第4話

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第4話

「陽向、泣くなよ」 「え……」  隣にいた友達の智明(ともあき)に指摘されるまで、自分が泣いていたことに気づかなかった。触ってみると、俺の頬には涙の筋が出来ていた。  智明は高校時代からの心の友だ。俺と椎名がつきあっていることを知っている唯一の友達でもある。俺たちのことを気色悪がることもなく応援してくれていたけれど、最近椎名が俺にそっけなくなっていることにもしっかり気づいていたらしい。 「八神、あいつロクでもねぇな。信じらんねぇ」  智明が俺の代わりに怒ってくれているようだ。その気持ちが嬉しくて、思わず智明の肩に顔を埋めてしまった。 「泣くのはいいけど鼻水つけんなよー」  そう言い、智明は俺の頭を撫でてくれた。 「もしついたらごめんー」  念のため謝ると、ふは、と笑い声が聞こえた。 「俺はお前のゲロ片づけたこともあるもんなぁ。今さら鼻水でガタガタ言うこともないか」  おいおい今それを言うか。実は高校一年の冬、俺はノロウィルスに感染し、不覚にも学校で吐いてしまったことがあった。その時、智明は俺が吐いたものを嫌がらずに片づけてくれたのだ。そして見事にこいつも罹患した。  それ以来、俺は智明に頭が上がらないし、心の友と呼ぶようになった。  顔を上げて涙を拭きながら、 「やっぱおまえは俺の心の友だわ」  と鼻を摘んでやると、 「陽向のものは俺のもの~、俺のものは俺のもの~」  智明が俺にチョークスリーパーをしかけてきた。 「ちょっ、ギブギブ! ジャイアニズム反対!」  俺の首に回った腕をぺしぺし叩く。すぐに腕は解かれた……が、今度は俺の腕が後ろに力一杯引かれた。 「わっ」  どん、と音を立てた俺の背中。誰かの胸に背中を預ける形で抱き留められた。 「何、上原(うえはら)とべたべたしてんの?」  そこには苦い顔をした椎名がいた。  どうしてここにいる?  わけが分からず、されるがままになっていると。 「はぁ? それはこっちの台詞だっつーの。テメーこそ女といちゃついてんだろ? 陽向ほっといてよ。いいよなぁ、モテるお方はぁ。女も選り取りみどりちゃんでぇ。俺もあやかりたいっすわー」  ちょっと柄が悪いんじゃないの? 智明さん。俺を思っての発言(いやみ)だと分かってても怖いってば。 「いちゃついてなんかない」 「陽向ないがしろにして女といるんだから一緒だっつーの。イ・ケ・メ・ン・さん」  心底馬鹿にしたような智明の嘲笑は、正直きっつい。元々目つききつめのイケメンよりだから余計にだ。 「智明、もういいよ。ありがと」  そう言って俺は椎名の腕をはがして距離を取る。 「女の方がよくなったんなら、その方がいい。それが正常だよ……別れよ、しい……八神」  後腐れないよう、笑って言った。そして、走った。涙混じりだったのを見られたくなかった……いや、多分見られたけど。女々しいとか思われたかな。  あ~、思ってたより、俺、あいつのこと好きだったみたいだ。ショックで足がもつれそうだし。  椎名が俺以外の人といちゃいちゃするのなんてこれ以上見たくない。だから逃げる。情けないけど逃げる。でも普段運動をしないからすぐに息が上がってしまった。人気のない校舎脇で立ち止まり、壁に手をついて呼吸を整える。 「はぁ……はぁ……だ、からイケメンは……タチ悪ぃんだよ……」  さっきは仕方ないだ何だと言い聞かせてはみたけど……だけど、散々好きにさせといてこの仕打ちはないだろ、って正直思うんだ。出来ることなら一発くらいあのきれいなご尊顔殴ってやりてぇ……。  まぁ、そんなことしたら学部中の女子を敵に回しちゃうんだろうけど。  あぁあああああ、どうしてあんな超絶ハイスペックイケメンを好きになっちゃったんだ俺! どうして告られた時に断らなかったんだ俺! あんな美形に告られて浮かれてその気になってOKしちゃって、ケツまで差し出した俺はバカだ……真性のバカだ。  そう後悔してみても後の祭りだけど。  しゃがみこんで頭を掻きむしる。その時、後ろから足音が聞こえた。 「陽向……!」  俺を追って来たのか、すぐ後ろに椎名が立っていた。今まで俺を避けまくっていたくせに、何故今来る? 智明にあんなこと言われて気でも悪くしたのか? だったら智明に言ってくれよ。俺のとこなんか来んな。  俺は立ち上がり、冷えた目で椎名を一瞥した。 「何? もう別れたんだから追いかけて来ないでくれる? キモイんだけど」  自分でも極力感情を込めずに言ったつもりだったけど、思いのほか冷たい声が出た。やだ俺って意外と演技上手いわ……俳優になれるかも。俺の顔じゃいいとこ名脇役、って感じだけど。 「……っ、」  椎名は息を呑んだ後くちびるを噛み、そして俺の腕を掴んだ。逃がすまいとしているのか。 「離せ。俺に触るな」  腕を振りほどこうとしたけれど、椎名の方が強いので適わない。それどころか、掴む力がますます強くなる。 「嫌だ……絶対離さない……別れない。愛してるんだ、陽向」 「はっ……今さら何だよ。白々しいんだよ……八神」  カッとして今度こそその腕を振り払った。椎名は傷ついた表情で俺を見た。何だよその目は。傷ついたのは俺の方だというのに。 「八神なんてよそよそしい呼び方しないで、陽向」 「は? よそよそしくし始めたのはおまえからだろ? 俺とセックスして後悔したくせに。やっぱり女の方がいい、って思ったんだろ?」 「違う!」 「じゃあどうして、俺に触らなくなった? 誘いを断り続けた? しばらく会わないなんて言い出した? 納得出来る理由、説明出来るのか?」  あーやばい。また涙出て来た。それをごまかすように、涙目で椎名を睨めつけた。 「……っ、」  突然、椎名が俺を抱き寄せた。そして、くちづけが降ってきた。間髪入れず舌を差し込まれてびっくりした俺は、身動きが取れなかった。こんな真っ昼間の大学構内にはふさわしくない、ねっとりといやらしい音が響く。
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