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101.公園の時計塔①(怖さレベル:★★☆)
(怖さレベル:★★☆:ふつうに怖い話)
時計塔、ってありますよね。
日本だとさほどなじみがないですけれど、
海外だとよくランドマークにされていたり、それ自体が国宝になっていたり。
北海道、でしたっけ? 日本でも、有名な場所がありますよね。
なんでも、それにまつわる奇妙な怪談もあるのだとか……。
……ええ。今回私がお話させていただくのは、
その時計塔にまつわる、ひとつの体験談なんです。
うちの地元は、人口三十万人ほどの中核都市。
昔の市長が建築会社出身だったとかで、
町中にはさまざまな建造物が作られていました。
それが観光の名所ともなっており、
そのなかで一番市民になじみがあったのが、例の時計塔だったんです。
それは、駅にいちばん近い公園の中央に存在していました。
ぐるりと周囲を噴水で囲まれた、ひときわ目を引く建造物です。
時計塔自体もりっぱなものでしたが、
文字盤にほどこされた細工は、海外の高名な技術者がてがけただとかで、
「世界にひとつしかない特別な時計」と銘打たれていました。
ときどきポストに投函される市の広報誌でも、
表紙のデザインはいつもその時計塔が飾っていた、といえば、
どれだけ市民に親しまれていたか、よくわかっていただけると思います。
そして――ここからが本題、なんですが。
私が大学の通学の為に借りていたのが、
くだんの時計塔の真横に建てられた、学生用のアパートでした。
となりに高層マンションがあるせいで日当たりが悪いものの、
駅に近くて交通の便はいい。
そのうえ前述した条件の悪さで借賃は格安。
ただでさえ安い学生用の施設だというのに、
それに輪をかけて、破格といっていいほどの家賃だったんです。
女の一人暮らしということで、私が借りたのは四階の角部屋。
ベランダに出ると、公園の木々の向こうにそびえたつ
時計塔の文字盤が、ま正面に見える位置でした。
そんなですから、
(なんだ。家のなかに時計いらないじゃん)
なんて、入居時にノンキに考えたことを覚えています。
私の実家は同じ市内のもっと山陰のほうでしたが、
幼い頃から、時計塔のことはよく知っていました。
だから、家賃が安いうえに、この景色がいつも見られるなんて
ラッキーだなぁ、とも思っていたんです。
――あの出来ごとが、起こるまでは。
あれは、大学に通い始めて、三か月ほどたったころでしょうか。
だんだんと新生活にも慣れてきて、
新しくできた友人たちとのバカ騒ぎを終え、夜遅く、帰途についたのです。
夏も間近の季節。真夜中であっても肌寒さはありません。
翌日は日曜日という気楽さもあり、
部屋に戻ってすぐ、リビングのソファにぐったりと体を投げだしました。
酒こそ飲んでいなかったものの、
カラオケにボーリングにと遊びまくったせいで、すっかり全身が疲れ切っていたんです。
布団を敷く気力もなく、とにかく仮眠代わりにひと眠りしようと、
重たくなってきたまぶたを瞬きました。
リビングのソファからは、ベランダがガラス越しによく見えて、
開きっぱなしのカーテンの間からは、夜の時計塔の姿ものぞめます。
(あー……もう、一時かあ)
眠気でかすむ視界のなか、
ぼんやりと暗闇に浮かび上がった文字盤を眺めます。
白い盤上に刻まれたローマ数字。
下がってくるまぶたの間で、ゆらゆらと踊るように文字が揺らいでいます。
薄らいでくる意識のなかに、まるでイモ虫のようにうねうねと、
長針と短針がゆっくりと動いて――、
スゥー……
まぶたがついに閉じようか、というその瞬間。
目の端に、なにかの影がよぎりました。
「あ……?」
閉じた目を、パチリと開きました。
なにか、鳥でも飛んだのだろうか?
私は首を傾げつつ、ふたたび外を眺めます。
目前にそびえるのは、いつもとなんら変わりない時計塔。
軽く周囲を見回しても、影らしきものはどこにもありません。
(なんだ……なにもないじゃん)
車のライトの反射か、もしくは野鳥か。
気にするほどのことでもないだろうと、
再びソファに背中をしずめ、生あくびをした時。
――フッ、と気づきました。
(あんなトコロに……ロープなんてあったっけ)
この町のシンボルである時計塔。
レンガ調のその造形は、雨風にさらされて、
ところどろこ苔むしたり、表面が剥がれていました。
そして、時計塔本体のある頂点。
巨大な文字盤が置かれ、長針と短針が、ゆっくりと追いかけっこをしています。
そこまでは、いつもとなんら変わりありません。
問題は、その下。
マジマジと見なければ、気づかないでしょう。
時計と塔のつなぎ目。
そこに、煉瓦にとけこむような色合いの縄らしきものが、
チラチラと揺れているのです。
「……なに、あれ」
その縄だか紐だかは、ぐるりと文字盤の周りを囲うように巻かれています。
あの高さ、そして縄というアイテム。
今朝も時計は見ましたが、あんな縄らしきモノなど
垂れ下がってはいませんでした。
その光景は、まるで――そう、
時計を支えに、首吊りの縄が垂らされているかのような――。
(え……まさか)
イヤな想像が脳内をかけ巡り、眠気がまたたく間にふきとびました。
ありえない、という思いと、
もしかして、という恐怖。
ソファから中途半端に腰を浮かせたものの、
その縄の先を見ることへの恐怖に、私は動けなくなってしまいました。
あの風にそよぐ縄の下に、人間がつながっているかもしれない。
――死体がある、かもしれない。
そう思うと、見たくないような、でも見てみたいような。
そんな好奇心と恐怖が、心の中をせめぎ合います。
あと少し、ほんの少し体を起こせば、その先が見えるでしょう。
もう少し――。
あと、少し。
あとちょっと。ベランダに近づけば、見えるのに。
極度の緊張感で、もはや金縛りのごとく体の動きを止めていると――、
ピピピ……
テーブルの上に置き去りだった、携帯端末が音を鳴らしました。
(そうだ……電話!)
万が一自殺死体があったとしたら、
即警察に連絡を入れればいいのだ。
緊張でこり固まった体をほぐすように足早に携帯をつかみ、
ぐるっとベランダに向き直ります。
「…………っ」
ジリ、ジリ、と。
一歩、一歩。
そんなことあるわけない、という呆れに似た思いと、
もしかしたら、という疑念。
心にモヤモヤと黒い恐怖が浮かぶものの、
ここで確かめずにいたら、きっと眠ることはできないでしょう。
ならばきっと――同じこと。
ごくり、とだ液をのみ込みつつ、慎重に歩を進めます。
「…………」
あと、一歩。
その一歩で、時計塔のロープの先が、見える。
「……あ?」
一歩。
思いきり踏み出した、その先。
視線が文字盤から縄を伝って、その先端へ。
風に揺らめくその先には――なにもありません。
そう、なにも。
ただ、一本の古ぼけたロープが、ただ風にあおられている、だけ。
「……なんだあ」
がっかりしたような、安堵のような、
なんともいえないため息がこぼれました。
ビクビクと怯えていたのが、こっけいに思えてきます。
苦笑いしつつ室内にとって帰り、
私はゆっくりと腕を広げて伸びをしました。
ピピピ……
と、手の中の携帯電話が、ふたたび音を鳴らしました。
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