぶつける。  そう、今回ワニガメとカミツキガメが水槽から直接逃げ出したのは棚の上にあったリスの檻が落下したことだ。檻が水槽に接触したことで水槽がひっくり返ったのが被害を及んだ経緯になる。 「いえ、これは事件ですよ」 「どうしてそのようなことが言えるんですか?」 「順に追って説明する必要があります。まず、今回の凶器として使用された亀ですが、これは以前から飼われていたんですか?」  動物を凶器と断言した神楽坂さんに対し、その質問に長男の猿が答えた。 「はい。半年前から父が買い始めたお気に入りです。家族の中では父しか世話をしていません」 「そうですか。現場となった部屋はご主人のお気に入りルームと伺いましたが、いろんな種類のお気に入りがいるんですね」  この部屋にはカミツキガメとワニガメの他にハリネズミ、エゾモモンガ、リスと言った小動物がゲージに収められている。  カミツキガメとワニガメの檻は一番隅の方に追いやられている感じだ。今回、その檻は傾いたことにより倒れ、天井から逃げだしたように見えた。  と、見てとれるのはこれくらいか。しかし、神楽坂さんは扉の前で立ち止まるだけで部屋に入ろうとしなかった。何か理由でもあるのだろうかと僕は質問する。 「私、動物が好きでも嫌いな種類もいるのよ」 「神楽坂さん。亀、苦手でしたっけ?」 「亀というよりも爬虫類系は無理。毛がない生物はダメなのよ」  ここに来て神楽坂さんの秘密を知ってしまった。普段、動物と触れ合っているが振り返ってみれば全て、毛が生えている動物しか触れ合っていない。ここまで距離を取るということは何かしらのトラウマがあるに違いない。しかし、今はそれについて追求する場でもない。  神楽坂さんは部屋に入らずとも四方隅々まで見渡した。状況を整理して結論を出す。 「この部屋はいろいろ不可解な点が見られます」 「不可解な点………ですか?」と、その場に居合わせた全員が疑問を持った。 「まず、カミツキガメというのは普通に飼える動物ではありません。外来生物法に定められている生物で主務大臣の許可が必要です。許可のない飼養や取引に対しては原則として一年以下の懲役若しくは百万円以下の罰金に科されます。そのことはご存知ですか?」  神楽坂さんの問いかけに対し、家族全員が無言になった。 重たい空気の中、服部さんが名乗りを上げた。 「兼近院長しか分からないと思います」 「それはどうしてですか?」 「このカミツキガメの経緯は兼近院長が全て自分で始めたことですので本人以外知らないはずです。おそらく許可は取っていたと思うのですが、正確な情報は定かではありません」 「ご家族の方は知らないんですか。奥さんならその辺の事情は知っていると思うのですが?」 「いえ、私には分かりません」  奥さんは目を逸らすように答えた。 「やはりそういうことですか」と神楽坂さんは察していたかのように言った。先程の神楽坂さんとの会話を思い出す。 「奥さんはおそらくこの家の動物の一切の世話をしていない。そうですよね。奥さん」  神楽坂さんの問いかけに奥さんは小さく「はい」とだけ答えた。 「おかしくないですか。いくら子供達や猫宮さんたちが世話をしてくれるとはいえ動物屋敷に住んでいる上に全く世話をしないってあんまりじゃないですか」  僕は攻め立てるように言う。 「確かに犬くんの言うように同じ屋根の下に住んでいるにも関わらず動物たちの世話をしないのは働かざる者食うべからずというのに等しいと思います。例えるなら実家に寄生しているニートのようなもの」  僕よりもひどい発言を神楽坂さんは何の躊躇いもなく言い放った。いくら何でも言い過ぎだと言おうとした時だった。 「が、もし仮にしたくてもできないのであるとしたらどうかしら?」 「したくてもできない? どういうことですか。神楽坂さん」 「おそらく奥さんは動物アレルギーの体質を持っている。だから、普段動物の世話ができず、ずっと自分の部屋に引きこもっている。そうですよね。