ACT.1

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土曜日、電車の中で座る六郎は、これからどうしていけばいいかわからず、放心していた。 今日は劇団SOLID STAND 次回公演のオーディションだった。オーディションでは、座長の金城(かねじょう)ワタル、劇団員の三葉浩介、魔笛皇帝を演じた士道ジン、そして門脇晶が審査を行った。 金城は金髪で唇にピアスを通しており、言葉や振る舞いは見た目ほど乱暴ではなかったが、六郎はあまり彼を視界に入れたくなかった。三葉は前々回の作品に出ていた。髪型が変わり、メガネをかけていたのですぐにはわからなかった。士道は一昔前のアイドル俳優のようなセミロングで、人柄の良さが外見に滲み出ていた。実際、SNSではファンのコメントに丁寧な返信をしている。六郎も士道からお礼を言われたことがある。 門脇晶は髪をサイドポニーに結び、花柄の青いシャツに黒いスカート、厚めの黒いストッキングというコーディネートだった。普段着だろうか? 六郎の視線は、無意識に門脇晶の方を向いてしまう。 オーディションが始まり、六郎は他の参加者と一緒に次回公演の台本のワンシーンを実演した。 公式アカウントを見てその日に応募した六郎は本番までの二ヶ月間、必死に訓練したつもりだった。声を出す練習として毎日カラオケに通って喉が枯れるまで歌い、過去の公演DVDを観ながら、主役の台詞を何度も呼んで練習した。アクションができるようになるだろうと思い、毎日筋トレをした。 しかし、他の役者の芝居を見て、自分には芝居に必要な能力が何一つ備わっていないことを思い知った。 台本を読むのに必死で、台詞は棒読み、他の役者とテンポが合わず、相手の台詞に自分の台詞を被せてしまったり、逆に、意味のない間を入れたりした。「主人公たちがバーで、敵のアジトに潜入する作戦を考える」という場面だったが、六郎はそのシーンを頭の中で想像できず、その場に突っ立ち、自分に話しかけてきた相手に目を合わせることもできない。大きい声が出せるよう練習してはいたが、緊張して、隣の相手に聞こえているかもわからなかった。 情けない自分が大勢の人々の前に晒されている。そう思うと脂汗が吹き出した。何より、自分の醜態を門脇晶に見られているのが、六郎にとって何よりも苦痛だった。緊張で涙が出そうになり、吐き気がするのは小学生のとき以来だった。 オーディションが終わり、金城はじめ劇団のメンバー、そして門脇晶は、六郎たち参加者を笑顔で見送った。門脇晶の笑顔と「ありがとうございます」という明るい声で六郎は少しほっとしたが、それでも恥辱感と不安が六郎の心身を強張らせていた。 オーディション会場を出た六郎は駅の近くにある喫茶店に入った。他の参加者と同じ電車に乗るのが耐えられなかったのだ。ホットコーヒーがテーブルに置かれる。六郎は飲みたくもないコーヒーを何度も口に運んで気を紛らわそうとした。劇団の人々は、他の参加者は、そして門脇晶は自分のことをどう思ったのだろうか。 「使えない素人が来た」 「何言ってるのかわからない」 「下手くそ」 「ブサイク」 「勘違いしたファン」 頭の中で、劇団員たちが自分を責める。中学のとき、学級委員に立候補してクラスメイトから一斉に笑われ、罵倒されたときの、あの声が、あの顔が、記憶の底から這い上がってくる。 劇団員は妄想だし、クラスメイトたちの記憶は今の自分と関係のないことだったが、彼らは延々と六郎を責めた。 死刑宣告を待つ犯罪者はこんな気持ちになるんじゃないだろうか? 六郎は一度感じた不安を頭の隅に追いやることができない。今感じている不安に知らんぷりしていると、目を離した隙にその不安が巨大化して自分に襲いかかるような気がした。 それでも不安に耐えきれなくなった六郎は、劇団の公式アカウントの投稿を思い出す。 「テクニックよりも『良い作品を作りたい』という強い想いを大事にしてます」 芝居の上手い下手は、実はそんなに重要じゃないのではないだろうか。熱い想い……それなら自分にだってある。