ACT.1

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【羨望】 観客でごった返すロビーの中、竹下六郎は興奮と緊張で浮ついていた。公演が終わった。沸き立つ感情を言葉にしたくてたまらなかった。物販台にはパンフレット、台本、ポストカード、缶バッジ、そしてAcid Ashによる主題歌CDが積まれていて、その前には行列ができている。先にグッズを確保した方がいいか、と、熱くなっている頭で考えたが、六郎は待つことにした。いつ出演者たちが、門脇晶が、いつやってくるかわからないから。 六郎には、一緒に観劇にいく友人がいない。好きなものをわかちあうファン仲間もいなかった。ロビーで興奮気味に舞台の感想を語り合っている人々(六郎の目には、男女の二人組がやけに目立って見えた)を羨ましく思いもしたが、さりとてその輪の中に入る気にはなれなかった。本当はこの感動をだれかと共有したくてたまらなかったが。六郎はざわつくロビーの中で一人。手持ち無沙汰で携帯を開く、液晶画面を見ると、非現実の世界から抜け出てきた惜しさと、日常に戻った安心を感じる。それが、興奮と感動と混じることで、なんともいえない気分になる。これもまた観劇によって享受できるものの一つだ。 液晶画面と、廊下の向こうと、視線を何度か往復しているうちに、役者たちが出てきた。その中には、門脇晶もいる。その姿が目に入ったとたん、ステージを観ていたときとはまた別の高揚が六郎の心身を震わせた。観客との面会に来た門脇晶たちは、ステージの上に立っていたときと異なる雰囲気を纏っていた。衣装は着たままだが、役を解いた彼らはもう英雄でも魔王でも錬金術師でもない。しかし、観客にとって、六郎にとって、彼らが憧れの存在であることに変わらなかった。 黄色い声を鬱陶しく感じながら、六郎はまっすぐ門脇晶に向かって歩いた。 「おつかれさまでした」 六郎の声は喧騒に呑まれていたが、門脇晶は六郎と目を合わせて、 「ありがとうございます」 と微笑んだ。六郎は、門脇晶と自分が“繋がった”歓びに内心を震わせた。 「晶さんの演じる男役、ほんとにかっこよかったです」 「ほんとですか? よかったぁ」 眉尻を下げて微笑む。ステージに上がっていたときと打って変わって、門脇晶は若く愛らしい女性だった。大きな瞳(顔が小さいせいで、一層大きくつぶらに見える)が、感情を豊かに表す。後ろに結んだ髪は、エイジに爽やかな印象を与えていたが、今は門脇晶の可愛らしさの一部となっている。その女としての魅力と、ステージの上で、見た目の何倍も大きな存在となる俳優への憧れが、六郎の中で沸き立って、ぐるぐる回っていた。それに急かされて六郎の口が動く(思考を置き去りにして)。 「最初出てきたときの毅然とした感じがめっちゃキマってて、アクションもキレがあるし」 「ありがとうございます。稽古始めたときは全然動けなくて」 「男よりもかっこよかったですよ。ラストシーンの照明の下で剣を構えるとこも神々しくて」 「そういってもらえると嬉しいです」 六郎の口はだんだん速度を増して、ひたすら門脇晶に賛辞の言葉を送る。門脇晶はややオーバーな身振りでそれに応える。喜びの表情と感謝の意を表す泣きそうな表情が何度も入れ替わる。仏頂面の六郎とは正反対だった。その表情の乏しさと裏腹に、六郎の心のは様々な感情で沸き立っているのだが。 「今まで観た舞台の中でも一番良かったです。いや、『Deep Blue antasy』のときのエミルもすごい好きなんですけど。晶さんの新しい魅力を見れた気がして……」 門脇晶は、また、泣きそうに眉を下げて「ありがとうございます」と頭を下げた。六郎の頭の中にあった賛辞はあらかた口を出た。しかし、六郎はこの会話を締めるにはまだなにか足りない気がして、「次の公演も楽しみにしています」と言って門脇晶との交流を終えるには何か惜しい気がして、何か言おうとしたが、この流れにふさわしい言葉が出てこなかった。 所在のない沈黙が二人の間に広がった瞬間、門脇晶がぱっと表情を明るくした。六郎の隣に立ったのは観客の若い女だった。門脇晶とその女は、挨拶代わりのように両手で手をつないだ。六郎は、楽しそうな二人を、二人の間で傍観するような位置になった。会話の内容からして、女は門脇晶とプライベートで繋がりがあるようだった。門脇晶は六郎のことを見ず、その女と楽しそうに話していた。 自分と話しているよりも元気だと思った。 「あ、じゃあ、次の公演も楽しみにしてます」 六郎の声がそう言っても門脇晶は女と話している。六郎の声は喧噪にもみ消されていた。 「かど、晶さん」 六郎が緊張で狭くなった喉から声を絞り出すと、門脇晶がこちらを向いた。 「じゃ、また」 「あ! 今日は本当にありがとうございました!」 門脇晶の愛想に満ちた声と表情を確かめて、六郎はそそくさとその場をあとにした。物販コーナーで、パンフレットと台本、門脇晶のポストカードとチェキを買って、シアターアーツを出た。
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