【薄桜鬼】月のうたかた

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春の訪れはまだ遠い、霜月の夜。 今宵は満月であるが、この山奥の鬱蒼とした森の中まで月の光はとどきはしない。 闇の中を灯りも持たずに男がひとり、ゆったりと森の奥へと歩みを進めている。 深い夜の世界に生きる獣の息づかいが大きく響いて聞こえるのは、この身が彼らの縄張りに入り込んでおり気を緩めればたちまち彼らが襲いかかってくるだろうと本能で感じているからだろうか。 「すまないね。少しばかり通しておくれ・・・」 そう呟くと、彼らは応えるかのようにしんと静まり、耳に届く音は風に遊ぶ木々の音のみとなる。 微かに気配を感じる闇の方へと意識を配らせ、感謝の言葉を口にした。 この時分になると夜というより夜明けの方が近いのだが、辺りはまだ闇に包まれており吐く息も白く煙る。 男の住まう里山の奥地には大河の源流があり、彼はこの場所に時折足を運ぶ。 それは月の満ちる夜ときまっており、里の者が寝静まる時分にこうしてふらりと出かけるのだ。 目的の場所に近づいてくると少しずつ木々がひらけ、小川を照らすように月明かりが差し込んでいる。 月光が降り注ぐその場所へと身を置くと、両の手を差し出して天を仰ぐ。 それは許しを請うているような・・・。 見る者の胸を締め付けるような、そんな姿であった。 着流しの帯を緩めた男の肌が露わになり、月の光に照らされて金色の光を放っている。 仕立ての良い生地は滑らかな肌を撫でながら首筋、肩、腕へと滑り、留め置くものがなくなったそれは彼の足下に纏まって落ちる。 下穿きすら身につけてはおらぬ裸体を月明かりの下に晒し、腰上までの長さの漆黒の髪を束ねている緋色の結い紐を引き寄せた。 その仕草が艶めかしさを増長し、見る者がいたならば思わず視線を逸らしてしまうだろう。 「このようなところで何をしている、志乃」 名を呼ばれた男が肩越しに視線だけ寄越すと、後をつけていたのか暗闇から幼馴染の姿が現れた。 「千景。わたしの後をつけて来たのかい?」 「なあに。こんな時分に灯りも持たずにひとりで出掛けるのを、気にも留めぬ仲ではあるまい」 歩みを止めることなく、千景は志乃へと近づいてゆく。 明かりの下に現れた彼もまた着流し姿で、腰には大刀を差しているが灯りなどは持ってはいない。 君も灯りなど持ってきていないじゃないか、と口にしようとするがその言葉は背後から回された腕に引き寄せられたことにより音になることはなかった。 「それにこのような姿で・・・」 誰かに見られては危ないではないか、と志乃の耳に吹き込むようにして囁き背から抱きしめた腕の力を強めた。 「おかしなことを言うね。人はおろか獣だって今はいないよ」 先ほど彼らには許しを得たからね、と愉快そうに呟く。 「・・・だが、ここには俺という『鬼』がいることを忘れるな」 肩と腹に回された腕が悪戯に志乃の肌を這う。 「わたしを喰らうつもりなのかい?」 腹を滑る指先が胸の尖りにたどり着くと、その正体を確かめるように執拗に捏ねまわす。 敏感な箇所を責められ、尖りは堅く立ち上がり耳元に口を寄せる男がくすりと笑う。 熱を帯びた吐息が乱れるのを、唇を噛むことで耐える。 それが無駄であることは承知の上だが、すぐに認めてしまうのも癪だとも思う。 そのしようのない足掻きでさえも千景にとっては戯れの中の一つでしかなく、もっと責め立ててみたいという嗜虐心が膨れあがるのだ。 「同胞を喰い殺したりはしない、が満ちた月の光を纏うお前の色香は俺の雄を刺激する」 尻に押し当てられる確かな証に志乃は息を飲んだ。
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