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電話の向こうで新稲が泣いて叫んでいた。
『貴方のせいですよ!全部!ご自身で様子を見に行かないからこんな事になるんです!』
冷静で滅多に声など荒げない新稲がだ。
『あの子には!何も無いと貴方が仰ったんじゃないですか!』
最後に本気で怒鳴られたのはいつの事だったか。
『だからあれほどッ…お前はッ、馬鹿野郎!!』
国政の異変にいち早く気が付いたのも新稲だった。家に帰っていないと白状すると、馬鹿なのか、ヘタレめ、早く帰れ、と言葉も選ばず言い放った。腕が完治していない小津に代わって、秘書の仕事をこなしながらマンションへと通い、いをりの世話をして聞く耳を持たない国政に近況を伝える。
『貴方を待って一人廊下で寝てますよ、風邪でも引かせてみなさい、鳴さんに叱られますよ』
新稲はずっと、何度も言っていた、逃げるな、一人にするな、つがいになった事を生涯後悔させないんじゃなかったのか…早く帰って、あのこは貴方を待っている。
いをりがいなくなった。
『ぼくには…ぼくの帰る場所は、国政の所しかないよ』
そう言って肩の力を抜き国政に身を任せた、あの愛しい重みはもうこの手にない。
玄関を開けると静まり返った廊下の向こうに真っ暗なリビングが広がっていた。部屋の中は綺麗なものだった。唯一乱れていたといえば、寝室のベットの上のシーツと国政の部屋のクローゼットだけ。
開けっぱなしのクローゼットからはいをりが気に入っていた国政のカーディガンが無くなっている。
「…いをり」
源内郡司に会った事を怒っているんじゃない、あいつにいをりを取られてしまうかもしれないと恐れたのだ…。誰の目にも触れない様にここに閉じ込めておけば、どこにも行かないと高を括って一人にした。
これほどまでに追い求める愛など知らない、いくら手に入れてもまだ足りない。
愛おし過ぎて傷つけてしまう。
抱えきれない程の愛、いをりに向かう愛の重さが…自分が怖い。
俺はそれをなんと言っていをりに伝えた?
『お前の愛し方が分からない』
名前を呼び安心させてやる事もせず、こんなやり方ではいをりを追い詰めると分かっていながら、俺だけを思ってここで待っていればいいと自分勝手に振る舞った。
一人きりの家とはこんなにも広く寂しいものだったか…。
物音一つしない部屋、人の気配がない部屋、こんな部屋でいつ帰ってくるかもわからない人を待つ気分とは。
そこまで考えて後悔で頭を抱えた。
「…ーーくっそッ!!いをりッ!!…いをり…」
これでは、いをりを苦しめた母親と同じではないか。
いをりはもう親の帰りをただ待つだけのこどもじゃない、外で生きてゆく術を知っている。縛り付けておくなんて、到底無理な話なのだ。
「俺が、帰ってこないから…ここはお前の居場所じゃなくなったんだな」
いをりはリビングの大窓から外を眺めるのが好きだった。朝も昼も夜も、夜は特に長い時間外を眺めていた。国政はそんないをりを背後から抱きしめるのが好きだった、抱き込めばくすくす笑ういをりが可愛いくて愛しくて堪らなかった。
シャツの袖をめくり、腕に残った引っ掻き傷を確かめる。だんだんと薄くなるいをりが残した傷、後数日もしないうちに完全に消えてしまうだろう。
…ーーいをりが、消えてしまう
いをりはいつもそこから何を見ていたのだろうか、窓の側には愛しい姿はなくそれを知る術も、もうなかった。
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