奥さん」 「えぇ、その子の言う通り、私は動物アレルギーです」 これで奥さんが動物の世話ができない理由が判明した訳だが、大きな矛盾が生まれた。 「動物アレルギーなのにどうしてこの家に住んでいるんですか。そもそも何故動物好きのご主人と結婚したんですか。意味が分かりません」 「確かに犬くんの言う通り、アレルギーの対象物がある家で暮らすこと事態疑問です。奥さん、正直に話して貰えませんか」  神楽坂さんの問いかけに奥さんは恥ずかしそうに口を開いた。 「私が動物アレルギーだと自覚したのはつい最近のことです。今までの生活で動物に触れることもなく生きてこられたので気がつきませんでした。でも主人と出会ったことで私は症状に気付かされました。最初は驚きました。でも、主人とは一緒に過ごしたいと思いまして今の生活を送っています。でも、アレルギーは治せることが出来ると聞いて今は治療を考えています」 真実なのか嘘なのか、僕には分からなかった。それは神楽坂さんも同じで納得はしていない様子である。 「動物を手放すという選択肢はなかったのですか?」 「無理ですよ。あの数を見ましたよね? 今更手放すなんて考えられないと思います。それに主人は動物がいない生活なんて送れないと思います」 「そうですか。ありがとうございます。次に不思議に感じたのはこの部屋にいる動物たちの配置です。カミツキガメとワニガメは肉食で危険な生物であることはお分かりですよね。もし、飼育するのであれば安全を充分に配慮し、絶対に逃げ出さないように管理することが大事になります。今回のように檻が落下するような配置にしているのは不思議に感じます。ご主人がそんな単調なことに気が付かないとは考え難い。と、なれば」 「意図的に誰かが配置した。ってことですか」 「正解。犬くん、冴えているわね。ご褒美にビーフジャーキーでもあげようかしら」 「いえ、僕は人間です」  こんな時でも冗談が言えるほど神楽坂さんは余裕がある。 「意図的って私たちの誰かが仕組んだとでも言うんですか?」  突っかかるように猫宮さんは言う。 「少なくても私はこの中に犯人がいると確信しています」  自信ある神楽坂さんの発言にその場の全員はどよめいた。 「ありえないんですよ。百歩譲って不運にも檻が落下して水槽が傾いたとしましょう。その前に何故、小動物がいるのか疑問です」 「それは旦那様のお気に入りの動物を集めた結果ではないのですか」と猫宮さんは意見を述べる。 「確かに自分の好きなものを並べるのであれば何も問題はありません。でも、環境を崩してまですることでもないですよね」 「神楽坂さん。言っている意味がわからないのですが」と、僕は間に入る。 「犬くん。漫画を本棚に並べる時はどうするかしら」 「それはジャンルごとに分けて巻数もキッチリと並べますけど」 「そうよね。少年漫画の間に少女漫画を入れてあるとどう思うかな?」 「それだと見た目が悪いのでちゃんと各種類別に分けますよ」 「今回の件はまさにそれと同じことが起こっている。亀の中に鼠がいたら見た目が変じゃない? それよりも動物をペットとして飼育するなら本来動物が生きてきた環境を再現することが鉄則。お気に入りだけで寄せたら環境が破壊されてしまうと思わない?」 「た、確かに」 「今回で言えばそもそも鼠がいることそのものが不思議なのよ。以前からこのように飼われていたんですか?」  神楽坂さんは家族に向けて質問した。 無言の中、次女の鼠々ちゃんが名乗りを上げる。 「この子たちは元々、ここで飼っていました。でも、ある日父が亀をこの部屋に持ってきました」 「ご主人が? なんでそんなことを?」 「私、ある日見てしまったんです。ペットの鼠を亀に与えているところを」 「ペットを餌に?」 「はい。ずっと怖かったんです。だから、亀が嫌いになりました」  小学生の女の子には酷な現実だった。目の前で大事にしていたペットを食べられてしまえば気を悪くするのも無理はない。ご主人さんは何故このようなことを行なったのか。