ACT.1

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翌朝、SNSで「アクスカ」と検索すると、昨日の公演をみたファンの感想や、千秋楽を終えたキャストたちのメッセージが投稿されていた。数え切れないほどの投稿を、六郎は通勤電車の中でひたすら読み漁る。キャストのメイキングや終演後のオフショット、カメラマンが撮影したのであろう公演中の写真を見ると、心の中に残っている、昨日の興奮の余韻がかすかに熱を帯びる。自分が気づかなった解釈を書いている投稿にはグッドマークを送った。六郎自身も二千字近くの感想を投稿していた。その投稿には七つのグッドマークがついていた。その投稿に、魔笛皇帝を演じた士道ジンからお礼のメッセージが来ていた。だが、門脇晶からはまだ来ていない。 液晶画面をひたすらスクロールしているうちに駅に着き、六郎は雑草のように車内に並ぶ人々を押しのけて電車を降りた。 都内のあるビルの四階にあるWeb制作会社が、六郎の職場だ。 「おはようございます」  10人が勤務するあまり広くないオフィスに、六郎の小さく覇気のない声がかろうじて響く。始業二分前にタイムカードを通し、六郎は自分のデスクに座る。社内チャットを開くと、ディレクターから修正の連絡が来ていた。昨日打ち込んだホームページで、正常に表示されていない箇所が六箇所あった。それは六郎のコードの打ち間違いのせいだった。それから、商品説明のテーブル(表)を変更しろと指示された。「もっと買いたくなるようなデザインにしてほしい」と。 煩わしさが全身にのしかかってくる。自分の顔が露骨に不機嫌になっているのがわかる。オフィスの奥のデスクにいるディレクターに聞こえないようにため息を吐いて、六郎は作業を始めた。 </div> <h2>人相悪くない?サンジスタンでクマすっきり</h3> <p>夜、歯を磨くときに何気なく目の下を見たらクマで真っ黒!そんな人はいませんか?</p> <p>第一印象は目と言われますが、<b>目の下にクマがあると印象は最悪。<b>取引先に「こいつ大丈夫か?」と思われたり、合コンでも一発アウト。外を歩いているけで不審者と思われるかも……</p> <p>サンジスタンはインドのバハマファーマが開発した「クマ取り薬」です。サンジスタンは有効成分サンジスビルが含まれており、塗るだけで目の下に沈着した色素を落とすことができます。<p> ディレクターに言われた通り、「</p>」タグの「/」抜けていて、文章のレイアウトが崩れている。よくみたら、文章にも誤字がある。これはライターのミスだ。こういうミスが発覚したとき、ページ実装前に自分が直し作業をするハメになる。六郎は、乱暴にキーボードを叩き文章の誤字を修正した。 この記事を作成したのは、六郎の右前に座っている木元だ。モニターが間に入って相手の顔が見えなかったので、六郎は心置きなく木元のいる方向を睨みつけた。 (こっちのことも考えろよ……) ページの修正で午前が潰れた。木元のミスと上司の曖昧な指示のせいだ。六郎は、色々なことを他人から押し付けられているような気がした。 急に肩を叩かれて、六郎は椅子の上で飛び跳ねた。部長の田崎が横に立っている。 「竹下くん、今から久我さんとご飯いくんだけど一緒に行かない?」 田崎の顔がにやついている。びっくりして飛び跳ねた自分に対する嘲りだと六郎は思った。 「すみません、飯持ってきちゃってるんで」 「あ、そうか。残念、じゃまた今度ね」 田崎は久我と一緒にオフィスを出た。それから十分ほど待ってから、六郎は近くのコンビニで弁当を買って食べた。温められたチキンカツを口に頬張りながら、SNSで劇団SOLID STANDの公式アカウントを眺める。自分の投稿が、公式アカウントにピックアップされていた。携帯を見てその通知に気づいたとき、景色が色づいたような気すらした。この退屈なオフィスにいると精神が灰色になっていくような心地がする。六郎はHPに掲載された公演写真を眺める(この劇団は終演後のHPの更新が早い)。 エイジが奇将カラクレイと闘うシーン、ライバルのサイガと握手を交わすシーン、ヒロインのサラを励ますシーン、そして魔笛皇帝との最終決戦……生で観たときが至上なのは言うまでもないが、写真を見るだけでも、あのときの感動と興奮がよみがえる。