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化け物、と余人は言う。嫌悪、羨望、畏怖に嫉妬。色々な意図を込めて、彼女はその名で呼ばれる。
「…退きなさいよ、間抜けヅラ」
彼女にとっては、上っ面だけを取り繕った輩など道端の小石にも満たない。全て蹴散らして進むのみ。
傲岸不遜、唯我独尊。眼前に立つあらゆるものを蹴り飛ばし、捩じ伏せ、頂点に君臨する。
「相っ変わらずの面の皮の厚さなこと、熊楠三星さん?」
「そっちこそ。万年二位の月神音女」
出会い頭に睨み合って、殺気を飛ばし合う。最早恒例行事、儀礼的にすら行われてさえいる、私達の日常だった。
そう、私、月神音女は一度も彼女に勝ったことがない。勉学も、スポーツも、何もかもが後塵を拝している。
それは熊楠三星が天才だからではない。私とは対照的に、あの女は全てを持っていなかった。
「今日も髪に潤いが足りないわね。私の使っているシャンプーとリンス、一箱下賜してもよろしい?」
「いらないわよ、恩着せがましい。それよか鉛筆1ダースの方がよっぽど有意義よ」
いつもの合理的、かつ慇懃無礼極まる物言い。その振る舞いを不敬とは思わない。それが彼女をたらしめているのだから。
「…熊楠さん、また月神様に…!」
「これだから貧乏人は。品性の欠片もない」
「可哀想に、まぐれで勝ったからといって、あの方より上と勘違いしているんだ」
「粗暴で、無礼で、勝つためならなんでもする薄汚い女。化け物というのも、間違いないな」
──ふと、私の足は止まる。そして、周囲に向けて、最大限の笑顔を向けながら、身に染み付いた所作を見せる。
「ごきげんよう、皆様」
私の一礼で、その場の皆々…一人を除き…は、同じように頭を90度伏せると、コーラスのように挨拶の言葉を述べる。
「はい。それと、あまり人様の事を悪く言うのは良くありませんよ?」
「え──」
「言葉には言霊が宿るものです。汚い言葉は、やがて自らの身に返って参ります。ゆめゆめ、お忘れなきよう…」
たおやかな声色で放った皆様は、揃って肩の力が抜けたような、あるいは恍惚に満ちた顔をして、その場で固まっている。
それをよそに、私と彼女はいそいそとその場を去っていく。清掃の行き届いた下駄箱前まで着くと、人気が少ないことを確かめて、どっと息を吐き、呟く。
「はぁ…クソが」
──溜め息が漏れる。先程までの白百合の如き振る舞いからは想像できないだろう、ゴミ箱に向けて吐き捨てるような一言だった。
その呟きを聞いていた三星が、先程とはうって変わった態度のギャップに耐えかね、思わず吹き出していた。
…相変わらず、私の周りには耳障りな雑音が犇めく。上っ面だけしか見ていない、その狭い視野で全てを知っている風なことを宣う。
「今の呟きを聞いていたら、あいつら泡吹いて倒れるかもな」
三星の悪魔の囁きを無視しつつも、その光景を思い浮かべると、おかしくなって笑みが溢れる。
「──そうね、見物だわ」
化け物と呼ばれた彼女と一緒に、私は底意地の悪い笑みを浮かべていた。
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