第4話

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第4話

「ん……」  手の甲で目の上を押さえる。少しだけ頭が痛い。 (あぁ……飲み過ぎた……)  最後に日本酒を注文してから後のことは何一つ覚えていない。でも感触でベッドの上にいるのだと分かり、ちゃんと家に辿り着いた――かと思ったが、どうも匂いが違う。  ぼんやりと目を開けると、景色も違っていた。 「え……ここどこ……」  ゆっくりと辺りを見回すと、どうやら誰かの家のようだ。少なくともホテルの類いではない。見かねた誰かが家に連れてきてくれたのだろうか。 「っ、って、誰かの家!?」  瞬時にしてくっきりと寝覚めた明日美は、がばりと起き上がる。そして身なりをチェックした。酔った勢いで誰かと……なんてことになっていたら目も当てられないからだ。  コートは着ていなかったものの、その他の服はパンストまですべて身につけていたし、ベッドのそばにはバッグが置いてあり、壁にはコートがハンガーにかけられていた。 (よかった……)  とりあえず身体は無事だったようだ。 「やっと起きたか、酔っ払い」  その声と同時に、ギシリとベッドが軋む音がした。声の方向に顔を向けると、和紀が縁に腰を下ろしたのが見えた。 「しの……はら……?」 「おまえ、珍しくベロンベロンに酔っ払うんだもんな。だから俺んちに連れてきたんだよ」 「あ……ご、ごめんね、迷惑かけて」 「そうだよ。……ったく、他のやつらの前であんな酔った姿見せるなよ……明日美」  そう言った和紀の声はやたらに甘く、表情を見るとその瞳も甘く細められていた。醸すオーラも何もかもが甘く、起き抜けの明日美にはとても眩しかった。  それに何より、何故下の名前で呼ばれているのか、何故和紀の部屋に運ばれているのか、理解できずにいた。 「……どうしちゃったの? 篠原」  明日美が首を傾げて尋ねると、和紀は一瞬だけ目を丸くして。その後すぐにクスリと小さく笑いを漏らした。 「つれないな、明日美……彼氏に向かって」  彼女の口に入っていた髪を指で掬って整えながら、和紀の表情はますます甘さを増していく。  そんな顔、今まで見たことがなかった。 「ちょ、ちょっと待って! ……彼氏って?」  明日美はあからさまに狼狽していた。ブルブルとかぶりを振りながら、和紀の腕を掴んで問い糾す。  彼は明日美の反応を見て、やれやれといった様子でため息をついた。 「新年明けてからのおまえがいつもと全然変わらない態度だったから、あれ? って思ってさ。さっきの飲み会でもわざと彼女ができた発言して反応うかがってたけど、やっぱり覚えてなかったのか……」  その声音は若干不満げだ。 「私の反応……?」 「こう言ったら悪いけど、俺に彼女ができたって聞いた時の明日美、この世の終わりみたいな顔してたぞ?」 「こっ、この世の終わりって……!」  確かにそんな気分ではあったけれど、面と向かって図星を指された気分はあまりよくないものだ。 「――年末のあの日、俺がお前に好きだって言ったら、私も好きだ、って返してくれただろ?」 「……はい?」  きょとんとして首を傾げる明日美に、和紀は「しょうがないな……」と呟き、言葉を継いだ。 「俺が夕飯買いに行ってる間に、明日美は寝ちゃっただろ? それで――」  和紀曰く、すやすやと気持ちよさそうに眠る明日美をすぐに起こすのが忍びなく、そのまま寝顔を眺めていたそうだ。寝ている彼女の顔は無防備で愛くるしく、とても愛おしく感じたらしい。  そこで和紀はひとりごとのように切り出した。 『――なぁ斉藤……俺、主任になったぞ』  指先で彼女の頬を撫でると、明日美はわずかながら反応を見せる。 『ん……』 『可愛いな……。俺……おまえのこと、好きなんだけど』  少しだけ声のボリュームを上げてそう告げると、次の瞬間、薄く目を開いた明日美の口から出たのは―― 『――私も好き……好きなの、篠原』  そう言った彼女は、可愛らしく笑みを浮かべたそうだ。嬉しくなった和紀は、 『ん。……じゃあ俺たち、つきあおう』  小さな声でそう答え、そして明日美の頬にキスを――しようとした時、彼のスマートフォンが鳴った。それが実家からの連絡だったそうだ。  和紀は年次休暇の申請をし、上司に電話を入れ、実家に帰っていった。  新年が明けてからは彼は主任業務の引き継ぎなどで忙しく、明日美と一緒の仕事が極端に少なくなった。彼女は彼女で新しいパートナーとの仕事のすり合わせがあり、やはり忙しかった。  そんなこんなで、今まで落ち着いて和紀と話をする暇もなかったのだ。
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