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 渡り廊下で、例の弓道部員らしき生徒と話している忍を達哉が見かけたのは、その翌日の放課後のことだ。  忍の姿を見つけ、射場を抜けて来たのだろう。胴衣と袴をつけたままの格好で、しきりに忍に話しかけている。  一年にしては背の高い生徒で、達哉と同じくらい上背のある忍と、それほど身長差はなさそうだった。  あれが東條か、と何となく思いつつ、達哉はそのまま二人の横を通り過ぎた。  自分には関係ない。そう思いつつも、達哉は校舎に入る前に、もう一度そちらのほうを振り返る。……忍が、東條に腕を掴まれて、ちょっと困った顔でそれを押し戻しているのが視界に入った。  馬鹿か、と思いながら、達哉は気づいたら渡り廊下を引き返し、東條が掴んでいた忍の腕を、横からさらっていた。 「ちょっ……笹、辺?」  ぎょっとしたように見上げてくる忍を無視して、悪いけど会議があるからとだけ東條に断ると、達哉は忍の腕を引いたまま校舎の中まで連れて行く。 「馬鹿か、おまえは。嫌だったら、ちゃんと突き放せ。曖昧な態度を取れば、向こうは期待するだろう」  掴んでいた腕をはなし、厳しい口調で達哉がそう言うと、忍は俯いて唇を噛んだ。 「……そんな、簡単なことでもないんだよ」  吐き捨てるような口調でそんな答えを返され、達哉は首を傾げる。  不意をつかれたような達哉の表情を目にとめると、忍は諦めたように苦笑してみせた。 「おまえが言うほど、簡単に割り切れることじゃないんだ。たぶん、おまえには……わからないだろうけど」  達哉はムッとして、拳で壁を叩いた。 「確かに、わからないな。……おまえは、あの一年を焦らしてるだけだ。その気がないなら、きっぱり言ってやるのが親切ってものだろう」 「だから……そういうものでも、ないんだ。気持ちを否定されれば、誰だって、傷つく。それがどんなに辛いことかわかってたら……簡単に、突き放すなんてできない」  届かない気持ち。振り返らない相手。目を逸らされる辛さ。……そういう気持ちを、きっと達哉は知らないのだ。だからこそ、必要ないと思うものを、迷わずに斬って捨てることが達哉にはできる。  思わず深いため息をつきながら、忍はそう考えた。おそらくそれは達哉の強みであり、同時に弱みでもある。 「……笹辺が言うことは、たぶん、いつでも正しいよ。でも……正しいことが、誰にとっても一番いい道だとは限らない。時間とか……回り道が、必要な時もある。無理やり正解を出せば……お互いに、傷が残ることだって、あるんだ」 「これ以上、あいつにかかわってたら……傷つけられるのは、おまえの方だろう」 「それでも。……簡単には、振り払えない」  どうして、東條じゃ駄目なのか。きちんとした答えを忍自身が見つけるまでは……ただ闇雲に否定したところで、相手を傷つけるだけなのだとわかっていた。そして、そうやって受けた傷が、どれほどの痛みをもたらすかさえも、忍は知っていたのだ。  射るように見つめてくる忍のまっすぐな視線を、達哉は受け止めた。 どうして忍が、責めるような目で自分を見るのかがわからない。自分は何か間違ったことを言ってるだろうか。そう考えてみても、やはりわからない。  苛立って、達哉は手を伸ばして忍の襟を掴んだ。力任せに引き寄せると、達哉の手のひらの下で、決して華奢ではない、けれど何ひとつ無駄のない細い体が一瞬だけ強ばった。 「なら……同情するくらいなら……焦らすくらいなら、あいつと寝てやればいい。突き放せないなら、受け入れてやれよ。あいつが、気の毒だ」  達哉が言い放った途端、忍の平手が左頬に飛んで来た。一瞬意識が飛んで、我に返ったときにはもう、忍は達哉の前から走りだしていた。  ……おまえには、わからない。そう言った忍の言葉が、耳鳴りのように頭に響いた。  気持ちを否定される辛さ? ……確かに、わからない。そう思って、達哉は苦笑した。  そんな辛さを味わわないように……今まで、自分は、道を選んで来たのだから。
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