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子どもの頃、誰もがはしゃいだ場所――その中のひとつに遊園地もきっと入るはずだ。
そんな遊園地の一角、男の子なら一度は見たことがあるヒーローショーの看板が掲げられたステージ前では、今まさにショーの準備が行われていた。
「そこ、ちゃんと養生してください。あと、グラつきも直してください」
キレイだが表情のない顔に眼鏡を乗せた、スーツ姿の男がこちらに向かって淡々と告げる。
「はい」
榎本勇大は、それに不機嫌に返事をした。
――オレは大工じゃなくて俳優なんだけど。
そんなふうに思うのもぐっと堪え、勇大は言われた作業に取り掛かった。滴る汗を程よく筋肉のついた腕で拭うと、そのまま繋ぎの作業着の上だけを脱いだ。袖を腰で括り、イライラを含んだため息を零す。
「何か不満? 君はいつも怒ってるね」
コツコツと革靴を鳴らして近づくのは、さっきの無表情スーツ男、船登圭史郎だ。この遊園地を経営するリゾート会社の社員で、ここでの人事やイベント管理をしているらしく、ヒーローショーも彼の担当だ。
「いいえ。全く。これっぽっちも」
圭史郎に目をくれることもなく勇大は答えた。
「でしたら作業は丁寧にお願いします。大道具の設置を自分たちですると言ったのはそちらなんですから」
「はいはい」
分かってますよ、と勇大は不貞腐れた返事をしながらステージ上にスピーカーの固定作業をした。
本来なら業者を入れて舞台設営をするのだが、勇大が所属するのは小さな養成所なので、自分たちでするのが常だった。手慣れているとはいえ素人の自分たちだ、作業が多少手荒になっても仕方ないという話なのに、毎週こんなふうに言われては、勇大だって腹が立つ。
勇大はとにかくこのツンツン無表情スーツ眼鏡男が嫌いだった。一瞬性別を間違えそうになるキレイな顔立ちをしているし、背は勇大より低いが脚も長くスーツがよく似合う、美人だ。
しかし、右のスピーカーが三センチずれてます、とか言い出すほど細かいし、いつも無表情で何を考えているのか分からない。更にこの淡々とした口調が気に入らない。
けれど、今ここに来ている養成所の俳優の中では自分が一番下っ端なので指示を聞くのは勇大の役目だった。
スーツアクターに憧れて、養成所のオーディションを受けたのは一年前だ。子どもの頃から運動神経はよかったお陰で合格して一年、ようやく小さなヒーローショーの役を貰えた。嬉しかったし、何でもできると思っていたけど、実際はそう簡単ではなかった。
「ところで君、昨日の演技、最低でしたね。あれじゃ子どもですら怖がらない」
「……ガンバリマス……」
勇大は歯を食いしばりながら答える。怒りで怒鳴りたくなったのを我慢した自分を褒めたい。
いけ好かない無表情スーツ眼鏡……圭史郎は、こうして演技にすらダメ出ししてくるから、余計に腹立たしい。たかが遊園地で管理業務をこなしているだけの人に何が分かるというのだ。勇大はそう思いながら作業を続けた。
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