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1.おいしい飲み物
巫女装束姿の子狐娘。その名も狐乃音ちゃん。
未就学児くらいかなと思われる小さな背丈に、ぴょんと立った狐の耳と、ボリュームたっぷりふっさふさの尻尾。
愛らしい彼女はしかし、これでもれっきとした稲荷神なのだった。
狐乃音は近くにある大きなお屋敷のお庭にて、長いこと祠にまつられていた。
けれど、時の流れとは残酷なもので、ある時その祠が壊されてしまったのだった。
結局狐乃音はお屋敷を追い出されてしまい、路頭に迷ってしまった。
困り果てながら散々街をさ迷い、疲れ果てて倒れてしまった。そんなところを、優しいお兄さんによって保護されて、今ではお家に居候させてもらっているのだった。
「よいしょ」
狐乃音は喉が乾いてきたので、冷蔵庫から紙パックのりんごジュースを取り出して、コップに注いでいた。
冷蔵庫は、お兄さんが用意してくれた踏み台を使えば、狐乃音でもちゃんと届く高さだった。
ジュースを注ぎ終え、こぼさないように両手でしっかりとコップを持って、くぴくぴと飲み始める。
りんごの甘い風味が、狐乃音の心を幸せにさせてくれる。
「冷たくておいしいのです~」
狐乃音はお兄さんと出会うまで、ジュースというものを飲んだことがなかった。
りんごにオレンジに、ブドウに桃。パイナップルやイチゴも飲んでみたけれど、どれもこれも間違いなく美味しい。最初に一口飲んだ時の衝撃は、今も忘れられない。
ああ、こんなにもおいしいものが、世の中にはあるものなのですねと、狐乃音は強く思った。感動とはまさに、こういうことなのだろう。
狐乃音はやがてすべて飲み終えて、はふ~と一息。満足しましたと、一人ごちた。
お兄さんのおかげで、好きなものができた。そんなある日のことだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「狐乃音ちゃん。あのね」
「なんでしょうか?」
お兄さんが、狐乃音を呼び止めた。
「急でごめんね。今日はこれから、出かけないといけなくなっちゃった」
「そうなのですか」
「うん。仕事の打ち合わせでね。多分、夜遅くになると思うんだ」
お兄さんは、在宅のお仕事をしていた。何でも、文筆業というらしい。
仕事で外出することはそれほどなくて、とても珍しいことだった。
「お留守番、しててもらえるかな?」
「わかりました~」
約束ごとはいくつかあるけれど、狐乃音にとってはもう、大分慣れたもの。
狐乃音は立場が立場だけに、来客があっても出ないこと。お風呂は洗ってあるから沸かして入ってとのこと。ごはんは用意してあるから、後は暖めるだけ。そして、もう一つ。嬉しいお知らせ。
「あ、そうそう。冷蔵庫にジュースがあるよ。飲んでね」
「ありがとうございます~!」
こうしてお兄さんは、出かけていったのだった。
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