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「すごい騒ぎだぞ。会長と副会長が、殴り合いの大ゲンカをしたって」  そう言いながら、なぜか楽しそうに生徒会室に駆け込んで来た文昭に、達哉はきつい眼差しを向けた。 「……馬鹿言うな、何が殴り合いだ。殴られたのは、オレだけだ」  張られた頬が、まだ痛い。 「天下の笹辺会長を殴れるなんて、忍くらいだな。……で、何があった?」  達哉の隣の椅子を引き、興味津々といった眼差しで文昭が聞いてくる。達哉は頭を抱えた。 「……ちょっとオレもまだ、混乱してて」  うまくは説明できない。ただ、自分がしょうもない暴言を吐いて殴られたのだということは覚えていた。  忍が人を殴るなんて、よほどのことだ。心は強いが、基本的には穏やかな性分なのだ。 『あいつと、寝てやればいい』  達哉がそう言った途端、一瞬、泣いているのかと思うほど冴えた、忍の瞳の色を思い出す。 「なあ。おまえさ……」 達哉は迷いながら、文昭に問いかけた。 「牧瀬と、寝たことあるか?」  聞かれた文昭は、ぎょっとしたように目を見開いた。  達哉が聞いているのが、修学旅行で大部屋が一緒だったとか、そういう微笑ましい種類の質問でないことはわかった。 ぎくしゃくと頬杖を解いて、文昭は首を傾けた。 「ないよ。……そんなこと、気にしてたのか?」  文昭と忍は、ただの友人だ。出身中学が同じだから単に気心が知れているだけで……それ以上でも、以下でもない。 「……あいつは、そんな奴じゃないよ」  文昭は静かにそう言った。達哉はデスクの上に顔を伏せ、頭を抱えたままだ。 「そりゃあ、この男子校で、あの顔だから……この二年半で、いろいろあったろうけど。……そんなに簡単に、自分を売ったりしない。おまえにも、わかるはずだ」 「でも……東條とは、寝るかもしれない」  達哉は言った。自嘲するような笑みが、唇からこぼれた。どうしてか、体に力が入らない。 「……オレが、そうしろって言ったんだ。突き放せないなら、寝てやれって」 「それが、大ゲンカの原因か」  文昭は軽くため息をついた。 「……おまえ、なんで自分がそんな馬鹿なこと言ったか、……わかってるか?」 「…………」  達哉は沈黙した。  どうして、あんなことを言ってしまったのか。どうして、我を忘れるほど苛ついたのか。 答えはすぐそこにあるのに、それを明らかにするのがまだ怖かった。それはこの一年、達哉がずっと鳴らさないように避けていたキーなのだ。  黙り込んだままの達哉を見て、文昭は苦笑した。……こいつ、こういう奴だったんだな。そんなことを、今更ながら思った。  達哉はいつも自信に満ち溢れて、何でも思いどおりに手に入れてきたような顔をしていた。それなのに実際は、自分が本当に欲しいものが何なのかさえ、気づいていなかったのだ。 「生徒会の任期が終わったら……おまえと忍には、会う理由なんてなくなるんだ。こじれたまま卒業したら、たぶん二度と会うこともない。それが嫌なら……ちゃんと、謝って来い」  二度と、会うこともない。会う理由もない。傷つけたまま、すれ違ったまま、もう二度と向き合わない。それで、本当にいいのか?  文昭の言葉を聞きながら、達哉はぎゅっと目を閉じた。 「……なあ、いいかげん、ちゃんと考えてやれよ。あいつのこと、見てやってくれ」  頼むから。文昭はそう言って、達哉の頬に軽く拳で触れた。さっき、忍が力いっぱい殴っていった、……左の頬を。
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