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「……一月くん?」
動かない俺を待ちかねたのか、監督が声をかけてきた。
息を詰めていたスタッフたちがざわめきだす。
「……すみません。上手く演技に入れませんでした」
腕をアスファルトの床に突き、頭を持ち上げて謝った。上手くは入れなかったのは演技にじゃない、主人公のスバルにだ。
「初めからやり直そう」
監督のそのひと声で、現場は仕切り直しとなる。
「大丈夫か? 一月らしくない……」
俺の衣装についた砂粒を払いながら、マネージャーが言ってきた。
(そんなことは分かってる、分かってるけど……)
そして2度目のリハーサルも俺はスバルになりきれないまま、中途半端に動きだした。
こんなのは演技じゃない。ただセリフと立ち位置の確認だけで終わる。
(どうして……)
稽古では、スタジオ収録ではシンクロできていたスバルが、今日はどこにも見当たらない。日の光が差してきて、指はかじかんだままなのに額には嫌な汗が出た。
スタッフの輪の後ろで俺の上着を抱いている、マネージャーの姿が見えた。
彼も明らかに不安そうだ。俺がこれっぽっちも演技に集中できていないことは、マネージャーにはとっくにバレている。そして……。
(羽田さん……)
彼は自分の出番が当分来ないことを知っているかのように、マスクを小脇に抱えたまま遠い目をしていた。こっちを見られているとプレッシャーなのに、見られなければ見放された気分になる。
俺はあの人を意識しすぎている。分かっていても彼を意識から遠ざけられなくて、イライラが募った。これじゃあとても役柄をつかまえるどころじゃない。
「本番!」
カメラにRECランプが灯っても、リハーサルの時と同じつかめない演技が続いた。
「うーん、悪くはないんだけどな。一月くんなら、もっと魅せる演技ができる気がする」
監督はそんなことを言いながら、渋い顔で映像をチェックしている。
「魅せる演技って……」
助監督が聞き返した。すると監督は助監督にではなく、俺の方へ視線を送る。
「一月くん、このシーンはオーディションの最終審査で、君が演じたシーンだ」
「はい……」
「あの時の君には、もっと鬼気迫るものがあった」
それはそうだ。あの時の俺は俺じゃない。主人公のスバルに、ユーマニオンレッドとなる男になりきれていた。
「つかめていないんです、今日は……」
そんな本音を口にすると、監督は腕組みして遠くの空を見上げた。
「……そうだな。日を改めて撮り直そう。本人が駄目だと思うなら尚更だ」
「えっ!? 今なんて……」
思わず耳を疑う。今日は野外ロケで、エキストラも大勢集められている。そう簡単に後日になんてわけにはいかないはずだ。
そばにいた助監督やカメラマンも、ぎょっとした顔で監督を見ていた。
「いやいや、続行しましょう! 多少調子が悪くたって、編集でいい感じに繋げますよ」
「そうですね! 羽田さんもずっとスタンバってますし」
2人がフォローしても、監督の考えは変わらなかった。
「いや、撤収しよう。今日は日が悪い」
他のみんなにも撤収が伝えられる。
(そんな、俺のせいで……)
みんなの顔が見られない。俺はいたたまれない気持ちで唇を噛んだ。
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