憧れの劇団SOLID STANDで、ずっと見上げていたキャストたちと、門脇晶と同じ舞台に立ちたい。その想いの強さならあそこにいた誰にも負けない。そもそも、オーディションで緊張して本当の実力を発揮できないのはよくあることじゃないか、劇団の人々だって、それをわかった上で評価するんじゃないか。俺の控えめな声量や物静かな立ち振舞いがぴったり合う役柄があるかも。そういえば、前の公演で魔笛皇帝の配下の役だった松尾シンヤはあまり演技がうまくなかった気がする。俺にだってまだチャンスがあるんじゃないか。 劇団員たちが、稽古場で自分を歓迎してくる光景が脳裏によぎる。 「六郎さん、よろしくお願いします!」 頭の中の門脇晶が自分に微笑む。それは役者とファンではない、同じ作品を作る、劇団SOLID STANDの仲間にだけ見せる親愛の笑顔だ。 いや、でも……、期待と不安が交代に頭の中を満たす。それを何度か繰り返していると、頭の中で何度も反芻した声が、耳の中に入ってきた。 店の入り口を見ると、オーディション会場にいた劇団員たちが店に入ったところだった。金城を先頭に、三葉、士道、そして門脇晶もいた。六郎はすぐに顔を背けた。心臓がバクバクと跳ね、全身が粟立つ。 どうやら入り口近くの席に座ったらしい。六郎の席とは、衝立を挟んでテーブル二つ分の距離になる。耳をすませば、かろうじて会話が聞こえた。六郎は縮こまり、自分の耳に意識を集中させた。 劇団員たちと門脇晶はメニューを観ながら談笑する。金城が「晶はブラックコーヒー?」と、笑いの混じった声で聞く。「私ブラック嫌いって言ったじゃないですか」そう返す門脇晶の声には、友達や家族と話すときのような親しさが込もっていた。それだけで六郎は門脇晶と金城の関係を邪推しかけた。門脇晶はカフェモカのアイス、士道は抹茶ラテ、金城と三葉はキリマンジャロのホットを注文した。 ウェイターが去ってから、金城の声が聞こえる。 「いやぁ、おつかれさまでしたと。どうだった? 今日」 「いや、中々いいメンツだったんじゃない」 三葉が答える。士道と門脇晶が相槌を打つ。六郎に喜びと不安が湧き上がってくる。それは俺のことも含まれているのか。金城たちはオーディション参加者たちの話を始めた。 山崎さんはニックの役がいいんじゃない。まぁまだ確定じゃないけど。あの中じゃ一番動けそうでしたね。愛美ちゃんはスケジュール微妙だな。稽古半分くらいしか来れないんでしょ? 風の魔女やるんだったら大丈夫じゃない? そんな台詞も立ち回りも多くないし。五十嵐ジョンって人、こないだ“FUNK MAN”の公演出てましたよね? 六郎は、自分の名前が挙がるのを待った。金城は少し言葉がキツかった。士道は外見通り腰が柔らかく、金城が批判した役者の良い点を必ず挙げていた。門脇晶は士道の言葉にフォローを入れる。 六郎以外の全てのオーディション参加者の評価が終わったところで、 「ま、こんなとこかね」 と、金城が一息つく。 俺の評価は? 六郎の心がはやる。 「竹下さんは……」  三葉の声だった。 「え? ああ、あの人ね」 あの人は、ちょっとねぇ。金城の声に嘲笑が混じっていると六郎は感じた。うーん、と唸って士道が口を開く。 「好きって気持ちは伝わるんですけど……」 あ、ダメだ。これはダメだ。ダメだ、ダメだ、ダメだ。俺はダメだ。俺はダメだ。 六郎は、まるで自分で追い打ちをかけるように、悲観に走った。彼らの口から「あいつはダメだ」とはっきりと聞いたときのショックに耐えるため、自分で自分を否定しているのだった。 しかし、その努力は無駄なことだった。 「あの人は、役者は難しいと思います」 憧れの門脇晶の声だった。 どんな表情をしていたのかはわからない。 今まで自分の心の中を彩っていた者が、崩れて霧散した。その代わりに黒い毒霧が充満していき、身体が暗闇の下へ下へ落ちていくような心地がした。 自分の存在が否定されたような気がした。
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