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シアターアーツのステージには、石造りの砦を模したひな壇状のステージセットが組まれている。公演中の舞台のものだ。
深夜、誰もいない舞台のステージ。照明が二人の舞踏者を照らす。
清白の羽 サーライツと、紫黒の爪 バーゼルグ。
サーライツは、羽の装飾が施された白く薄い鎧を纏う。その仮面の意匠と体躯からして、女のようだった。封筒に入っていた写真の通りだ。
二人の舞踏者が相対す。
「水槽の魚は死を待つだけ」
サーライツ澄んだ声が劇場に響く。
「現にしがみつく者は魂の死を待つだけ」
サーライツの言葉にバーゼルグが呼応する。
「私は人より蝶になることを選ぶ」
「私は跪くより翔ぶことを選ぶ」
「私は私の欺瞞を捨てここに来た」
「私は真に生きるためにここに立つ」
「命を燃やして踊ることを誓う」
「痛みを以て魂に生を刻むことを誓う」
二人の舞踏者は、誠意を込めて礼をする。
そして、ゆっくりと頭を上げると、お互い殺気とともに得物を抜いた。サーライツは白銀のレイピア、バーゼルグは切っ先が鉤爪のように湾曲した剣。
バーゼルグの剣が振り下ろされる。サーライツはそれを躱して、敵の胸に向かってまっすぐ刺突する。しかし、バーゼルグの甲冑に弾かれる。
大きく剣を振るうバーゼルグと、身軽に動いて隙を見て突きを放つサーライツ。まるで、黒い狼と白い鳥の戦いのようだった。
ステージの上に跳んだサーライツをバーゼルグが追いかける。縦横無尽に舞踏が繰り広げられる。バーゼルグの振り下ろした剣がステージのセットを粉々に破壊する。仮面の下から唸り声が漏れる。それは得物を逃した苛立ちというより、肉体を全力で駆使することへの歓びの顕れだった。
サーライツはジグザグに接近し、相手の後ろを取った。細いレイピアの切っ先がバーゼルグの首を捉えた。
バーゼルグが刀身で首を守り、レイピアは弾かれる。体勢を立て直そうと後ろに下がろうとしたとき、バーゼルグの剣、切っ先の爪がサーライツの足を掴んだ。剛力によってサーライツは投げ飛ばされ、発泡スチロールでできた岩壁にぶち込まれる。セット裏の鉄骨が軋んで音を立てる。バーゼルグの剣はすね当て引っかかったため、足を切断されることはなかった。しかし、投げ飛ばされた衝撃は、サーライツの華奢な身体に大きなダメージを与えた。
バーゼルグがゆっくりと近づいてくる。
サーライツは羽の一枚を引き抜き、バーゼルグに向かって投げた。羽の先は鋭い針となっていて、バーゼルグの右の太腿、鎧と鎧の隙間の関節をまっすぐ射抜いた。バーゼルグは膝をつく。鉄の針が肉に食い込んでいるのを感じる。少し動くだけで激痛が走る。
サーライツは更に三枚、羽を飛ばす。二枚は腕甲で弾いたが、一枚が左腕に関節に突き刺さる。少し動くだけで、針が肉の中で動き、神経をかき回す。痛みで力が入らない。
サーライツが岩壁の頂点に立つ。跪いたバーゼルグをサーライツが見下ろす形になっていた。照明が勝手に作動し、スポットライトが彼女を照らす。
サーライツは上手、バーゼルグは下手にいる。上手は主人公、下手は悪役が立つ位置だ。
上手の高所に立ち、レイピアを構えてこちらを見下ろす敵は、まるでヒーローのようだ。そう、魔笛皇帝を打ち倒すエイジのように。ステージのうえで活躍する門脇晶のように……。
呻くような声がステージの空気を震わせる。サーライツは、バーゼルグが放つそれが悔しさによる唸り声かと思ったが、すぐにそうではないと悟る。
笑い声だった。バーゼルグは仮面の下で顔を歪めて笑っていた。どうして笑いが出るのか、自分にもわからない。ただ、腹の底から湧き上がってくる、黒く、暴力的なモチベーションがとても心地よかった。そして、スポットライトに照らされたヒーローを見上げると、このエネルギーの向かう先が定まった気がして、全身に力がみなぎった。
バーゼルグは拳を振り下ろし、木材の床をぶち抜いた。そして、ステージを支えている鉄骨の一本を力任せに引き抜き、ぶん投げる。サーライツの全身が恐怖で粟立った。間一髪それを躱したが、体勢が崩れる。バーゼルグは岩壁に体当たりする。その衝撃で、サーライツは敵を見下ろしていたところから落ちる。
振り上げられた剣先が、白い体躯に赤一文字を刻む。
白い羽根と赤い血しぶきが、ステージに降り注ぐ。
どさ、と音を立て、サーライツが地に堕ちる。仮面の下からかすかに、痛みに悶える声が聞こえる。バーゼルグは両手でゆっくりと剣を振りかぶる。
もう反撃することも逃げることもできまいと、バーゼルグは慢心していた。
瀕死の白鳥のような小さな叫びとともに繰り出したサーライツのレイピアが、バーゼルグの脇腹を貫いた。
血に汚れた無数の羽がひらひらと舞い落ちる、その中に、息も絶え絶えに決死の一撃を決めた戦士が見える。その仮面の下に、かつて憧れていた女の顔を思い浮かべる。
サーライツはレイピアを突き立てたままその場に倒れる。
白い身体から、鮮やかな血が広がる。
いつの間にか、スポットライトが自分を照らしている。
バーゼルグは天から降り注ぐ羽を一枚つかんだ。
――ああ……なんてドラマティックなんだ。
――これから俺の物語は始まるんだ。
今まで感じたことのない歓びに打ち震え、仮面の下で涙が流れた。
緞帳が下がっていく。その向こうで歓声が聞こえる。
バーゼルグはゆっくりと舞台袖にはけていく。
白い羽が、血溜まりに沈んでいく。
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