僕は腸が煮えくり返るような感情だった。 「なるほど。そういうことか。だったら納得ね」と、神楽坂さんは頷きながら言う。 「神楽坂さん。もう少し気遣ってあげてくださいよ」 「どうして?」 「どうしてって子供相手にあんまりじゃないですか」 「別におかしくないわよ。動物の中には食物連鎖というものがある。鼠は食物連鎖のピラミッドでは一番最下層の位置にいる動物よ。酷かもしれないけど、生命を繋げるには生命を頂くしかないの。でも、ご主人の行いには少し怒りを感じるのも一理あるわ」  神楽坂さんは鼠々ちゃんの頭に手を置いた。 「はい。だから私の一番のお友達は肌身離さず連れて歩いています」  チュッと鼠々ちゃんのポケットからハリネズミが出てきた。その愛らしい姿が場を和ませた。動物だらけの家で違和感はないが普段から連れ歩いているとなると奇妙な話だ。 「服部さんに質問です。あなたはいつもこの家の動物たちの世話をしていると聞きましたが、今日は何をされていましたか?」  神楽坂さんは次に服部さんに事情聴取を始めた。 「今日はあなたたちが来る三十分前に来て犬の散歩をしていました。散歩から帰った後は犬たちを順番にお風呂に入れていました。そしたら兼近院長の叫び声を聞いて駆けつけました」 「では、服部さんは今日この部屋には足を踏み入れていないんですね?」 「はい。そうですけど」 「そうですか。時にあなたは頻繁にこの家に出入りをしているようですが、ご主人さんとどのような関係ですか?」 「社長と社員の関係です」 「それは妙ですね。ご主人さんが経営している動物病院の社員であるあなたがプライベートで家に出入りする理由がありますか? おそらく別の理由があるんじゃないですか。例えば、賄賂を受け取っているとか」  神楽坂さんの揺すりに服部さんはピクリと眉を動かした。 「どうなんですか。服部さん」  神楽坂さんが催促すると服部さんは重い表情を上げて口を開いた。 「神楽坂さん。あなたの言う通り、僕は兼近院長から金銭の受け取りをしています。でもそれは立派な仕事をした上で受け取った稼ぎです。動物は好きです。好きなことをしてお金を貰えるのであれば本望ですよ。何も悪いことはしていません」 「別に否定するつもりはありません。少し気になっただけですので。事情は分かりました。ありがとうございます。次に猫宮さん」 「は、はい」 「あなたはどうして今日、仕事をしているんですか」 「どうしてと言われても私はこの家の家政婦です。仕事をしているのは当たり前じゃないですか」 「私が聞いているのはどうして今日なのか、ということです。猫宮さんはさっき平日の七時から十八時までの勤務と言っていました。でも、今日は日曜日です。今日は休みのはずじゃないのですか」 「それは……以前休暇を頂きましたのでその代わりに今日、シフトを入れてもらっただけです」 「でしたら尚更不思議ですね。普段、服部さんは猫宮さんと被らないように仕事をしているのにどうしてこの日は一緒の日になったのでしょうか」 「確かに普段、服部様とは被らないようになっていますが、人手が増えることは問題ないと思います。普段でもギリギリですので来て頂いて助かっています」 「ちなみに本日の仕事の分担は決めていらっしゃいますか?」 「私が餌やり全般。服部様がゲージ内の清掃と犬の散歩等ですけど」 「そうですか。ありがとうございます。では今回、事故ではなく傷害事件についてお話し致します。今回、凶器として使用されたワニガメとカミツキガメ。このいずれも噛み付かれたら致命傷を負います。これらを凶器として起動し、ご主人を襲わせるにはまずご主人さんをこの部屋に入れること。そして亀たちを檻から解放させることが必要になります。まず、亀の解放ですが、水槽に五キロ程の重りを置いただけの構造になっております。上の蓋を外せば亀が前のめりになれば解放は簡単です。それをするにはどうすればいいか。上段にリスのゲージを配置し、落下の衝撃で外せば出来ます」 「待ってください。神楽坂さん。