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第3話
『――私……好き……好きなの、篠原』
目の前にいる和紀に、明日美は小さな声で告げた。少し躊躇ったけれど、今まで内に秘めていた想いをこれ以上抑えることができなくて。
『ん。……じゃあ俺たち、つきあおう』
和紀はそう言うと、明日美の頭を撫でた。
「っ」
刹那、何かの音に驚いて身体がビクリと震えた。ハッと頭を上げてキョロキョロと見回すと、和紀が会議室の端っこで電話をしていた。顔色があまりよくなく、深刻な表情だ。
(電話の音だったんだ……っていうか、夢かぁ……)
ある意味、夢でよかったと思った。もし現実だったなら、あんないい返事がもらえるはずないから。
「――分かった、じゃあ」
そう結んで電話を切ると、和紀がこちらを見た。明日美と目が合うと、彼は細く長い息を吐き出し、口を開いた。
「ごめん、斉藤。今実家から電話があって、父親が心筋梗塞で病院に搬送されたって。……俺、今から実家に行くから。多分、このまま連休に入ると思う」
「え、大変じゃない。早く行ってあげて。仕事は大丈夫だから」
明日美は慌てて立ち上がり、半分寝ぼけていた頭を強制的に覚醒させた。
「うん、後は任せる。悪いな。……その弁当、両方食べていいから」
「こんなに入らないよ……でもありがと」
机の上には、弁当が二つ入ったビニール袋があり、その隣にはコンビニ袋が置かれていた。中にはペットボトルのお茶が二本と、カップに入ったレアチーズケーキとコーヒーゼリーが入っていた。きっとケーキは明日美のために買ってきてくれたのだろう。
(ほんと優しいんだから……。だからあんな夢見ちゃうのよ……)
こういうことをされるたびに和紀に対する好き度が上がっていくのだから、ちょろいな、と自分でも思う。
「サンキュ。俺、明日の年休の申請して帰るわ。もし他のやつらに何か聞かれたら説明しておいて」
「うん分かった」
「……よいお年を」
「篠原も……お父さん、早くよくなるといいね」
年内に交わした会話はこれが最後だった。
それから一度だけ、和紀からメッセージが来た。
“この間はありがとう。父親は処置が早かったんで後遺症もなく順調に回復してる。俺も休み明けから普通に出勤できるから。迷惑かけてごめんな”
和紀の父親は地方で整形外科を経営している医師だそうだ。和紀の兄が後を継いではいるものの、院長が倒れたことや時期が年末年始だったこともあり、実家はてんてこ舞いだったようだ。だから仕事始めまでは彼からの音沙汰はなかった。
また仕事は年始からかなり忙しく、主任になった和紀は別の業務になってしまったのでゆっくり話をする暇など持てないまま――今日の新年会の運びとなったのだった。
***
「篠原、年末年始実家に帰ってたよなぁ。じゃあ、地元の女の子とつきあうことになったとか?」
遠くからそんな言葉が聞こえてくる。
(あぁそっか……向こうにいい子がいたのか……)
噂によれば、地元でもイケメンで医者の子供だった和紀はハンパなくモテていたらしい。
(ハイスペックで性格もよければ、みんな放っておかないよね……)
自分が絶世の美女だったら臆せずに告白できたのかな……と思ったが、すぐにそれを頭の中で取り消す。
(……美人でも振られてるからあまり関係ないか)
考えれば考えるほど気分が沈みそうなので、もう思考を停止することにした。
告白する勇気もない自分には、本来落ち込む資格すらないのだから。
明日美は目の前に置かれたグレープフルーツサワーを飲み干し、近くにいた居酒屋の店員を呼び止め、次々にアルコールを注文していく。
そして――
「すみませーん、冷酒くださーい」
明日美の記憶は、そこで途切れた。
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