幸福のスパイス

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※  肌に貼り付いた服の感触に何度も身震いをする。水を滴らせながら歩く姿なんて、不審者に思われてもおかしくはなかった。今が夜でよかったと、浩一は心からそう思った。  結局勝負には負けた。  当たり前だ。途中で落ちてしまったんだから。  あの後、浩一は必死にもがき、なんとか石の上に戻ることができた。川の流れが緩やかで運が良かったと言うべきだろう。  タクミとナオヤは最初こそは「大丈夫か」と声を掛けたが、浩一に怪我がないことがわかると急に態度を翻した。しまいには「落ちるなんてダセー」と言い放ち、ちゃっかり浩一の五百円を持ち帰ってしまったのだ。  浩一のポケットには、残りの小銭と水に濡れてしわくちゃになったカードが。  プレゼント、買えなかった……――  あの時なんでカードを追いかけてしまったんだろう。カードなんてまた書けばよかったのに。あの調子でいけばあっちまで渡れたはずなのに。いや、そもそもあんな勝負するべきじゃなかったんだ……。  浩一は何度も思い返した。けれどもそれで現実が変わるわけではない。  自分が惨めだった。  ほんの十分の帰り道のはずなのに、長い長い暗闇のトンネルに一人ぼっちでいるかのような錯覚に陥っていた。  家に着いてほしいような、ほしくないような。母に会いたいような、会いたくないような。  はっきりしない胸の疼きに、浩一自身もどう対処していいかわからなかった。  それまで口を真一文字に結び眉を寄せていた浩一だったが、家の窓の隙間から漏れるあたたかな光を目にした途端、心の中で何かが弾けた気がした。じわり、と目の端に涙が滲み、右手の甲で思い切り拭い取った。   
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