こうして写真に収められた場面を見ると、自分はこのときあの場所にいたんだ、ということを実感する。あの、激動の、血が沸き、全身にエネルギーがみなぎるような素晴らしいドラマの世界に……! 不意に、デスクのうえの置かれた弁当が目に入る。 体の内に湧き上がる感動と、実際に、今、自分がいる状況とのギャップをまざまざと見せつけられているような気がして、六郎は息が詰まりそうになる。 ――それに比べて、俺の人生はなんてつまらないんだ。 午後、六郎はひたすらコードを打ち込む。美容系医薬品の紹介ページの記事をひたすら作成していく。まつげが生える薬、脱毛症の薬、性欲増進の薬、豊胸サプリ。脂肪排出促進薬。どれも六郎の生活には関係のないものだった。仕事で取り扱っているため効果と作用は把握しているが、その薬に本当に効果があるのかは知らない。自分が作ったページを、誰が見て、誰が買い、誰が得をするのかもわからない。人の不安を煽るようなテキストに抵抗は感じたが、だからといってディレクターやライターに意義を唱えようとも思わない。その権限は自分にない。自分は指示された業務をこなしているだけだ。これで何か社会的に問題があったのならそれは会社の責任だ。 六郎の両手は決められた動作を延々と繰り返していく。コード打ち込み、表の挿入、画像の挿入、テキストの装飾、校正ツールに流し込み、コピー&ペースト、コピー&ペースト、コピー&ペースト、コピー&ペースト……。 ガチャガチャとキーボードを叩く手が止まる。 ―ー頭がおかしくなりそうだ。 椅子の上で、襲いかかる窮屈さに思わず身をよじった。 ――俺はこんな毎日を死ぬまで続けていくのか? 効果があるのかもわからない美容薬の宣伝、遊ぶには不自由な給料。家畜のように詰め込まれる満員電車。金やテレビやゴシップの話ばかりしている職場の人間たち。独りで過ごす狭いワンルーム。 限られた金を舞台やグッズにいくら費やしても、終演後のロビーで門脇晶と交流しても、SNSで他人からグッドマークをもらっても、現実の竹下六郎は、ただ誰かの利益のために働かされている、取り替えのきく安い歯車でしかない。 なぜか、普段から感じていた窮屈さが、塊になってのしかかってきた。六郎は自分の人生の味気なさ、無価値さに不意に直面した。もうこんなことしたくない。もっと楽しく生きたい。エイジのように、魔笛皇帝のように、門脇晶のように、かっこよくなりたい。ドラマティックになりたい。 六郎は劇団SOLID STANDの公式アカウントを開く。ディレクターと部長は会議で席をはずしている。隣の根岸はイヤホンを耳にさしてキーボードを打ち込んでいる。誰も六郎のことを見ていない。公式アカウントはつい5分前に更新されていた。その投稿を見て、六郎の心臓がドクリと脈を打った。 “劇団SOLID STAND 次回公演「Beyond the Rainbow」 オーディション開催決定!” つい数分前の六郎ならその投稿を見ても何も感じなかっただろう。俳優、演技、劇団SOLID STANDに出演。そんなこと、自分には関係ないことだ。芸能の才能など自分にはない。六郎が今までにした創作など、高校の音楽の授業で無理やりやらされた「蛍の光」のリコーダー演奏と、当時読んでた小説に影響されて書いた、学校生活の鬱屈をぶちまけた詩くらいだった。思春期の日陰者の痛々しい行為だ。 そんな自分が人前で芝居なんて、それも、あの大人気の劇団SOLID STANDに出演? 思い上がりにも限度がある。身の程をわきまえないというのは、まさにこういうことを言うのだろう。 公式アカウントの投稿には続きがあった。 “経歴・経験不問。テクニックよりも「熱い作品を作りたい」という強い想いを大事にしてます。 俺たちと一緒に胸踊る世界を形にしようぜ!” 投稿にはオーディション要項が書かれた画像と、劇団員たちの写真――そこには門脇晶も写っていた。 劇団SOLID STAND作品に出演できる。 門脇晶と共演できる。 六郎の人生で、もっとも大きな決断だった。
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