理屈はそうでも第一どうやってゲージを落下させるんですか。できたとしてもピンポイントで蓋を外すことなんて出来るんでしょうか」と、僕は納得がいかない様子で反論する。 「ある仕掛けさえすれば出来るわよ」 「ある仕掛けですか?」 「今回、仕掛けに使用されたのはシマリス。何か変だと思わない?」  僕はゲージの中にいるシマリスをよく見た。 「いや、これといっておかしな点は……あれ?」 「犬くん。気づいたかしら」 「このシマリス。尻尾がありませんよ」 「その通り、それが今回の仕掛けのポイントよ。シマリスというのは危険を察知すると尻尾を切り離す特技を持っているの。今回、その特性を使われたのよ」 「使われたってどういうことですか?」 「まず初めにゲージを落下しやすいように棚からはみ出すように配置してちょっとした衝撃で落ちるようにセットする。次にバネタイプのねずみ取りを壁際にセットして尻尾を挟む。するとそれに驚いたシマリスが暴れ出した衝撃でゲージが落下し亀の水槽に激突する。亀はシマリスが視界に入ったことでそれを食べようと身を乗り出し、脱走するっていうのが大まかな流れね」 「なるほど。それでしたら亀という凶器を開放できますね」 「えぇ、後でネズミ捕りのトラップは回収するつもりだったようだけど、ゲージに尻尾が挟まったトラップがあるのがその証拠ね」 「でも、リスの尻尾って取れるんですね。知らなかったです」 「取れることは取れるけど、トカゲのようには二度と生えてこないわよ。生涯一度きりの最後の手段といったところね」 「え? 一生、生えてこないんですか?」 「えぇ。奥の手だもの。リスの尻尾はバランスを取ること、パラシュートにする、感情表現・コミュニケーションに使う、体温調整をする、傘の代わりにするなど様々な使い道がある重要な役割を持っているの。この子は生涯、これらの機能が使えない生活を送らないとならないわね」 「そう考えると可哀想になりますね」 「えぇ、仕掛けを起動させるためにこの子の大事なものを奪ったのは許せない行為ね。次にターゲットであるご主人ですが、亀が逃げ出したら普通なら身を守るために避難します。しかし、ご主人は避難することなく犠牲になった。これについては仮説ですが、おそらくご主人はこの部屋の中央で気絶をしていたんだと思います。気付いた時には時すでに遅く亀の犠牲になっていたと考えるのが妥当だと思います」 「どのように気絶させたんですか?」 「睡眠薬とか色々方法は考えられます。問題は誰が犯行に及んだか、確実にこの七人の中に犯人がいます」  猿、鳥、兎、鼠の四人の子供達、妻の有栖さん、家政婦の猫宮さん、社員の服部さんの中に犯人がいると神楽坂さんは断言した。  当然、犯人候補にされた身としては納得が出来ない部分があったがそれには証拠が不十分である。  一旦、別室に移動してもらい僕と神楽坂さんは犯行現場に残り推理を始める。  ちなみに亀は視界に入らないように水槽の上から布を被せてある。 「神楽坂さん、本当に犯人があの中にいるんですか?」 「えぇ、犬くんは誰が犯人だと思う?」 「さぁ、僕にはなんとも言えません」 「まず、動機ね。少なからずご主人はこの家ではあまり良く思われていないのを伺えるわ」 「どうしてですか」 「確かに動物病院を経営し、財産もあり豪邸に住んでいる理想的な地位を持っているようだけど大量のペットの飼育が家族や周りを圧迫しているのは分かるわよね?」 「えぇ。これだけの種類の動物を飼育するとなれば大変だと思います」 「それが家族や周りの押し付けになり負担をかけているのが共通点。次に個人に対する動機について考えて見ましょうか。まず妻の有栖さん」 「動物アレルギーなのに動物に囲まれた家に住んでいる。一番の疑問ですね」 「少なからず愛は多少あるかもしれないけど、自分の身体に負担をかけてまで一緒に住む理由はないけど、犯行の動機としては弱い」 「そもそも、ご主人と奥さんの間に愛はあったのでしょうか」 「さぁ、それは私には分からないわ。