蛍の光

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ああ。  私は昔からこうだ。小学校の頃だっただろうか。体育の授業での縄跳びを思い出す。二人が縄を回し、そこに一列に並ばされた。一人ずつ、回っている縄に飛び込み、三回飛んだらまた飛び出す。これを教師がいいと言われるまで繰り返す授業。私にとっては拷問だった。  タンッタンッと目の前で叩きつけられる縄に飛び込むことは皆が思っているほど簡単なことではない。ギロチンのように降ってくる縄を見送ったら気持ちを落ち着かせなければならない。しかし、落ち着いたころには既に縄はてっぺんを通り越し、こっちにせり出して私を威嚇し始める訳だ。  縄に当たったところでそんなに痛くはないだろうという人がいるかもしれない。しかしそれは、経験がない人の意見だ。全員が見ている中、失敗すれば出来るまでやり直させられる。確かに縄自体は痛くないのかもしれない。ただ、体に当たった縄は、見ている皆の小さなため息を吸って重くのしかかる。体全体を包むねばついた汗や、顔の真ん中あたりから熱い何かがこみ上げるのに耐えながら、飛べもしない縄に合わせて無意味に体を揺らすしかできない私には、その痛みは心を折るのに十分だ。そうしてなかなか入れないと私の遅れが全体の遅れになる。全体が遅れたところで他の皆は休めていいはずなのに、後ろからは苛立(いらだ)ちが手の形をして、じりじりと私の背中を押してくるのだ。  おばあさんは、今度は手すりに手をのせてみた。すると、急に遠くへと引っ張られそうになり、慌てて後ろに倒れこむように安全地帯へ戻ってきてしまう。バランスをとる自信がないから、無意識に、動かない地面にしがみつく。前に踏み出そうと体を動かすのに、その覚悟がまだ整っていないのだろう。 「考え過ぎ」「間が悪い」「のろま」  昔から色々な言われ方をしたこれは、当然交友関係にも影を落としてきた。とはいえ、不思議と、私はそこまで嫌われ者というわけではなかった。ほどほどに仲の良い人は何人もいた。それでも、私は誰の一番にもなれたためしがない。  修学旅行の班決め、好きな人と五人班を作れと言われた。友達が五人以上いた私は、とっさに、誰に声をかければ迷惑にならないか考えた。「一緒の班になろう。」この言葉を自分から言うのにはかなりの覚悟がいる。この言葉を言われて拒否するのはさらに勇気のいる事だから、よほど私を嫌いな人でなければ、しぶしぶ了承してくれるだろう。しかし、それによって、言われたその子の選択肢は一気に狭められてしまう。その子はその瞬間から、私が入った五人班のうちの最善を目指さなければならなくなるのだから。この心配がないのは、その子の一番望む五人班に私が含まれている場合だけだ。そんなことを思ってくれている奇特(きとく)な子などいるのだろうか。  ここまでにかかった時間はそう長くはなかったと思う。せいぜい十数秒。それでも、周りを見渡すと、既に大体の人が四人組や六人組、三人組に分かれている。一人でいるのは私ともう一人くらいだ。三人組の方に歩き出すと、どこから来たのか二人組がそこに合流する。振り返って四人組の方を見ると、ちょうど隣にあった六人組からあぶれた一人で埋まったところだ。そうこうしているうちに、私はみるみる行き場所を失い、あまり話したこともない心優しい子が班に受け入れてくれるのを待つ羽目になる。  この間の悪さのせいなのだろうか。私の周りはいつも奇数になる。必ず私が余るのだ。四人で歩いていても、気が付けば三人が楽し気に前を歩いている。彼らには私を孤立させる気などみじんもない。それでも、私は余りになってしまう。時々、それに気が付いた優しい子が歩みを緩め、私と並んで歩いてくれたりする。しかし、私は決まってこのチャンスをふいにしてしまうのだ。その気遣(きづか)いが嬉しくて、申し訳なくて(みじ)めで、汚く混ざった感情を落ち着ける頃にはもうずいぶんと時間が経っていて。それからやっと私は焦って話す内容を探すけれど、その子は私を待ちきれずに大きめの声を上げ、前の二人の話に相槌(あいづち)を打ち始める。  こうして昔の事を思い出すとどうもその時の(みじ)めさが体いっぱいに行き渡ってしまう。そして、体の隅々まで広がった(よど)んだ(うみ)が集まってきて上へ上へと上ってくる。いつ、どこだか覚えてもいない狭い歩道に並ぶ三人の友人の背中がぐにゃりとゆがみ、灰色の絵の具になって目から(こぼ)れ落ちた。  何をやっているんだ私は。みっともない。私は急いで涙をぬぐった。  泣かない。これは私が持つ唯一の意地と言ってもよい。泣くという行為は、周りに何かをされたと告発する行為だ。私の状況は私の責任でなっているもの、いわば私の趣味みたいなものなのだ。それを、涙を(こぼ)して状況のせいにするなどあってはならない。  しかしその思いとは裏腹に、一度流れ始めた涙は、閉まりきらない蛇口のようにまた一粒、また一粒と(まぶた)の奥からころころと(あふ)れ出る。右側を行く人々、左側を向かってくる人々に見られないように必死に腕で目を隠し、声や肩を殺して、止まれ、止まれと頭の中で叫び続けた。涙腺を引き締めるようにこわばらせた全身には、周囲の(いぶか)し気な視線が次々に刺さっては消えていった。
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