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一条 紅
「いいか。バルコニーに仕掛けた発火装置が、もうすぐ起動する」
緑が、声をひそめて言った。
「わかってる。火が着いたらあたしは裏通りに逃げるから、碧は海岸沿いね」
「OK」
緑のお手製の時限発火装置。
碧は事務所の見取図を開いて。
「ここに仕掛けてあるんだ。紅の逃げる方から家の中が見えるはずだから、人数確認してくれ」
「さっさと片付けちゃお」
あたしがそう言うと。
「じゃ、また夜中に紅んちで」
碧と緑は手を挙げて散らばった。
あたしも、指示通り裏通りに駆けだす。
そして、隣の家の広ーい敷地内の木の茂みに忍び込む。
「えーと…」
小さなオペラグラスで家の中を見渡すと。
玄関の前とリビングに二人ずつ。
「今日はボスは留守なわけね」
二階のバルコニーから煙が上がるのが見えた。
あたしはオペラグラスをその場に捨てると、急いでその場を離れる。
少しして、背後から大きな爆音。
うわ。
これは、予想以上だったな。
緑ったら、火薬詰めすぎよ。
早く走んなきゃ、破片が飛んでくるか。
「よっ…!!」
高い塀を飛び越え…
「うわっ!」
「きゃっ!」
あー…
高い塀を飛び越えて。
なんとか、あたしは爆風に巻き込まれることはなかったものの。
飛び越えて、おりたところは…
男の腕の中。
「す…すみません」
慌てた風に、男に言う。
「あ、いや…君、今…上から?」
男は、途方に暮れたまま塀とあたしを交互に見てる。
「そこの木の実が何か気になって上ってたら…大きな音に驚いちゃって」
とりあえず、首をすくめて上目使い。
あたしは、この角度の上目使いがイケるらしい。
実際、男はあたしの顔を見たまま…
早く降ろしてよ!
「大丈夫?」
「あたしは大丈夫…あ、お兄さん、頬、傷付けちゃったかも…」
男の頬に、ひっかき傷。
あたし、引っかいちゃったかな。
あたしはポケットからハンカチを出すと。
「ごめんなさい」
そっと傷をぬぐう。
「あ、いいよ。ハンカチ、汚れるよ」
「いいえ、あたしがあんなところに上らなければ…」
早く降ろせって。
「あの…」
「え?」
「降ろしてもらえますか?」
「あ!あっ、ごめん!」
男は慌てたようにあたしを降ろすと。
「ハンカチ、洗って返すから」
って。
「いいえ、いいですから」
「いや、そうはいかないよ。その制服は桜花だよね?」
「はい」
「名前は?」
「本当に、いいですから」
「それじゃ、気がすまない」
「……」
あたしは小さく笑って。
「三年五組の島崎紅緒です」
男を見つめる。
すると、男はほんのりと頬を赤らめた。
…こいつ、あたしに惚れたな。
ふーん…
見た目は悪くない…どころか、ちょっといい男。
あたしをしばらく抱えてたんだ。
力はある。
ま、何回か会って、飽きたら捨てよう。
「じゃ、ちゃんと返すから」
「どうも、ご丁寧に」
「まりーっ、何やってんだーっ!?」
ふいに、離れた所から大声がして。
「あー、今行くー」
男が、答える。
「それじゃ」
走ってく男を見送って。
…悪くないな。
心の中で、つぶやく。
今まで、さんざん男とは付き合ってきたけど。
あたしを満足させてくれる男は、いなかった。
さっきの男、歳は23ってとこかな。
スーツ着てた。
新人サラリーマンかな。
…って感じでもなかったなあ。
こんな時間にスーツ着てうろついてるのって…
「刑事」
……
「まさかね」
そんな匂いじゃなかったな。
一人でつぶやきながら、家路につく。
そして、その夜。
「結婚しよう」
あたしは、昼間の男に求婚される夢を見てしまった。
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