仮になかったとしたら別の目的があったんじゃないかしら。一番分かりやすいのはお金。もしそうであれば今回の犯行に及んだとは考えにくい。それに動物アレルギーなのに動物を凶器として使用するとは思えないし」 「じゃ、奥さんは候補から外れるということですか?」 「一応ね」  神楽坂さんの一応には少し引っかかる言い方だった。それは神楽坂さん本人も疑問を持った様子であった。 「次に四人の子供たちね」 「流石にそれはないんじゃないんですか。子供が親を殺そうとするなんて考えにくいと思いますけど」 「犬くんの普通という理論は事件が起こってしまえば通用しないわ。充分に候補に入ると私は考えます」  僕の発言で気分を害してしまったのか、神楽坂さんは強気な発言をする。 「歳は見事にバラバラだけど誰一人就職はしていない。一番上の猿くんも二十五歳の大学生。これだけ聞くとなんだか訳ありね」  確かに二十五歳で大学生ということは少なからず三回はどこかで留年したことになる。これだけ留年が続くと学歴に傷が付くし、学費も通常より多く払うことになるので普通は諦めて親としては就職させるだろう。しかし、学費に関してこの家では心配することでもないだろうし、就職だって親のコネでなんとかなってしまいそうだ。  しかし、ここまで親に頼りきった生活を送っているのに今回の犯行に及ぶとは考えにくい。やはり候補からは外すべきなのではないだろうか。 「猿くんは親がいないとどうしようもないダメ人間だけど、鳥、兎、鼠は分からないわね」  猿に対して散々な言い様だ。神楽坂さんは難しく考える。 「小中高の子供は難しい年頃だし、親に反発したくなるから考えが読みにくい。特に末っ子の鼠ちゃんに関しては候補に上がるわね」 「神楽坂さん。幾ら何でも小学生がそんなことをするとは思いません」 「分からないわよ。お気に入りの鼠の仇をとったとも考えられなくはない」 「でも、仕掛けにリスを使うとは思いません。そんな残酷なことをあの子に出来るとは正直考えられないのですが」 「まぁ、それでも動機としては充分ね。後は鳥ちゃんと兎くんだけど、これに関してはまだ見えてこない。保留ね」  問答無用で神楽坂さんは小学生を犯人候補に挙げる。 「次に家政婦の猫宮さん」 「猫宮さんはご主人に恨む要素はありますか?」 「本来、家政婦とはどういうものか考えてみましょうか」 「それは家事全般をすることじゃないですか。掃除、洗濯、食器洗い、調理等だと思いますが」 「本来はそうね。でも、そんなこと奥さんがやればいい話だと思わない?」 「そうかもしれないですけど、家族も多いし家だって普通より広いので奥さんだけじゃ厳しいからじゃないんですか?」 「それもあると思うけど、本来家政婦の仕事に該当しない項目がないかしら」 「ペットの世話ですか?」 「そう。ペットも家族の一員とは言うけど、他人のペットは所詮ペットに過ぎない。家族とは少し違うのよ。本来の業務である家族に提供する料理もペットの分までするのは筋違いだと思わない?」 「確かに。でも、どうしてそんな余計な業務もしているんでしょうか」 「平日の週五日の業務となれば普通の企業の勤務形態と一緒。これを雇うとなればかなりの金額になるけど、お金に関してこの家では問題はなさそうね。ただ、動物の世話までやっていると考えれば追加料金も受け取っているのは間違いなさそうね」 「家政婦として正式に金銭のやり取りがあるのであれば問題はないと思うのですが」 「お金の問題じゃないとしたらどうかしら」 「え?」 「動物の世話は毎日やれば肉体的にも負担のかかる仕事よ。一匹や二匹ならともかく数十匹単位をするとなれば厳しいんじゃない?」 「確かにそうですけど、それで犯行に及びますか? 嫌なら辞めればいいだけの話ですし、第一猫宮さんはそんな嫌そうに仕事をしているようには見えません。普通ならしませんよ」 「犬くんは猫宮さんじゃない。猫宮さんの感情を犬くんは分かるの?」 「それは分かりませんけど」 「普通ならこうだ。