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「はい、こちら……警察です」
抑揚のない声で受付が答える。
そんな冷静に対応しなくてもいいじゃない。警察に電話するときは緊急なのに!
文句ばかりが花奈の頭に浮かぶ。
スマホをもつ花奈の手は小刻みに震えていた。
「た、助けてください。頭が口の女に追いかけられているんです」
「はあ」
受付はさほど驚いたような声では答えなかった。
「い、急いでいるんです。ほんとなんです。た、助けて」
花奈が慌てて付け足した。
「先日はお電話ありがとうございます。その後は口裂け女は追いかけてきませんか?」
受付は全く動揺せず、淡々と質問する。
「はい、大丈夫です……でも……いまは頭がパカって口になっている……ほんとうに、後頭部が口になってるんです。くちに! 後頭部が口になった女の人に追いかけられているんです」
花奈が一生懸命言えば言うほど、空虚に響く。
「はい、少々お待ちください。バケモノ課……相談支援課に代わります」
受付は手慣れたようにそういうと、能天気な音楽がスマホから流れてきた。
花奈は「早く、早く」とつぶやいた。
花奈があたりを見回すと、やはり誰もいなくなっていた。大通りもビルの中にも誰一人いない。コーヒーショップの店員もいなくなっている。
ヤバいな……。
こういうふうになるということは……、非常にまずい。
花奈はつぶやいた。
スマホでここにまた電話ができたのは、運命なんだろうか。
口裂け女に追いかけられたときに電話をしたけれど、相談支援課の通話履歴はなくなっていた……それなのに……。さっき困って電話しようとしたとき、相談支援課の番号がスマホの通話履歴に残っていた。
なんか不思議……。
花奈はぶるっと寒気がした。
なんとなく……なんとなくあの女の人が近づいているような気がした。
「はい、こちら、バケモノ……相談支援課です」
「あ、あの……きょうは頭が口になっている女の人に追いかけられていて……」
「そうですか! まだ……つかまってませんか?」
明るく言う担当者の言葉に花奈はむっとした。
「まだ捕まってませんけど」
「よかったですねえ……彼女もそうとう足が速いんですよ。運がいい! これもまた運命でしょうかね……」
「いいから、どうしたらいいのか教えてください」
「そうですね……わたし綺麗?って聞かれましたか?」
「はい……歩いていたら、いきなり知らない女の人にわたし綺麗?って聞かれて……ヤバい人だったらヤバいなって思って……とりあえず、き、きれいと答えたんです」
「よかったですねえ。そこでブスとかいうと、後ろの口でたべられちゃうらしいんですよ」
花奈はぞっとした。
「それで……これでも?って、あの方、言いませんでしたか?」
「あ、言ってました。そうしたら……くるっと後ろ向きになって……頭の後頭部に突然口が見えて、その口が開いたんです……もう怖くなって、わたし……ダッシュしたんです」
花奈は相談支援課の担当者に訴えた。
「それで……後ろ向きで追いかけてきましたか?」
「そうなんです。サカサカサカって後ろ向きで……すごいスピードなんです。人間じゃないみたい……」
「そうなんですよ。あれはニンゲンじゃないんですよ」
担当者が楽しそうに説明する。
花奈は我が耳を疑った。
人が死にそうになっているっていうのに……
花奈が担当者に怒ろうとすると、
「よく逃げられましたね」
担当者は「すごいですね」と褒めた。
「それは……もう……怖いですから」
花奈は褒められて奇妙な気持ちになった。
スマホから書類をめくっているような音が聞こえた。
「この方はですね、二口女ですね。ええっと、古典に出てくる妖怪の方とはちょっと違っているんですよ。後ろに口があるってことはいっしょなんですけど……」
「あ、あの……なんか、来たみたいなんです!」
「そうなんですか」
「は、早く……た、助けて……」
花奈が担当者を急かす。
「リキッドっていってください」
「はあ?」
「いいですか? つかまりそうになったら、リキッドですよ」
担当者は力強くいう。
――リキッドって何よ。リキッドって。
花奈は思ったが、聞いている暇はない。
髪を振り乱し、後頭部の口が丸見えになった二口女が大通りを渡っている。
「あああああ、なんか後ろ向きになって、こちらに向かってきます。ど、どうしよう。こ、怖い……」
「いいですか? リキッドですよ、三回ね」
「き、来た!」
女の後頭部の口がさらに大きく開き、舌が生き物のようにニョロッと動いた。唾液でつややかに光っている。
あと少しで来ると思ったときには、花奈の目の前までやってきてきて、二口女のロングの髪が花奈の頬をなでた。
二口女の後頭部の大きな赤い口が花奈の顔に迫ってきた。
――もう、だめ!
花奈は目をギュッとつぶった。
「り、リキッド、リキッド、リキッド!!!」
花奈は二口女に向かって叫んだ。
花奈は腰が抜けたようで、地べたに座り込んだ。
「もしもし? もしもし?」
担当者が花奈に呼びかける。
花奈は恐怖からちょっとずつ日常が戻ってきたのを感じた。
「もしもし? だいじょうぶですか?」
少しずつ花奈は目を開く。スマホからは担当者の心配そうな声が漏れてくる。
二口女はもういなくなっていた。
大通りには車が走る音がして、人の行き交う足音が響いているのが聞こえた。
花奈はホッとした。
「は、はい。大丈夫です」
「よかった……この現代の二口女はですね、口裂け女と似ているんですよ。古典の二口女は後頭部の傷が口になって、おしゃべりをしたり、食べたりしていたんですけどね……」
「はあ」
「それでですね、口裂け女の時はポマードだったじゃないですか。こちらはリキッドなんですよ。おそらくリキッドタイプの整髪料なんでしょうかね。興味深いですよね」
担当者は興奮しているようだ。
花奈は黙って聞いていたが、だんだんどうして自分だけがこんな目に合わなくてはいけないのかと思いはじめた。
「はあ。もうこんなの、いやあ」
思わず考えていたことが口に出る。
「そうですよね。お気持ちはよくわかります……また何かありましたら、境界警察現代怪異相談支援課まで、通称バケモノ課までご連絡ください」
「はあ。わかりました。そのときはまた……」
またはなしで、もうかけたくないなと花奈は思う。
「はい、どうやらあなたはこちらに近い方ようなので、またご連絡をいただくかと思います」
担当者がかすかに笑ったように聞こえた。
花奈はぞっとする。
「え? どういうことですか」
花奈がさらに聞こうとすると、電話はすでに切られたあとだった。
花奈は震える体を自分で抱きしめた。
太陽の光が暖かい……。
花奈はのろのろと立ち上がった。
境界警察現代怪異相談支援課か……これ以上お近づきになりたくないな。もう電話なんかしたくないし……どこかで厄除けとかできないんだろうか。
花奈は真剣に考え始めた。
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