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第5話
「――俺は、もうずっと明日美のことが好きだった。でも主任になるまでは告白しないと決めてた」
「……どうして? どうして主任になるまで?」
もしその間に彼氏ができて結婚でもしていたらどうするつもりだったのだろう? そのことも併せて尋ねてみた。
「だって、明日美が言ったんだろ? 『仕事ができる男が好き』だって」
少し拗ねたような口調で、和紀が呟く。
「え……そんなこと……」
(あー……言った、かも)
あれは確か、明日美が例のエクササイズアプリの仕事をする少し前のことだった。飲み会で好きな男性のタイプを聞かれたのだが、アルコールが入っていたこともあり、明日美はつい本音が出た。
『私……頭のいい人が好きだから、仕事ができる男の人がいいなぁ……』
この頃から和紀は頭の回転が速く仕事でも頭角を現していたが、明日美自身はまだ彼のことを意識はしていなかった。
「だから、同期の誰よりも早く主任になってやろう、って思った。その間、極力おまえに悪い虫がつかないよう、影で妨害をしていたわけだ」
「えっ、ぼ、妨害!?」
「明日美に気がありそうなやつに他の女の子を紹介したり、まぁいろいろ?」
和紀が影でそんな工作をしていたなんて、想像もしていなかった。確かにほとんど男っ気はなかったけれど、ただ単に自分がモテないだけだと思っていたから。
「でも……どうして私のことを? 篠原、きれいな人から何度も告白されてたのに」
「俺、一応何度も伝えてたと思うんだけどな。真面目に仕事をするのはまぁあたりまえとして。人とかものの長所を見つけるのが上手い、他人の悪口を言わない。……誰にでもできそうでなかなかできないことを、明日美は普通にやってる。あのエクササイズアプリの時だって、誰にも頼らずに影で頑張ってた。そういうところ、尊敬してるし大好きだ。……それに顔だって、俺はすげぇ可愛いと思ってるよ」
「何それ……恥ずかしい……」
明日美の顔は瞬時にして上気する。好きな人から褒めそやされて、面映ゆくて仕方がない。和紀は彼女のそばに座り直し、赤くなった頬を撫でた。
「――明日美も、俺のこと好きだろ?」
「っ、ど、して……」
ドキリとした。和紀の前どころか職場の誰の前でも決してそんな素振りは見せまいとしていたはずなのに、明日美の気持ちはすべてバレていたのだろうか。
明日美が夢だと思い込んでいた年末の告白の時に、自分も好きだと返してはいたらしいので、初めはそのせいかと考えた。けれど、それよりも前から知っていたような口調で問われ、問い糾すようなまなざしを差し向けると、和紀は得意げに口角を上げた。
「どうして分かったかって? ……俺と一緒にいる時のおまえが一番可愛いからだよ」
と、こともなげに言い放つ。
「篠原……」
「なのに明日美、おまえ外で彼氏作ってたよな? ……俺は誰ともつきあわないでおとなしくしていたのに」
「そっ、そんな理不尽な。篠原が私のことを好きでいてくれたなんて知らなかったし……。そういう態度も素振りも見せてなかったくせに、私のこと責める筋合いないじゃない。……それに、その人とはキスもしないで別れたもん」
くちびるを尖らせて抗議をする明日美に、和紀は申し訳なさげな表情で手を合わせてきた。
「ごめんごめん。ちょっとした嫉妬だと思ってくれ」
「嫉妬……してたの?」
うかがうように和紀の顔を覗き込むと、彼はばつが悪そうに頭をかいた。
「そりゃそうだろ。好きな女が他の男に手を出されたら嫉妬くらいする。本当はもっと早く告白してればよかったんだろうけど、なんていうか……男の意地みたいなのがあったから」
だから必死になって主任になったんだ――和紀はそう言葉を継いだ。
(篠原が私のことでヤキモチを妬くなんて……ほんとに?)
和紀が自分のことを好きだったなんて、思ってもみなかった。
「私……まだ酔ってるのかな。頭の中がふわふわするの」
「無理もない。俺がこんなに好きなのは明日美だけなんだから」
まだ実感が追いついてこない明日美に、和紀は堂々と言い放つ。
(あぁ……篠原らしい……)
自信に満ちていても嫌味には感じない。それはこれまでの実績や努力に裏打ちされているのを明日美は知っているから。見て取れるほどの自信家なのに切なくなるほど細やかで優しくて……そんな和紀に惹かれて止まないのだ。
「……私も、篠原のこと好き」
「……知ってる。今日、明日美がこんなに酔っ払ったのは、俺に他に彼女ができたと勘違いしたからだよな?」
「……ん」
神妙な口調で尋ねられ、素直に頷く。誤解してやけ酒したのは本当だから。
「この際だから言っておく。おまえは俺のことを誰にでも優しい男だと思ってたかもしれないけど、お菓子の好みを覚えてたり、行動を気にかけてたりしたのはこの世で一人、明日美だけだからな。……というわけで俺、新年会の帰りにちゃんと宣言してきたからな。俺の大切な彼女は明日美だって」
「え……っ」
曰く、明日美が酔い潰れた時に、彼女に気があった同期が送っていくと申し出たらしい。それを阻止するために和紀は、あっさりと二人の交際をカミングアウトした。
当然、その場にいたほぼ全員から驚愕の声が上がっていたが、和紀はそれを軽くいなして明日美をタクシーに乗せ、さっさとその場を後にしたそうだ。
『ほぼ全員』なのは、唯一、同期で和紀と一番仲のいい前嶋だけは、和紀が明日美を好きだったのを知っていたからだそうだ。
明日美が『仕事ができる男性が好き』だと言った飲み会の次の日から、あからさまに仕事に力を入れるようになったのを見て、前嶋はこう言ってきたらしい。
『篠原、おまえ……分かりやすいなぁ~』
誰にも気づかれていなかった明日美への想いを、たったそれだのことで察してしまったのだという。
「前嶋だけはほんと侮れないんだよなぁ。あいつ、俺が何も言ってないのに、明日美に彼氏ができないよう影で協力してくれてたから」
和紀がははは、と乾いた笑いを漏らした。
彼の交際宣言の時も、前嶋は『篠原やっとか! やっと斉藤に告ったのか! おっそいよ!』と呆れたように言い、他の同期に『前嶋おまえ知ってたのかよ!』と、どつかれていたそうだ。
「前嶋くんが……」
言われてみれば、前嶋は何かにつけて明日美に和紀の長所や彼がフリーであることを伝えてきた。その時は『前嶋、ほんとに篠原と仲いいんだね』としか返していなかったのだが、そういう狙いがあったとは……
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