自分だったらこうするというのは断言してはいけないわ。そういう考えは捨てることね」 「すみませんでした」 「分かってくれたらいいの。次に社員の服部さん。この人は金だけの関係と言っていたけど、引っかかるのよね」 「引っかかるとは?」 「何か別の目的で仕事をしているようでならないわ」 「それは一体?」 その視線の先はリスのゲージに向けられた。 神楽坂さんはゲージから尻尾が無くなったシマリスを取り出した。 「君をここまで追い込んだのは誰か、私に教えて」  そっとシマリスの背中を優しく撫でる。神楽坂さんは目を閉じ、集中する。  遅くなってしまったが神楽坂さんの二つ目の体質について解説しようと思う。  神楽坂さんは動物の声が聞こえるらしい。らしいという曖昧な表現をしたのは事実か偽りか定かではないという意味である。神楽坂さん曰く実際に聞こえるのではなく感情を読み取るものとされている。ただ、感情を読み取るのはどんな動物でも有効という訳でもない。ある特定の動物のみだ。その特定というのは動物自身が強い思いを放つことで神楽坂さんに聞こえてくるのだという。今回、動物の中の被害者であるシマリスは強い思いがあると感じ、神楽坂さんは声を聞こうとしているのだ。 「神楽坂さん。どうですか、何か聞こえてきましたか?」 「犬くん。集中しているから黙っていてもらえるかしら」 「すみませんでした」  シマリスに念じること五分後、神楽坂さんはゲージに戻してあげた。 「聞こえたわ」 「なんて?」 「痛い。怖いって」 「犯人に繋がるようなことは聞こえなかったんですか?」 「人間の恐怖よりネズミ捕りのトラップと亀に対する恐怖が優っていたわね。事件に関係があるとしたらご主人に対して怯えていたことくらいかしら」 「ご主人に?」 「えぇ、何かと掴まれて亀に近づけていたらしいわね」 「ご主人がそんなことをするんですか?」 「シマリスさんからはそう聞こえた。でも、これで犯人は大分絞られたわね」 「犯人の目星が付いたんですか?」 「えぇ、犬くん。全員をリビングに集めてくれるかな」 「お集まり頂きありがとうございます。早速ですがご主人の傷害事件についてお話ししたいと思います」  当然のように神楽坂さんが仕切り出し、家族関係者の前で推理ショーが始まろうとしていた。まるで本物の探偵のようであるが勘違いしないで頂きたい。神楽坂さんは動物好きのただの女子大生だ。 「まず初めに被害にあったご主人ですが、動物が好きというのは間違いです」  その場にいた全員は間違いなく頭の上で『?』が浮かんだに違いない。当然、僕も同じである。 「いや、好きは好きですが、好きの意味が違います」と神楽坂さんの発言で余計に意味が分からなくなった。 「神楽坂さん。何か例えを出してもらえませんか?」と猫宮さんから声がかかる。 「そうですね。例えるならば魚が好きとしましょう。ただ、その好きというのは魚を食べることであって釣りをすることや調理をするという好きではないのです。つまりご主人の動物が好きというのは可愛がることが好きであって世話をすることが好きという訳ではないのです。このように言った方が分かりやすいですか?」  確かにそれなら分かりやすく納得できる。 「ご主人は飼うことが好きでも世話をすることは好まない。違いますか?」 「はい。神楽坂さんの言うことに間違いはないと思います」  奥さんは認めた。 「飼うのが好きでも世話を好まないって動物にとっては理不尽じゃないですか。あんまりですよ」 「その通り。だからご主人は子供達や猫宮さんや服部さんに世話をさせているの。子供達には世話をしたらお小遣いが貰える制度になっているんじゃないかな? 鼠さん」  神楽坂さんは鼠々ちゃんに話を振る。 「はい。動物のお世話をしたらお小遣いは貰えるようになっています。特に猿兄や鳥姉は遊ぶお金欲しさに積極的に世話をしています」  名指しされた二人はビクリと反応した。子供は正直だった。 「なるほど。