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 春の朝日を浴びる、自然豊かな山あいの派出所に申し訳なさそうな様子で早川(はやかわ)のおばあさんが現れたのは、今月に入ってからもう三度目の事だった。 その回数を去年から今年にかけての一年間トータルで考えれば、おそらく優に十回を越えているだろう。  おばあさんの姿に気付いた大森巡査(じゅんさ)は、早くも席から立ち上がって公務車両専用のキー・ラックへと近付いていく。 この流れには、そろそろ慣れつつあった。  きっと、車が必要になるだろう ……。 「 おはようございます、早川先生。 どうかなさいましたか ? 」 「 おはよう、大森(おおもり)くん。 このお願いをするとあなたの仕事を増やす事になってしまうから、本当に悪いんだけど …… 」  早川のおばあさんはプロ級の腕前を持つボランティアのピアノ奏者で、辺鄙(へんぴ)な田舎という表現がぴったり来るこの地域では、貴重な才能の持ち主だった。 大抵の音楽教師より上手だったから、周辺の小・中学校で行なわれる入学式や卒業式のピアノ伴奏には欠かせない存在だ。 人手の足りない時には音楽講師として短期間の特別授業を引き受けたりもしたので、彼女から教えを受けたことのある人は今でも子供時代の習慣のまま、早川のおばあさんを先生と呼ぶ。  この村で生まれ育ち、都会で勉強したあと故郷に戻って警察官になった大森巡査もその一人だった。 「 先生、お気遣いなく。 誰かが困っている時に頑張るのが僕の仕事ですからね。 ご用件は …… お宅のドミナントくんに関して、でしょうか?」 「 ええ、また猫が逃げたの 」
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