もてなす京都の道祖神

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 ここ数十年はどういうわけか日がでている間は静止し、日が没し、斜め向かいの居酒屋の看板枠の電球が黄色く、小癪に明滅するころになると覚醒する癖がついた。こうなると酔客や仕事終わりで気がせいている人間たちの靴音や巻き上げる砂埃、車のハイビームなんかに曝されて忌々しく知覚ある時を過ごすことになる。  神に姿なんかないが、遠い昔に感度の高い人間が、彫りぬいた石像がある。妻とふたり、衣冠姿で口元に笑みを浮かべて手を取り合っている。別になんにでも宿れるが、人間が神を認識しやすいのであればとここに宿っているが今はそのことがかえって我を苦しめる。人間に肉眼で神と認識されているのにこの黙殺された扱いは、火や木に宿って感知されないことよりもなお一層惨めだ。妻は私よりも背が一段低くそれゆえに苔むすとすぐに覆われてしまうのだ。また不憫にもちょうどまたぐらを向けた犬の小水がかかりやすい高さでもある。それもあってか、妻はもう何年も静止したままで、顔まで苔に覆われて沈黙している。心配であると同時に羨望もある。なぜなら苦しみや恥辱なく幾夜でも過ごせているということなのだから。
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