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 日曜日の笹辺家に、文昭と忍が到着したのは十時半過ぎだった。いったいどちらが寝坊したかはわかりきっているため、玄関で出迎えた達哉は確かめもせずに文昭の頭を小突いた。 「……言っておくが、他の奴らは十時五分前には来ていた」 「悪かったって。これ、ジュース差し入れな」  差し出されたコンビニの袋を受け取り、達哉は二人をリビングに通した。すでに集まっていたメンバーの輪にまざり、さっそく次期生徒会役員の選定に入る。  合計6人の生徒会メンバーのうち、二年と三年の割合は半々だ。三年生が達哉・忍・文昭の三人で、二年は書記の佐藤、会計の小泉と竹村。この一年、多くの時間を共有してきた仲間である。 「投票結果を尊重すると、会長は2Cの坂口ってことになるけど……本人、やらないって言ってるからな」 「副会長は、投票どおりで問題ないですよね。教員側も推してるし……評判いいですよ、こいつ」  投票結果のデータを指し示し、小泉が言う。達哉は頷いて、その用紙を取り上げた。  1E、東條恭臣。成績も素行も極めて優秀な生徒らしく、教員側の出したリストにも名前が上がっている。 「そうだな。……悪くない」  うまく育てば、来々期の会長を任せてもいい素材だろう。そう言って頷き、ふと視線を上げた途端、こちらを見ている文昭の複雑な視線とぶつかって、達哉は眉をひそめた。 「……どうした、五十嵐。何か問題あるか?」 「問題っていうか……」  文昭は言葉を濁して、隣の忍に視線を流す。わけがわからず達哉が首を傾げると、忍は何でもないよと軽く受け流し、肩をすくめた。  食事休憩を差し挟み、自宅会議は夕方まで続けられた。とは言え、三時を過ぎたころにはほとんど候補も絞られ、終盤は会議というよりもほとんど打ち上げパーティーの様相を呈していた。 「……あれ。ピアノ?」  文昭の差し入れたジュースを飲みながら、ふと佐藤が呟いた。達哉は顔を上げ、耳を澄ます。話し声に交じって、かすかなピアノの旋律が聴こえていた。  ショパンのプレリュード…28-23。この弾き方なら弟の悠哉だろうと、達哉は言った。家屋の一角に設けられた練習室は防音になっているのだが、どうしても多少は音が漏れる。 「弟さん? ……うまいな」  感心したように、忍が言った。達哉は肩をすくめる。 「母親が、ピアノを教えてるからな。小さい頃からやらされてる」 「もしかして、おまえも弾けたりするんだ?」  文昭が、からかうように聞いてくる。達哉は苦笑して首を振った。 「オレは、中一でやめたよ。弟の方が上手くなったから」  一番になれないものから手を引く癖は、昔からだ。達哉は何でもできると思われがちだが、実際のところは、上手くできないことを避けて立ち回っているだけに過ぎない。  やがて、ピアノの演奏がとまった。ほどなく、廊下をすたすたと歩く軽い足音がして、リビングと隣り合わせのキッチンへ、達哉の弟が姿を見せる。  達哉よりやや線の細い印象の悠哉は、リビングからの視線が自分に注がれていることに気付くと、ちょっとびっくりしたように目を瞬かせ、それから小さく会釈をして、そのまま飲み物を手にして廊下へ出て行った。 「……あーらら。可愛い。会長に似ず、おとなしそうですね」  クッションを引き寄せて呟いた竹村の台詞に、達哉は眉をひそめた。 「似ず……?」 「今、いくつですか? うちの高校受けるの?」  矢継ぎ早に聞かれ、達哉は首を傾げる。 「中二。いちおう、志望校は清鳳らしいけど……まだ、先の話だろう」  自宅会議がお開きになったのは、結局その日の六時過ぎだった。解散後、自室で候補者リストの見直しをしていた達哉は、その時になってようやく、文昭が昼間、困惑した表情を浮かべていた理由に気づいた。  次期副会長に選ばれた1Eの東條の所属が……弓道部、だったのだ。 『忍が、弓道部の一年にちょっかい出されてるって話、聞いてるか?』  二日前の文昭の台詞を、達哉は思い出していた。噛まれたと言って苦笑していた忍の首筋の白さが、ふと脳裏によみがえる。  おそらく、次期副会長に選ばれた東條という生徒が、その問題の弓道部員なのだろう。あらかじめ気づいていれば、候補から外すこともできたのだが……今更、達哉の一存でどうこうできる問題でもない。  現副会長である忍と、次期副会長になる東條は、否応なく接点を持つことになる。東條が忍に対して何か特別な感情を抱いているのだとしたら、それが面倒な事態になるだろうことは容易に予測できた。  だが、反対しなかったのは忍だ。それにどう考えても、東條が適任であることは明らかなのだ。そう結論づけて、達哉は書類を投げ出した。  自分には、関係のないことだ。そう思った。
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