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織 21歳 5月
『今公園にいるんだけど、桜がすごくきれいなんだ。来ないか?』
「海と一緒?」
『ああ。空は寝てるんだろ?』
「うん。父さんがベッタリ」
『ベンチにいるから』
「わかった」
環から電話をもらって。
父さんに空をお願いしてから外に出る。
五月。
環はすっかり普通に喋ってくれるようになって。
あたしたちは、来月式を挙げる。
そしてそれが終わると…両親はアメリカに渡る。
「お出かけですか?」
庭で万里君が声をかけてくれた。
「うん、公園まで」
「気を付けて」
「行ってきます」
万里君は、秋に大きな事件に絡んでいた女の子と暮らしている。
というのも…彼女が、記憶喪失になってしまったから。
事件の全貌を知っている万里君は、彼女の過去ごと彼女を受け止めた。
でも、とても幸せそうで…それは、それでいいと思う。
そして、舞と沙耶君は、来週式を挙げる。
おめでたい事続き。
「わ、すごい」
なるほど…
公園は桜満開だろうな。
この通りだけでも、すごいピンク。
八重桜だっけ…華やかだな。
「かあしゃーんっ」
ベンチが見えたとたん、海があたしを見つけて走ってきた。
「お花きれいだねー、海」
あたしが海を抱えると…
「…織…」
聞き覚えのある声。
その声に、あたしの胸が逸った。
…どうして…?
あたしは、ゆっくり顔をあげる。
「…セン…」
ベンチには、驚いた顔の、セン。
ふいに、センと出会った時のことがよみがえる。
あの時も…この公園だった。
「お兄ちゃんに、こぇ、ちゅくってもやった」
海がそう言って、あたしに折り鶴を見せた。
「…そう、良かったね…上手に出来てる…」
ドキドキして…声が震える…
「…久しぶり」
少し間を開けて、センが口を開いた。
「…元気…だった?」
「ああ」
「…陸から聞いたわ。バンド…」
「ん…」
「髪の毛、伸びた…ね」
「…どうして?」
「だって、あの時…」
あ。
センは、あたしが知ってるってこと…知らないんだ。
「…あたし、隣の部屋で見てた」
「……」
「センがあたしへの想いは偽りじゃないって…髪の毛を切ってくれたの、隣の部屋で見てた…」
あたしがうつむいてそう言うと。
「…あれから、伸ばしてるよずっと」
って、センは髪の毛をかきあげた。
「あれからしばらくは、俺もふぬけで立ち直れなくて。でも、いつでも織のくれた手紙を読み返して…とか言ってもさ、結局は自分で動き出すことなんかできなかったんだけどな」
「……」
あの手紙を…読み返して…
「楽器屋でスカウトされて、賭けてみたんだ。それが、今に至ってるわけなんだけど」
「家、勘当されたって…」
「ああ、でも何かふっきれたし…お茶も、それなりにたてたりしてるから」
センはそう言って、笑ってくれた。
「今日は?」
「今からスタジオ。親父から来た手紙読んでたんだ」
「…この子…」
あたしは、海を見る。
「さっき、男の人と一緒に来て、電話かけてくるから少しの間見ててくれって頼まれたんだけど…」
環…
「あたし、その人と来月結婚するの」
正直に話すと、センが一瞬息を飲んだ気がした。
「…おめでとう」
「…ありがと」
「海君…だっけ」
「うん」
「…一度だけ、抱いていいかな」
「……」
あたしは、少しだけためらって…海を抱えたままセンに近付いた。
「海、お兄ちゃんにだっこしてもらいなさい」
あたしがそう言うと、海は折り鶴を持ったまま。
「だっこ」
そう言って、センに手を差し出した。
「……」
センが、慣れない手つきで海を抱えて…目を閉じた。
あたしは、やりきれなくなって目を反らす。
…ごめん。
ごめんなさい。
一度だけなのに…あなたを試すような事をして…
勝手に…子供を産んで。
こんなに愛しい存在を、あなたに知らせないまま…
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