つまり、ご主人は極力世話を避けてお金で世話をさせていた訳です。次に今回の凶器である亀ですが、おそらくご主人は飼育の許可を取っていないと私は推測します」 「どうしてそう思うんですか?」と僕は聞く。 「ご主人はペットとして亀を飼育していた訳ではないです。だから許可は出していないと考えます」 「飼育が目的じゃなかったら何の為に飼っていたんですか」 「飼育以外の目的といえば食育と考えるべきじゃないかしら」 「食育って亀って食べられるんですか?」 「食べられるわよ。捌くのは大変だけど唐揚げとか酢亀なんかの料理として食べられるわ。食感としては硬いけど、味は普通の鶏肉みたいで美味しいわよ」  まるで亀を食べたことがあるような口振りだった。神楽坂さんは案外ゲテモノを食べる趣味があるのだろうか。少しイメージし難い。いや、したくないと言うべきだろうか。もしご主人は食育の為に飼っていたとしたら逆に食べられる形になってしまったことに同情してしまう。 「でも、どうして食育として飼っていたと思ったんですか?」 「餌に生きた鼠を与えていることを考えるとそっちの線が高いわ。より多くの肉を食べさせて成長させようとしているのだから。おそらくあのワニガメとカミツキガメの大きさを見る限り近々食べ頃だったと思うわ。だから今日は下見でこの家に足を踏み入れたんですよね?」  神楽坂さんは犯人に対して問いかけた。その犯人とは一体……? 「服部さん」  神楽坂さんは指名した。その場の全員の視線は服部さんに集中する。 「な、何を馬鹿なことを言っているんですか。僕は兼近院長にペットの世話を頼まれて今日はここに来ただけですよ」  明らかに服部さんは動揺している。神楽坂さんは追い討ちをかけるように言った。 「亀を捌けるとしたら動物病院で普段勤めている服部さんしか出来ないんですよ。奥さんは動物そのものが触れないし、猫宮さんは普段見慣れない生物を捌くことは難しい。子供達なんて危険すぎるし、触ることも困難だと思います。消去法であなたしかいないんですよ。服部さん」 「仮に僕が下見に来たからなんだと言うんだ。今回の事件とは無関係だ」 「関係はあります。ご主人が被害に遭われた時、あなたは意図も簡単にワニガメを捕獲してみせた」 「それだけで僕を犯人扱いするんですか。それはあんまりじゃないですか」 「ご主人は亀を捌くことが出来ない。あくまで食べる専門だと思います。だから、亀を捌くことが出来る服部さんに依頼したのではないんですか?」 「違う。僕じゃない」 「そうですか。あくまで白を切るつもりですね。では話を進めます。本来食べる予定だった亀ですが、凶器に変えられてしまった。その理由としてはご主人の存在が邪魔だと感じたからです。ですよね、服部さん」 「くっ。あくまでも僕を犯人にしたいんですか」 「十七。この数字が何か分かりますか?」 「知らん。何の数字だ」 「今日、服部さんが奥さんの有栖さんを見た回数です」 「そ、それが何だと言うのだ」 「これだけ言ってもまだ白を切るつもりですか? 服部さん。あなたは奥さんに好意を抱いている。違うなら違うと言って下さい」  服部さんは否定をしなかった。 「この家に出入りする目的はお金もありましたが、奥さんとの接触が大きな目的だと私は確信しています。何度か出入りをする度に奥さんのことが好きになってしまったあなたは略奪を考えた。でも、相手は自分の会社を経営する責任者で下手に手出しが出来ずにいたあなたはご主人の殺害を考えた。どうにか事故に見せかけたかったあなたはワニガメとカミツキガメの魅力をご主人に植え付けた。それに乗ってしまったご主人は食育として亀たちを飼うことにして自分が出入りすることでその成長を観察した。そして食べ頃の大きさになったところでついに犯行に及んだ。事故に見せかける為にシマリスのゲージに細工をしてご主人を睡眠薬で眠らせて部屋に放置。解き放った亀がご主人に牙を向けた。それが今回の経緯です」 「しょ、証拠はあるのか」 「その左手はどうしたんですか」  神楽坂さんは服部さんの左手を指摘した。