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山間にあるこの場所は、春はまだ遠い時期の夜明け前にはひどく冷え込む。
それを承知で身を清めに彼がここにやって来ることを知りながら、千景は黙認していた。
この世に生を受け、母や父にも愛されることなく育った彼の心の叫びが、胸に抱きながらも聞こえるのだ。
命の灯火が消えてしまいそうなほどの微かな音で。
助けて、と。
幼い彼が恋しさのあまりに母の元へと訪れた際、恐ろしい形相で放たれた言葉が毒のように、長い時を掛けて彼を苦しめ続けている。
『永劫』とはよく言ったものだ。
強力な私怨であるならばこの世にとどまることは容易いだろう。
皮肉にもあの女の望みどおりになっていた。
女はすでにこの世には亡いというのに・・・。
『妾に近寄るでない。お前のせいで妾は・・・っ。染谷の正室に負けたのだっ。すべて、・・・すべてお前が女子でないからじゃ、二度とお前の顔など見とうないっ、消えてしまえっ』
『染谷の血が入るお前は穢れた生き物じゃ。妾をこのような目に遭わせたこと、たとえこの身が滅ぶとも永劫お前や染谷もろとも呪ってやるわ』
まもなく発狂した女は正気を失い、染谷の当主の命により里の外れの日の差すことのない古びた小さな屋敷に隠すように閉じ込められた。
その日の夜も深まった時分。
染谷の屋敷から甲高い赤子の泣き声が響く。
奇しくも女が望んでやまなかった、女の赤子が誕生したのと同じ日であった。
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