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第10話
Side:S
俺には【彼氏】がいる。
しかも【笑顔が超絶可愛い】という枕詞のつく彼氏だ。とは言っても派手な容姿ではないから、うちの大学の中では目立たない方だと思う。同じ学年・学科でありながら、一之瀬の存在を知ったのは二年生になったからだったから。
初めてその姿を認識したのは学食で。たまたま斜め前に座ったのだが、焼豚チャーハンを頬張って「おいしー」と満足そうに呟いた時の満面の笑みがとにかく可愛くて、一目惚れしてしまった。
――というのは一之瀬向けの【建前】だったりする。
本当は、俺が昔から愛読して止まない少年向け冒険小説【サイバータウンハンター】に登場する主人公に、一之瀬がそっくりだったことがきっかけだ。
チャーハンを旨そうに食べている一之瀬を見て、思わず「ひぃくん……」と、主人公ヒカルのニックネームを呟いてしまったくらいだ。奇しくも一之瀬の名前も【陽向】で、俺は時々こっそりと一之瀬のことをひぃくんと呼んでいた。
【サイハン】のヒカルは好奇心旺盛で興味を持ったことには首を突っ込まずにはいられない、ちょっとしたトラブルメーカーだ。でも正義感と思いやりを持った愛すべき主人公で、みんなから頼りにもされている。そして何より笑顔が最高に可愛いという設定だ。仲間のマイコからも「ひぃくんの笑顔って超可愛いよね!」と言われるシーンがあるのだが、アニメ版【サイハン】におけるそのシーンのヒカルの笑顔と、一之瀬が学食で見せた笑顔が本当によく似ていたのだ。いや、むしろ一之瀬の笑顔の方がきらきらと輝いていたくらいだ。
リアルひぃくんの笑顔は本当に本当に可愛くて――俺は何故か一瞬にして恋に落ちてしまった。
一之瀬も含めた俺の周囲の人間は、俺が芸能人やモデルのようにカッコよく洗練されており、数多くの友人を持ち、さらには女の扱いにも長けている超リア充だと思っているらしい。が、
そ れ は 大 き な 間 違 い だ。
確かに、見た目だけは神様に超愛されて生まれてきたと自負している。でも実際の俺はただのオタクだ。【サイハン】オタクで【プログラミング】オタク。
それも性格も口も悪いクソオタク。
そもそも芸能人やモデルみたいな本当のリア充が、スマートフォンのアプリやゲームを量産して会社を立ち上げたりなんてしないだろ。
ただ、リア充を自称する姉が二人もいるせいか、昔から見た目や処世術だけは磨かれて育ってきただけだ。
「椎名! あんたルックスだけは超絶ハイスペックなんだから、身だしなみはちゃんとしなさいよね! オタクファッションなんてしたら絶対許さないんだから!」
と、中学生の頃から洋服選びや髪型の維持は食事や歯磨きの如く叩きこまれてきた。猫背だったのもスパルタ矯正させられた。コミュニケーションスキルも、姉が猫を被ることを強制してくれたお陰で表面上は一般人風を保てていると思う。
そういう涙ぐましい努力で、一見するとリア充に見えるようにはなっている。上辺だけで女の子が山ほど寄って来るので、過去には彼女もいた。
でも本来の俺とはだいぶかけ離れていると……思う。正直、そんな周囲を騙し続ける日々の生活に少々疲れていた。
そんな中、俺は一服の清涼剤の如き一之瀬と出逢ったんだ。
「あぁ……今日もひぃくんクッソカワ……!」
豚肉の生姜焼きを食べる一之瀬の笑顔はきらっきらしている。この世で一番【可愛い】という言葉が似合っていると言っても過言じゃない。見た目は女の子っぽくはないが、目は大きいしまつ毛も長そうだ。あぁ目の前で俺を見上げてほしい。きっとぞくぞくするくらい可愛いに違いない。
俺は今までヒカルを俺の嫁扱いしたこともないし、性的な目で見たことも当然ない。何てったってヒカルは男だし。そもそも俺は【サイバータウンハンター】にキャラ萌えを求めたことは一度たりともない。
それなのに、ヒカルに似てる一之瀬を好きになってしまった。そして知れば知るほど一之瀬を好きになっていく自分がいた。
本人は自分の身長を一七〇センチと公言しているが、本当は一六八だということ。少しサバを読んじゃうところが超可愛いだろ!
無類のシロクマ好きで、部屋にはシロクマグッズが溢れているということ。これは友人のツテで探りを入れて得た情報だ。大きなシロクマのぬいぐるみを抱きしめる一之瀬を勝手に想像したら、鼻血が出そうになった。
おまけに一之瀬は性格までいい。この間参加した飲み会で、偶然にも一之瀬たちの飲み会グループと遭遇したのだが、飲み過ぎてトイレで吐いていた友達を親身になって介抱していた。自分が汚れるのも厭わず、水を飲ませたり背中を擦ったり。相手は何度も謝っていたけど、一之瀬は嫌な顔一つせず「俺のことは気にしなくていいから。ほら、全部出しちゃえ。この後送ってってやるから、な」と、にこにこ笑っていた。しかもその友達が汚したトイレを、最後自らきれいにしてから出て行ったんだ。
天使は居酒屋に存在した……!
完全に俺は一之瀬に堕ちた。
きっかけはヒカルだったけど、今ではそんなこと関係なしに一之瀬が好きだ。好きになると笑顔だけじゃなく、普段のしぐさも可愛く見えてくるから不思議だ。
今も食事を終えた一之瀬が友達と談笑しながら紙ナプキンをいじっている。その姿がもう……クソカワにもほどがあるだろ!
俺はミートソーススパゲティをフォークで巻き取りながら、うっとりと一之瀬に見とれていた。
「椎名ってほんと、残念なイケメンとしか言いようがないわ」
隣の席で俺を鼻で笑うのは、従姉の緑川明日華だ。明日華は去年この大学のミスコンで女王に選ばれた。まぁ俺の親戚だけあってかなりのレベルの美人ではある。俺にはどうでもいいことだけど。……いや、どうでもよくはない、か。ちゃんと恩恵は受けているから。
俺と明日華は特に学内で親戚だと公言していないので、俺たちを恋人同士だと思っている学生は多い。俺としてはその方が楽だからあえて否定も肯定もしていない。明日華くらいの女がそばにいると、他の女がなかなか寄って来ないし。明日華も俺を男避けとして使っているようだからお互い様というわけだ。
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