指にはいくつもの絆創膏が貼られていた。 「これは階段で擦りむいただけだ」 「では絆創膏を外して見せて下さい」 「それは」 「出来ませんよね。だってそれはカミツキガメに引っかかれた傷なのだから。おそらく仕掛けを施した際に亀にやられたんでしょう。その傷跡は亀の爪痕と一致すると思います。服部さん。今日は一度も亀のいる部屋に入っていないはずですよね。傷が付いていたらどうして部屋に入ったのか説明できますか」  決定的なトドメを刺す神楽坂さんの発言に服部さんは床に膝をつき、腕を床に向かって叩きつけた。 「あの男は許せなかったんです。アレルギーを持つ有栖さんを危険な環境で生活させることが辛くて見ていられなかった。あの男は害だ。害は排除しなくてはならない。まんまと亀の食育話には乗せることは出来たがあの男は一切世話をしない。ただ、自分の欲望さえ満たせればそれでいいとしか思っていなかった。だから僕は思い知らせたかったんです。食べるものが逆に食べられる絶望をあいつに思い知らせたかった。強い者が生き残る。まさに弱肉強食。食物連鎖の頂点である僕こそ生き残るのに相応しい。そうですよね、有栖さん。僕と一緒に新しい生活を築きましょう」 「ごめんなさい。無理です。もう二度と顔を見せないで下さい」  当然のように奥さんは断る。 「どうしてですか。害は排除しました。だから僕と一緒に」 「害は服部さん。あなたです。それに食物連鎖の頂点はあなたではありません。最下層です」  神楽坂さんは言い切った。 「な、何を言うか」 「動物を愛する気持ちがある心優しい方だと思いましたが、どうやら私の勘違いだったようです。今回のあなたの行いは動物を侮辱しています。あなたには聞こえないでしょう。動物たちの悲しみの声が」 「そんなのは聞こえないよ。動物は所詮、モノに過ぎない。人間に利用されるだけの存在だ」 「そうですか。なら仕方ありませんね」  そう、神楽坂さんが言った瞬間、周囲にいる動物たちは甲高い鳴き声を発した。 「な、何だ! お前たち。黙れ」  動物たちは服部さんを取り囲むように詰め寄る。牙を向ける者、爪を向ける者と逃げ場はなかった。 「う、うあぁぁ」  あまりの威圧ある行動に服部さんは気絶した。 「動物の痛みを思い知りな!」  神楽坂さんの決め台詞で事件は幕を閉じた。 事件から数日後、大学内の研究室にて。 「神楽坂さん。聞きましたか。先日のご主人、意識が戻ったそうですよ」 「あら、そうなの。良かったわね」 「あの後、どうなったか聞きましたか?」 「当然、服部さんは動物病院を解雇。警察に傷害罪で捕まったそうよ」 「そうですか。それなら良かったですね」 「問題は動物たちね。彼が捕まったことで世話をする人がいなくなって手が回っていないそうよ。それに無断で亀の食育をしていたご主人も捕まったと聞くわ」 「じゃ、どうなるんですか。あの動物たち」 「ペットショップに売るか、子供たちで手分けして世話をしていくしかないわね」 「そうですか。何だか可哀想ですね。人の都合で連れてこられて用が済んだら捨てられるってあんまりです」 「そうね。ペットっていうのは責任がない人には飼ってはいけない。良い飼い主に出会えるかなんて分からないわ」 「神楽坂さんのような動物思いの人が飼ってくれたら幸せなのに。そういえば神楽坂さんってペットは飼っていないんですか?」 「えぇ、飼っていないわよ」  意外だった。てっきり神楽坂さんも兼近邸とまではいかないが少なからず何か飼っていると思っていた。 「だって、一匹を愛すると他の動物たちと触れ合えなくなるじゃない。動物の中にも少なからず嫉妬しちゃうんだから。私は全ての動物を愛したいのよ」  そう、神楽坂さんは全ての動物が好きな動物バカだ。一匹を愛することは出来ない。神楽坂さんは平等に動物を愛する人なのだから。
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