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94.宿泊施設にて①(怖さレベル:★★★)
(怖さレベル:★★★:旧2ch 洒落怖くらいの話)
オレ、仕事の関係でけっこうあちこち出張にいくんですよ。
だいたいは予約サイトをはしごしたり、
電話で空きを確認すればどうにかなるんですが、
繁忙期だとかで、それでも無理な時はあるわけで。
そうすると、もうどうしようもなくなって、
ある一つの選択肢を選ばざるを得なくなるわけです。
……そう、一人ラブホ、です。
え? いやいや、これはしょうがないんですよ。
ホント、やましい気持ちなんてこれっぽっちも。
店によっちゃ、一人入店をお断りしているトコも勿論ありますけど、
店としては空室を作るよりはちょっとでも稼ぎを、ってことなんでしょう。
最近はOKなホテルも多いんですよ。
うちは会社が無理をいって出張を頼んでくるモンだから、
ホテル代は一回ごとの定額支給で、
泊まった先をアレコレ言われることもないですし。
漫画喫茶とか、そういうトコに泊まったこともありますけど、
ある程度の年齢になると、やっぱりベッドで眠りたいですし、ね。
まぁ、そんな成り行きで、そういう場所に泊まりこむのは、
決して珍しいことではなかったんです。
「……こりゃ、また」
ルームキーを通して入った部屋に、
オレは思わず目を見開きました。
正直、装飾過剰な部屋だとか、赤いスポットライトに照らされてる部屋だとか、
ひととおり奇抜な部屋には泊まっていて、今更もの珍しさなど覚えません。
ですが、今回は違った意味で、声を失いました。
「ボッロ……」
お世辞にも、キレイとはいえぬような部屋。
ラブホにはあるまじき古びたパイプベッド。
薄茶けてうっすらとヒビの入った壁紙。
照明など、ランプ型の電球が一つ切れている始末です。
「ま……寝るだけだし、仕方ないか」
女性をつれ込んでいるわけでもないし、
支給されている宿泊代の差分が浮くと思えばもうけモン。
さっさとシャワーを浴びて寝てしまおうと、
カバンをベッドの脇へと放り投げた時。
カラン……
金属を叩く、軽い音が響きました。
「……なんだ?」
カバンの中には、そんな音色の鳴るものなど入れていません。
備品かなにかにぶつかったか? と雑に置いたカバンをどかすと、
「こりゃ……なんだ?」
平たい、金属の皿。
それが床に転がっていました。
まるで、犬の食事用の皿のようなサイズ。
灰皿代わりの代物か? と拾い上げたものの、
確か全室禁煙であったはず。
となれば、いわゆるプレイ用の小物か?
と少々引きつつ、サイドテーブルの端に移動させました。
(清掃も行き届いてないのかよ、ここは……)
憂鬱な気分がさらに上乗せされたものの、
室内をグルリと見回した限り、他に違和感のあるモノはありません。
(ったく……こんなホテルでも満室とか……)
室内のこのインテリアに、前客の忘れものもそのままの状態とくれば、
もっと廃れて至っておかしくないってのに。
確かに、料金帯はここらのビジネスホテルと比べれば、
かなり格安の部類ではありましたが……。
オレは深々とため息をついて、浴室へと向かいました。
こういうホテルにありがちな、ガラス張りの浴室です。
さほど広くない部屋の大半をここに費やしたのかと思えるほどの広い湯船。
たっぷりと湯をはって、ボーッと風呂につかっていると、
ピチャン
水滴の音が、いやに耳につきました。
(……ちゃんと締めてなかったか?)
念入りにシャワーのノブを確認したものの、
キュッと深くまで絞られています。
じゃあ洗面台の方か、とそちらを見ても、
水の滴る様子はありません。
(空耳、か?)
疲労がたまっているんだろうかと、
ガリガリと耳を掻いたものの、
ピチャン、ピチャン
一定の間隔で鳴りつづける水音は、いまだ止むことはありません。
(……うす気味悪ィ)
ただでさえ、年季の入った部屋。
照明だってうす暗いし、そんな中どこからともなく
水滴音が聞こえるなど、少々……いえ、かなり不気味です。
しかし、浴室内を見回してもそれらしき音源は見当たりません。
本当に幻聴か、もしくはホテル内の配管の関係だろうと、
むりやり己を納得させていると、
ピチャン
「……あ!」
浴室と室内とを隔てる、薄ピンクの透明ガラスの向こう。
あの、サイドテーブルに置いた銀皿のところに、
天井から水が滴っているのが目に入ったのです。
(雨漏りかよ……オンボロにもほどがあるだろ!)
ホテルで雨漏りなんて、常識外れもいいところです。
天井の方を見ても、ガラス越しで少々ぼやけていますが、
水のシミらしきものが黒く広がっていました。
(ったく……寝るための部屋っつったって、限度があるぞ)
ベッドで眠っていて、上から水が落ちてきた、
なんてことになったらたまりません。
今更宿を変えるのも面倒だな、とは思いつつも、
タオルで水気をぬぐって浴室から出ると、
「……あ、れ?」
テーブルの上の銀皿には、水滴一つついていません。
それどころか、あの濡れていた天井すらもカラリと乾いています。
オレは思わず、自分のまぶたを二度、三度とこすりました。
「……んん?」
幻覚、と断定するにはあまりにもはっきりと見えた光景。
その上、ピチャン、という、まだ耳に残るあの残響。
酒に酔っていたわけでもない。
寝ぼけていたわけでもけっしてない。
すべてが気のせい、と片付けるには、
あまりにも意識がはっきりとし過ぎていました。
「…………」
風呂上りだというのに、
ドッと周囲の気温が下がったような錯覚を感じます。
なんて生々しい、まぼろし。
サイドテーブルに置かれた無機質な皿すらも、
とたんに不気味なモノのように思えてくる始末です。
オレは害虫でもつまむようにそれを指先で摘まみ上げ、
風呂場の、湯を抜いた浴槽の中へと放り込みました。
カランカラン……
乾いた金属音を上げて、皿が転がります。
あそこにあれば清掃員が気づくでしょうし、
今の一連のできごとをフロントに連絡したとしても、
タチの悪いクレームと受け取られるのが関の山。
それに、起きた事柄と言えば、水漏れの幻覚を見たというだけ。
なにか危害があるわけでもないし、
多少不自然さは残っているものの、さっさと寝て忘れてしまおう。
そう自分に言い聞かせて、
オレはむりやり布団の中へと潜り込んだのでした。
「……ん」
腹の痛みに、ふと意識が浮上しました。
キリキリと締め上げられるその苦痛に呻き、
唸り声を上げつつ身体を起こします。
「トイレ……」
じくじくと重い下半身を撫でつつ、うす暗い中、
這いずるようにユニットバスとなっている浴室へと向かいました。
ノブを回す時間すら惜しい。
慌ただしくフタを上げて、出すものを出して、ホッと一息つきました。
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